タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2020-10-09 (Fri) 21:16

解体される駅舎との別れを惜しむ「新十津川駅の軌跡展」

新十津川駅bk01

新型コロナウィルス対策のため2020年4月17日を以って運行を終了し、その後は長期運休を挟んで2020年5月7日に廃止された札沼線北海道医療大学~新十津川間。
盲腸線の末端に位置する新十津川駅は、廃止後も新十津川町観光協会の観光案内所として引き続き活用されてきました。
これに関連して2020年6月23日、新十津川町民の方から「駅舎もそのまま保存される」とコメントを頂いたのですが、9月20日の報道で残念ながら駅舎は解体される事が判明しました。
以下に道新の記事を引用しましょう。

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新十津川駅 歴史たどる
閉鎖前 駅舎に写真パネル

 【新十津川】5月に廃止となった、空知管内新十津川町のJR札沼線旧新十津川駅の駅舎が、開業日の10月10日、89年の歴史に完全に幕を下ろし閉鎖される。駅舎内に現在もある町の駅観光案内所も同時に終了する。駅舎では現在、閉鎖を前に懐かしの写真などが並ぶ「新十津川駅の軌跡展」が開かれている。
 新十津川駅は1931年(昭和6年)10月10日に誕生し、現駅舎は53年の完成。軌跡展は、町や観光協会などでつくる実行委が「新十津川駅の歴史を振り返ってもらおう」と企画、駅閉鎖の日まで続けられる。
 70年代の駅周辺の空撮や、72年6月に新十津川ー石狩沼田間が廃止された日のホームの様子など写真パネル12枚を展示。34年から56年までの時刻表のコピーもあり、札沼線の変遷が分かる。札幌市から夫婦で訪れた60代女性は「初めて来たが、地域の人に大切にされてきた駅だと感じた。閉鎖されるのは残念」と写真や駅舎に見入っていた。
 駅の観光案内所は現在、町地域おこし協力隊員が常駐、午前9時から正午まで対応しているが、駅の閉鎖とともに終了する。駅舎を管理する町は来年度中に取り壊し、2023年度までに記念の公園を整備する方針。
(滝川支局 小池啓人)

《出典》
『北海道新聞』2020年9月20日付 朝刊第14面 特集「地元の駅、路線 元気です」
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記事によれば駅舎は2020年10月10日に閉鎖し、2021年度中に解体工事に着手するとの事。
また、駅舎との別れを偲んで「新十津川駅の軌跡展」という企画展が開催中だと分かりました。





私も軌跡展を一目見ておこうと思い、約3ヵ月半ぶりに新十津川駅に行ってきました。
今回も現地までクルマを転がします。
カーステレオで流すのはマカロニ・ウエスタンの金字塔『夕陽のガンマン』のサウンドトラック。
エル・インディオ一味が銀行から金庫をかっぱらって逃走するシーンの曲が特に好きです。


JR北海道 国鉄 廃線跡 廃駅 木造駅舎 待合室 札沼線末端区間
新十津川駅bk02
JR北海道 国鉄 廃線跡 廃駅 木造駅舎 待合室 札沼線末端区間
新十津川駅bk03

待合室には3枚のパーテーションが並び、窓際にベンチにまで写真が展示されています。
今回は休暇を取って平日に訪問しましたが、次から次へと鉄道ファンがやって来ましたね。


JR北海道 国鉄 ラストラン 札沼線北部 札沼北線
新十津川駅bk04

正面玄関右手の壁には「札沼線ありがとう」と書かれた横断幕を掲げています。
ご当地キャラの「とつかわこめぞー」と、新十津川町のルーツである奈良県吉野郡十津川村から受け継いだ菱十字の紋章が描かれています。


