タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2021-01-03 (Sun) 23:42

謹賀新年 2020年に買った鉄道書籍10選[2]

鉄道書籍2020年ab01

引き続き2020年に購入した鉄道書籍10冊のうち、4冊目~6冊目を紹介していきましょう。
4冊目は電気局メンテナンスフリー研究会(1972)『新しい電気』(鉄道現業社)
本書は国鉄電気局が北陸本線米原~敦賀間の交流電化を皮切りに、1957~1965年度に実施した「電気新保守体制(1次近)」、1968~1971年度に実施した「電気保守近代化(2次近)」、1971~1977年度に実施した「電気保守体系近代化(3次近)」と3段階に渡る電気近代化施策の詳細を1冊に集約しています。


JR北海道 国鉄 JR貨物 JR東日本 JR東海 JR西日本 JR四国 JR九州 電気区 電気所
鉄道書籍2020年ab04
「新しい保全管理手法の分類体系」を示した図
電気局メンテナンスフリー研究会(1972)『新しい電気』(鉄道現業社)p.51より引用

これら近代化施策は電気技術の革新に伴うもので、国鉄の体質改善を為すべく企画されたものです。
国鉄では開業以来、設備の異常を発見したら直ちに補修を施す「事後保全」を大原則としてきました。
しかし、保全作業の度に列車を止めてばかりでは、高度経済成長期に入り増大を続ける輸送量に対応できません。
そこで、設備が故障する前に機能劣化の兆候を検出するか、設備の有効寿命を設定するなどしてトラブルが起きないうちに処置を施す「予防保全」への一大転換を図る事となりました。
この「予防保全」を軸としつつ、設備の改善強化による「メンテナンスフリー化」を合わせて推進する事で、各種電気設備の保守管理に関する業務の在り方を大幅に見直しています。
予防保全とメンテナンスフリー化については国鉄施設局も、1963年4月~1972年3月に実施した「軌道保守の近代化」に盛り込んでいますね。
電気でも保線でも、如何に保守の手間を省いて安定輸送に寄与するかが重視された訳です。


国鉄 電気区 電気支区 電力区 電力支区 通信区 通信支区 信号区 信号支区 職制 信号通信区
鉄道書籍2020年ab05
本区における各職名の標準的な業務分担表
電気局メンテナンスフリー研究会(1972)『新しい電気』(鉄道現業社)p.137より引用

当然、電気設備の保守を担当する現業機関についても、近代化に則した組織体制を構築する必要が生じます。
電気関係の現業機関は、電灯・架線・送電線など電力設備を保守する「電力区」、信号機・連動装置・閉塞装置などの信号設備を保守する「信号区」、電信機・電話機・通信回線など通信設備を保守する「通信区」、信号設備・通信設備の両方を保守する「信号通信区」があります。
また、1959年4月に開設された飯田電気区を皮切りに、電力・信号・通信の各職場を統合した「電気区」の設置が進む事となりました。
更に1964年10月に東海道新幹線が開通すると、新幹線総局に属する現業機関として「電気所」が開設されています。
これらを総称して「電気関係区所」と言い、本区事務室(電気所の場合は本所)では下部組織の支区(支所)を含めた区所全体の総務・資材管理・技術管理を一手に担っています。


国鉄 電気区 電気支区 電力区 電力支区 通信区 通信支区 信号区 信号支区 職制 信号通信区
鉄道書籍2020年ab06
支区における各職名の標準的な業務分担表
電気局メンテナンスフリー研究会(1972)『新しい電気』(鉄道現業社)p.138より引用

なお、従前の電気関係区所は保線区と同様に分区制を採り、担当区域内に小編成の「分区」を多く設けて作業範囲を分担していましたが、事務担当者が管理職の分区長しかおらず「雑務に追われて、設備管理に手が回りかねるという弊害」(p.15)がありました。
そこで分区を統合して大編成の「支区」に改組し、従来のライン組織からライン・アンド・スタッフ組織へと脱皮を遂げる事となったのです。
即ち支区長は自らのスタッフ(補佐を務める職員)として助役・事務掛・電気技術掛を抱え、なおかつライン組織として検査班(検査長・検査掛)、作業班(電気作業長・電気作業掛・電気掛)を設ける体制となりました。
検査班と作業班は「電気新保守体制(1次近)」の施行に伴い、従前の分区で混同していた検査と作業を明確に分離し、業務分担を行なったものです。
しかし、作業班については1968~1971年施行の「電気保守近代化(2次近)」にて廃止し、電気作業長と電気作業掛の2職名も信号検査区・電気工事区勤務を除いて廃止しています。
作業班の廃止は施工作業の外注化に伴うものでした。


