タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

現在、札学鉄研OB会ブログから筆者投稿の記事を移転中です

Top Page › 北海道 › 根室本線東滝川駅 作曲家・仁木他喜雄が少年期を過ごした「六戸村」
2020-10-08 (Thu) 18:48

根室本線東滝川駅 作曲家・仁木他喜雄が少年期を過ごした「六戸村」

東滝川駅a01

空知管内は滝川市東滝川町3丁目にある、JR北海道の東滝川(ひがしたきかわ)駅。
滝川の中心市街地から約5km離れた集落に置かれています。
周囲には水田や蕎麦畑が広がり、農家の中にはビニールハウスを設けて野菜の温室栽培に励む世帯も見られます。
国道38号線沿いには「手打そば加々家」という蕎麦屋があり、ミシュランガイドに掲載された事もある実力店として有名です。
屋号の「加々家」は「かかか」と読み、店内には永ちゃん好きの店主が集めたYAZAWAグッズも飾られています。

東滝川地区は元々、「下幌倉」(しもほろくら)という地名でした。
これは空知川の支流である幌倉川という小川に由来しており、その上流へ遡るにつれて沿岸地域を、下幌倉、中幌倉、上幌倉と称していました。
現在、下幌倉の東半分は赤平市共和町に組み込まれており、中幌倉・上幌倉は下赤平と統合して赤平市幌岡町となっています。
そして幌倉川も赤平市内で完結しており、滝川市に属する下幌倉の西半分は東滝川町および東滝川に改称されているのです。

下幌倉は1890年7月、滝川に拠点を構える屯田兵第五大隊第二中隊の公有地となりました。
第五大隊は翌1891年2月に第三大隊と統合して第二大隊になりましたが、下幌倉の公有地は熊笹が繁茂するままで、結局開拓に着手せず1901年4月を以って解散しました。
同時に公有地が開放されたため民間人の入植が始まり、当初は6戸が定住し開拓に勤しんだ事から「六戸村」とも呼ばれました。
1906年には長野県人の小林和三郎氏が約260町歩の土地を購入し、現在の東滝川駅付近を中心として小林農場を開設しています。
和三郎氏は1909年に同郷の親戚・小林儀三郎氏を呼び寄せて農業管理人とし、小作人の増員も重ねて急速に開墾を進めました。
しかし戦後の1947年、GHQが主導した農地改革によって小林家は「不在地主」と見なされ、小林農場も買収解放されるという末路を辿っています。


JR北海道 国鉄 JR貨物 木造駅舎 無人駅 小林農場 根室本線 幌倉駅
東滝川駅a03

東滝川駅は1913年11月、国鉄釧路本線滝川~下富良野(現:富良野)間の延伸開業に伴い一般駅として開設されました。
冒頭で述べたとおり東滝川の旧地名が「下幌倉」だった事から、駅名も幌倉川の名を取って「幌倉駅」と言いました。
駅の開設に当たって小林農場から土地の無償提供を受けており、その事は滝川市役所が発行した書籍『滝川市史 下巻』にも記録されています。

*****************************************************************
 下富良野線(根室本線)の布設にあたり、その分岐点について、明治43年6月10日滝川に決定をみて以来、次の駅の幌倉駅位置問題で議論され決定が遅れた。
 明治44年2月小林農場主小林和三郎の土地無償提供により、急速に現在位置が決定されて工事がはじめられ、大正2年11月10日下富良野線が開通し、幌倉駅の業務開始となった。
 その後昭和30年滝川町の町名字名の改正により、幌倉が東滝川と改称されたのに伴い、東滝川駅となって今日にいたっている。

《出典》
滝川市史編さん委員会(1981)『滝川市史 下巻』(滝川市長 吉岡清栄)p.654
*****************************************************************

沿線住民による土地の無償提供を受けて開設された駅といえば、他に十勝管内の十弗駅が挙げられますね。
なお、これも先述したとおりですが小林農場は東滝川駅付近を中心とし、260町歩の農地を構えていました。
つまり鉄道敷設によって農地は南北に分断されたという事になります。


JR北海道 国鉄 JR貨物 木造駅舎 無人駅 正面玄関 東滝川駅 幌倉駅
東滝川駅a30

釧路本線は1921年8月、現路線名の根室本線に改称されました。
戦後の1954年11月、滝川町役場による町名改正で下幌倉が東滝川に改称されたため、駅名も東滝川駅に変更されました。
東滝川地区の住所は線路南側の駅前集落を「東滝川町」、その他の農地を「東滝川」としています。
しかし実は滝川中心市街の近くに「東町」という住所があり、そこに集まる店の悉くが「滝川東町店」を名乗るものですから、厭に紛らわしい話だなあと思いますね。