JR北海道 国鉄 廃線跡 廃駅 木造駅舎 待合室 札沼線末端区間
新十津川駅bk05

正面玄関手前には2020年6月6日、老衰により他界した駅長犬のララちゃんを偲ぶコーナーが設けられています。


JR北海道 国鉄 駅長 駅員 木造駅舎 待合室 札沼線末端区間
新十津川駅bk06

6月の訪問時と同様、天国のララちゃんに向けたメッセージノートも置かれています。


JR北海道 国鉄 駅長 駅員 木造駅舎 待合室 札沼線末端区間
新十津川駅bk07

通常の「執務」では黒い制服を着ていたララちゃんですが、時には白い制服を着る事もあったんですね。
制帽はJR東日本の駅長が着用するタイプ(2代目制服)のミニチュアです。


イベント 博物館
新十津川駅bk08

ララちゃんコーナーの後ろは「ありがとう札沼線写真展」のコーナーとなっています。


盲腸線 終着駅 新十津川駅 学園都市線 キハ40系400番台 苗穂運転所
新十津川駅bk09

こちらは駅前にある医療社団法人つつじ会空知中央病院の屋上から撮影された写真でしょうね。
桜の咲き誇る新十津川駅から、キハ40系400番台が出発するタイミングでシャッターを切ったようです。


キハ40形400番台 学園都市線 札沼線非電化区間 札沼線末端区間 札沼線北部
新十津川駅bk12

ゲートボールに興じる地元のお爺さん達を横目に、田園地帯を颯爽と駆け抜けるヨンマル。
のどかなローカル線の風景が樺戸にありました。


新十津川駅85周年を祝う会 祝新十津川駅開業85周年
新十津川駅bk10

2016年10月10日に開催された「新十津川駅85周年を祝う会」の写真も複数ありました。
駅舎の正面玄関に記念の横断幕を掲げ、それぞれ異なる制服を着た4人の男性が挙手敬礼しています。


新十津川駅85周年を祝う会 士別軌道 日野RC モノコックバス 旭川22か1269
新十津川駅bk11

「新十津川駅85周年を祝う会」では士別軌道のモノコックバス・旭川22か1269(日野K-RC301P/1982年式)が駅前に乗り入れ、「急行雨竜号」として札沼線・深名線の廃線跡を辿りました。
急行雨竜号は2017年10月14日に新十津川駅で開催された「秋の秘境駅フェスタ」でも運行されています。
ちなみに私は秘境駅フェスタの方で急行雨竜号に乗車し、浦臼~新十津川間を1往復した後、石狩沼田駅沼牛駅添牛内駅天塩弥生駅を経て士別までの長距離ツアーを楽しみました。
3年経った今でも良い思い出です。



新十津川駅bk13

正面玄関から2枚目のパーテーションには、札沼線の旅客列車ダイヤを掲載した6つの時刻表が展示されています。
まずは『鉄道省編纂 汽車時刻表』の昭和9年12月号を見てみましょう。



新十津川駅bk14

札沼線は桑園駅を起点とした「南線」と、石狩沼田駅を起点とした「北線」に分けて、南北両線が繋がるまで別々に敷設工事を進めていました。
1934(昭和9)年当時の新十津川駅は札沼北線に属しており、時刻表では「石狩沼田・浦臼間(札沼北線)」の中に旧駅名の「中徳富」(なかとっぷ)が記されています。

この時刻表は1934年12月1日ダイヤ改正に伴い発行された物で、札沼北線の旅客列車は上下4往復が設定されていました。
札沼北線の旅客列車は全て三等車のみの運行で、上下とも午前中に運行されるのは1本だけ。
留萌本線との直通列車も設定されており、下りは深川始発2本(15列車・17列車)、上りは深川行き1本(16列車)がありました。

なお、現在の時刻表とは違い列車の発着時刻を「24時制」ではなく、午前・午後の「12時間制」で記している点に要注意。
ただし時刻表の紙面には午前・午後の区別まで記入できるほどの余裕が無いため、午後の時刻は太字で記して識別できるようにしています。



新十津川駅bk15

せっかくなので札沼線全通後の時刻表も見てみましょう。
こちらは『鉄道省編纂 汽車時刻表』の昭和17年11月号で、1942(昭和17)年11月15日ダイヤ改正に伴い発行されました。