国鉄 職制 電気区 電気所 電力区 信号通信区 信号区 通信区 通信支区 電力支区 信号支区
国鉄電気関係区所の職制・組織図(1971)a01

これらを踏まえて職制・組織を示すと上図の通りになります。
職制上は労務職(手職をルーツに持つ下級掛職)の用務掛と電気掛を存続しており、用務掛は事務掛の配下につけて事務室内の雑務、電気掛は電気技術掛や検査掛の配下に付けて職務補助や設備検査、施工作業をさせるものとしています。
書籍『新しい電気』では現業機関の組織体制について結構なページを割いており、他にも勤務制度や教育訓練、運転事故防止など電気係員のマネジメントに必要な事項も多く解説しています。
工事事務や資材管理、経理事務など電気関係区所の内勤に必要な知識も得られます。



鉄道書籍2020年ab12
架線・信号の検査を目的として導入された電気検測車の概要図
電気局メンテナンスフリー研究会(1972)『新しい電気』(鉄道現業社)p.88より引用

もちろん業務管理だけでなく、当時の電気保守における最先端のメソッドも紹介。
CTC、CSC等の導入による電気設備の遠隔管理や、電車に架線・信号の検査機能を搭載した「電気検測車」、マイクロバスに変電所等の配電盤の検査機能を載せた「機動検測車」などの新機軸を伝えています。
ちなみに定価は550円と安め。
古書店では税込み1,100円で仕入れました。


仙台市電 仙台市交通局 路面電車 仙台市電モハ400型
鉄道書籍2020年ab02

5冊目は仙台市交通局(1976)『昭和史とともに 仙台市電ーその50年』(宝文堂)
「昭和史とともに」と表題にあるとおり、仙台市電は1926(大正15)年11月の開業から1976(昭和51)年3月の全廃まで、その大半を昭和時代に生きた路面電車でした。
本書は仙台市電の廃止を惜しんで仙台市交通局企画調査室が1974年秋に編集を企画し、およそ1年半を経て1976年5月に発刊となった1冊です。
表紙には夕焼けの電車通りを往くモハ400型の姿。
モハ400型は仙台市電最後の新造車として、1959~1963年にナニワ工機で15両が製造されました。
前面形状は1956~1958年に延べ131両が量産された都電8000形によく似ていますね。


仙台市電 路線図 系統図
鉄道書籍2020年ab07
1960(昭和35)年7月当時の路線系統図
仙台市交通局(1976)『昭和史とともに 仙台市電ーその50年』(宝文堂)p.168より引用

最盛期には総距離16kmを記録した仙台市電。
本書に掲載された当時の路線図を見ると、仙石線陸前原ノ町駅(電停名は「原町駅前」)や仙山線北仙台駅、機関区のあった長町(ながまち)、大崎八幡宮と市内各方面に敷設されていた事が一目瞭然です。

「秋保電鉄前」と私鉄の社名だけ出して、具体的に何処の駅前なのかは示さない電停名も珍しいと思います。
実際は秋保電気鉄道の長町駅前にあった訳ですが、それでは国鉄の長町駅と被りますし、「秋保電鉄長町駅前」では長ったらしいですし、「秋保長町駅前」としても何だか分かりにくいという・・・。
仙台の奥座敷・秋保温泉まで旅客を誘った秋保電鉄は、市電よりも15年早い1961年5月に廃止されてしまいました。

仙台駅前電停の近くにある「花京院通」は漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の登場人物、花京院典明の姓の由来になっている地名ですね・・・レロレロレロレロレロ。
何を隠そう荒木飛呂彦先生は仙台市のご出身なのです。


仙台市電モハ200型 ワンマンカー ワンマン運転 路面電車
鉄道書籍2020年ab08
気象台前(原町線つつじが岡釈迦堂前~総合グランド宮城野中学校前間)を往くモハ200型208号車
仙台市交通局(1976)『昭和史とともに 仙台市電ーその50年』(宝文堂)p.66より引用