新十津川駅bk16

1935(昭和10)年10月3日の全通により、札沼南線と札沼北線の名称も統合し晴れて「札沼線」となりました。
現在は札幌のベッドタウンである新琴似・篠路・石狩当別も、戦前は人口密度の低い農耕地帯でした。
時刻表を眺めれば、札沼線も通勤路線としての性格は希薄だった事が見えてきます。

やがて太平洋戦争が勃発すると札沼線は「不要不急線」に指定され、1943年10月に石狩月形~石狩追分間、1944年7月に石狩当別~石狩月形間と石狩追分~石狩沼田間が営業休止に追い込まれました。
レールも撤去されて最前線の樺太庁鉄道に流用されたり、兵器の材料に転用されています。
戦後、沿線住民が休止区間の復元を求める運動を起こし、国鉄もそれに応えて1946年8月~1956年11月の10年2ヶ月を費やして全線の運行を再開しました。

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 このようにして、先人の汗と血の結晶による、交通の便に慣れ、文化の進展をおう歌していたが、たまたま太平洋戦争たけなわとなり、1943年(昭和18年)7月30日札沼線は当別、沼田間の全面的営業休止となり、まず同年8月10日月形、石狩追分間の路線撤収となり、次いで1944年(昭和19年)7月21日石狩追分、沼田間及び月形、当別間が撤収され、札沼線は当別以北全部が撤去されたのである。撤収された資材は樺太国境へ軍用として運ばれたといわれる。撤収のあとは鉄道省営自動車が運行することになったが、冬期間は積雪にはばまれて運行休止の状態であった。1945年(昭和20年)終戦とともに関係住民の熱烈な要望による復元運動が起こり、当局のいれるところとなって、まず当別、浦臼間が、1946年(昭和21年)8月復元に着工し、同年12月10日営業を再開することとなった。しかし浦臼以北は予算及び資材の都合により、容易に実現には至らなかったが、ようやく1954年(昭和28年)4月着工となり同年11月3日浦臼、雨竜間が全通し、1956年(昭和31年)11月16日雨竜、沼田間も復元となり、ここに漸く札沼線全線が運行して現在に至っている。

《出典》
当別町史編さん委員会(1972)『当別町史』(北海道石狩郡当別町)p.875
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新十津川駅bk17

更に年月が過ぎて高度経済成長期。
『日本国有鉄道監修 時刻表』の昭和31年12月号を見てみましょう。



新十津川駅bk18

戦前に比べて本数が増えていますね。
この頃の当別町は経済成長の波に乗って宅地化が進められており、札幌~石狩当別間の区間運行も設定されるようになりました。
一方、樺戸に目を向けると浦臼駅で運転系統が二分されており、札幌~浦臼~石狩沼田間を通して運転する旅客列車が1本もありません。
一体どうしてこのようなダイヤの改変をしたのやら。



新十津川駅bk25

道新の記事では「70年代の駅周辺の空撮を展示している」とありましたが、実際には1952年、1977年、2007年と3枚の空撮写真が展示されています。
今や滝川市のベッドタウン的性格を帯びている新十津川市街ですが、1952年の空撮を見ると民家が疎らで、新十津川駅の四方に水田が広がっていた事が分かりますね。
周辺人口が増えるにつれてモータリゼーションも巻き起こり、利用客が減少した新十津川駅・・・何たる皮肉でしょうか。
滝川駅まで線路が繋がっていれば、もう少し違った未来があったのかも知れません。


新十津川駅構内 プラットホーム キハ22系 キハ22形
新十津川駅bk20

改札口の手前には国鉄時代の札沼線の写真が多く展示されています。
こちらは1970年当時の新十津川駅構内を記録した写真。
晩年は末端の棒線駅だった新十津川駅ですが、元々は交換設備を有しており、側線を含め3本の線路が敷かれていました。


新十津川駅構内 キハ22系 タブレット交換 当務駅長 運転士 タブレット閉塞
新十津川駅bk19

こちらは1971年の冬場に撮影された1コマ。
昨今は石狩月形~新十津川間の1閉塞でスタフ閉塞(片方の駅を無人化できるメリットがある)を運用していた札沼線ですが、国鉄時代は全区間に渡ってタブレット閉塞を運用していました。
新十津川駅にも通票閉塞器が設置されており、当務駅長(助役・特命運輸掛を含む)が他の交換駅と連絡を取りながら運転保安に務めていました。
列車が入線すると当務駅長はホームに出てタブレット交換を実施。
運転士から前区間のタブレットを回収し、逆に駅事務室から持ち出した次区間のタブレットを運転士に渡します。
写真ではタブレット交換のついでに書類の受渡しもしていますね。


新十津川駅構内 キハ20系 キハ22形 札沼線お別れ列車 さよなら列車
新十津川駅bk22

札沼線111.1kmのうち、雨竜郡を南北に縦断する新十津川~石狩沼田間は1972年6月19日を以って廃止されました。
前日の6月18日にはキハ22形3連によるラストランを実施しており、旭川機関区所属のキハ22-301に「札沼線お別れ列車」のヘッドマークが掲出されました。


新十津川駅構内 キハ20系 キハ22形 札沼線お別れ列車 最終運行日 花束贈呈
新十津川駅bk23

新十津川駅では「お別れ列車」の乗務を担当する気動車運転士と普通車掌に対し、地元有志が花束を贈呈しました。


新十津川駅構内 キハ20系 キハ22形 札沼線お別れ列車 最終運行日 花束贈呈
新十津川駅bk21

受け取った花束を抱える気動車運転士と普通車掌。
国鉄は1970年7月1日に動力車乗務員の白い腕章を撤廃しているため、気動車運転士の左胸には腕章の代用品として導入された職名札が付いています。


アジ電車 動労 労組 労使紛争 蒸気機関車
新十津川駅bk24

「お別れ列車」の隣には深川機関区所属の9600形59612号機が、車掌車と有蓋貨車を連結して留置されています。
その車体は「鬼の動労」こと国鉄動力車労働組合が書きなぐった落書きに塗れています。
「アジ電車」ならぬ「アジカマ」というヤツです。
労働争議が熾烈化した1970年代には、国労(国鉄労働組合)や動労の組合員達が落書きを施した列車が全国至る所で見られました。
一方、労使協調を旗印に掲げる鉄労(鉄道労働組合)は、そのような真似は一切しませんでした。


新十津川駅 出札窓口 手小荷物窓口 チッキ台
新十津川駅bk26

出札窓口と手小荷物窓口。
駅事務室の観光案内所も、まもなく店じまいとなります。



新十津川駅bk28

チッキ台に備えてある駅ノートは、医療法人社団つつじ会空知中央病院が管理しています。
最新版の表紙には駅ノートの今後について書かれており、初回分からの全てを新十津川町図書館にて保存する予定だといいます。


木造駅舎 新十津川駅 改札口 駅事務室
新十津川駅bk27

そして来る2020年10月10日、「新十津川駅89周年記念祭」が開催される事になりました。
同イベントは10:00~14:00の開催で、新十津川駅の開業89周年を祝うと共に木造駅舎の有終の美を飾ります。


※写真は全て2020年10月9日撮影
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最終更新日 : 2020-10-11

こんばんは(*^^*) * by らんちゃん
新十津川駅、行きたい・・・廃線後、片手に足りないくらい行って、ノートにも足跡を残してきてるんですが、あれ?載ってない・・・?私、違う方のノートに書いてるんでしょうね。

明日、行きたいんですが、別方面に行くので断念(泣)。お話、お待ちしています。
でも、雪降る前に、なんとかして行きたいです。

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こんばんは(*^^*)

新十津川駅、行きたい・・・廃線後、片手に足りないくらい行って、ノートにも足跡を残してきてるんですが、あれ?載ってない・・・?私、違う方のノートに書いてるんでしょうね。

明日、行きたいんですが、別方面に行くので断念(泣)。お話、お待ちしています。
でも、雪降る前に、なんとかして行きたいです。
2020-10-09-23:40 * らんちゃん [ 編集 * 投稿 ]