仙台市電では1967年10月~1969年4月に在籍車両のワンマン化改造を実施しており、先述の400型は兎も角として、先輩格の100型と200型は前面右側の窓を大型化した左右非対称の顔立ちに変わりました。
少し無理矢理感のある改造ですよね。
本書の巻末には全型式の車両諸元表が掲載されています。
各車両の図面まで載っているので、市電車両を自作したいモデラーは必見です。



鉄道書籍2020年ab09
併用軌道での軌道工事の様子
仙台市交通局(1976)『昭和史とともに 仙台市電ーその50年』(宝文堂)p.142より引用

市電で働く人達の姿を捉えたコーナーもあります。
中でも特に印象的だったのは、1955年(昭和30)頃の保線作業を記録したこちらの写真。
何とすげ笠を被り、モンペを履いた女性軌道工の2人組が道床つき固めに勤しんでいるのです!
戦時中の鉄道では女子職員が操車掛などの肉体的な仕事に従事するケースがありましたが、戦後の高度経済成長期がスタートする頃合にも女性が鉄道の現場で汗水流す場面が見られたんだなあ・・・と新たな発見に繋がりました。
美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」を思い出す・・・。
昨今では保線の職場にも女性が再び進出していますが、担当業務は軌道検査や統計解析、工事計画がメインで肉体的な補修作業をする事はあまりない模様。

他にも点呼を受けて乗務に臨む運転士・車掌、信号所でポイント切換えを担当する信号掛や、架線にハシゴをかけて電路工事に臨む電気作業員、車両工場で各種部品の修理を担う検修員・・・と様々な職員達の写真が載っています。
生きた仙台市電の姿を存分に味わえる貴重な資料です。



鉄道書籍2020年ab03

6冊目は福島交通株式会社(1977)『写真でつづる福島交通70年の歩み』
福島交通は福島県中通りをメインにバス事業を展開し、加えて鉄道路線の飯坂線を運営する交通事業者です。
本書では今なお活躍する飯坂線やバス事業の歴史を紹介。
表紙には1971年にデビューした当時の新鋭・モハ5300形の写真が使われています。
新鋭・・・と言っても実態は吊り掛け駆動の旧性能車で、地方私鉄でも新造車はカルダン駆動の新性能車が多々見られた時代にあって見劣りするものでした。
とは言えノーシル・ノーヘッダーのスマートな車体に、鮮やかな赤とベージュのツートンカラーを纏った姿は軽やかな印象。
両運転台だったので閑散時には1両単行で走るなど、柔軟な運用を見せました。


福島交通掛田線 1114号車 福島交通飯坂東線 福島交通軌道線 中村駅 中村電停
鉄道書籍2020年ab11
掛田線中村電停付近を走る1114号車
福島交通株式会社(1977)『写真でつづる福島交通70年の歩み』p.11より引用

今でこそ鉄道事業は飯坂線しかありませんが、かつては「飯坂東線」と呼ばれる軌道線も運営していました。
これは福島県内で唯一の路面電車で、支線である保原線・梁川線・掛田線を含めた総称として「飯坂東線」の名を使っていました。
総距離にして31.5kmに上りますから仙台市電の約2倍はありますね。
道内最大だった最盛期の札幌市電が総距離25kmですから、それを更に上回る飯坂東線はおそらく北日本で最も長い軌道線だったのではないかと思います。
市街地のみならず農耕地帯も走り、貨物輸送まで手がける姿は路面電車としては異色。
私が古書店から本書を仕入れたのも、まさしくこの飯坂東線が目当てでした。


福島交通飯坂東線 1107号車 路面電車 福島交通軌道線
鉄道書籍2020年ab10
福島市の繁華街・大町の交差点を左折する1107号車
福島交通株式会社(1977)『写真でつづる福島交通70年の歩み』p.79より引用

掲載されている飯坂東線の写真を眺めていると、路面電車なのに単線区間ばかりだという事に気がつきます。
だだっ広い国道4号線ですら、6本もある車線の真ん中に一筋の線路を敷いただけ。
上の写真では繁華街の狭い道路を、針に糸を通すかのように電車が進んでいますが、その線路はやはり単線。
クルマで渋滞が起きたら交換も出来なくなるから、ダイヤ乱れの収拾が付かなかっただろうなあ・・・と、当時の従業員達の苦労を見る思いがしました。
さよなら運転の様子も克明に記録しており、「東北のドン」と謳われるほどの政商だった小針暦二社長が乗務員を労う光景も見られます。


以上、4冊目から6冊目まで紹介しました。
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最終更新日 : 2021-01-05

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