戦前は広大な小林農場のお膝元だった東滝川駅ですが、貨物取扱量はさほど多くなかった模様。
1961年9月には貨物フロント業務が廃止されてしまいました。
当時の国鉄当局は自動車普及を鑑みて、貨物取扱量が比較的少ない駅の取り扱いを廃止し、近隣の駅に貨物扱いを集約化していたんですね。


JR北海道 国鉄 JR貨物 木造駅舎 無人駅 根室本線 幌倉駅 東滝川駅
東滝川駅a04

1982年5月、荷物フロント業務が廃止。
1983年3月には根室本線滝川~落合間がCTC化され、同時に東滝川駅も無人化されました。

*****************************************************************
 幌倉駅として大正2年10月10日開業となった当駅は、昭和30年東滝川駅と改称され今日に至っているが、昭和58年2月1日列車集中制御装置の作動開始により無人化となり、駅長配置もとりやめとなった。

《出典》
滝川市史編さん委員会(1991)『滝川市史 続巻』(滝川市長 吉岡清栄)p.599
*****************************************************************

なお、書籍『滝川市史 続巻』では無人化の時期を「昭和58年2月1日」としています。
しかし日本国有鉄道電気局計画課が編纂した書籍『明日に向かって』(1986年)のp.229では「根室本線(滝川・落合)CTC装置新設その他」の工程を「54.10~58.3」としており、滝川市史記載の日付より1ヶ月後に工事が完成しているというのです。
つまり1983年3月ダイヤ改正に伴いCTCの運用を開始し、同時に東滝川駅も無人化されたと見るべきでしょう。

1987年4月の分割民営化に伴いJR北海道が継承。


JR北海道 国鉄 JR貨物 木造駅舎 無人駅 小林農場 根室本線
東滝川駅a02

駅舎は1950年に建て替えた2代目で、木造モルタル造りの平屋です。
『滝川市史 下巻』によると建築面積は126.9㎡です。
駅事務室が広めに取られており、駅舎全体の3/5を占めています。
正面には駅員達が手入れをしていただろう植木も並びます。


JR北海道 国鉄 JR貨物 木造駅舎 無人駅 小林農場 根室本線
東滝川駅a05

駅舎の西側はL字に窪んでいます。


仁木他喜雄顕彰歌碑 めんこい仔馬 東滝川駅 幌倉駅
東滝川駅a06

駅前広場の東側には童謡「めんこい仔馬」や歌謡曲「高原の月」などで知られる作曲家、仁木他喜雄(にき・たきお)さんの功績を讃えて1990年に建立された「仁木他喜雄顕彰歌碑」があります。
仁木さんは1901年11月14日に札幌郡篠路兵村(現:札幌市北区篠路)で生まれ、1902年から1914年までの少年時代を下幌倉で過ごしました。
そして幌倉駅から列車に乗って1人上京し、欧米航路の客船バンドや新交響楽団(現:NHK交響楽団)などで楽士を務めた後、日本コロムビア専属の作曲家・編曲家に転身。
俳優・コメディアンの森繁久彌さんとも親交を深めましたが、1958年5月13日に56歳の若さで逝去しています。
生涯に渡る作曲数は170余り、編曲数は700曲に及びました。
歌碑には代表曲である「めんこい仔馬」の歌詞と楽譜の一節が刻まれています。


JR北海道 国鉄 木造駅舎 待合室 根室本線 幌倉駅 東滝川駅
東滝川駅a08
JR北海道 国鉄 木造駅舎 待合室 根室本線 幌倉駅 東滝川駅
東滝川駅a07
JR北海道 国鉄 木造駅舎 待合室 根室本線 幌倉駅 東滝川駅
東滝川駅a09

待合室の様子。
近隣住民の方々が美化活動をしているらしく室内は掃除が行き届いており、「ほろくらむかしロマン」と題して地元の歴史を伝える展示コーナーも設けてあります。
その中には1962年発行の書籍『滝川市史』から抜粋された、幌倉の入植者・内野むめさんの口述が貼り出されています。

内野むめさんは1901年4月の屯田兵公有地開放に伴い、当地に移住した6戸の中の1人。
28歳の時に夫と死別し、女手一つで3人の子供を育て上げるべく決死の思いで入植したのだといいます。
当時は「六戸村」と呼ばれるほどの小さな集落だった幌倉。
鉄道も未だ開通しておらず、しかも道路さえ満足に整備されていなかったので、滝川市街へ出かけるには往復で2日分もの時間を費やしたのだとか。
おまけに隣人の住宅とも結構離れていたらしく、月に1、2回程度しか顔を合わせず淋しい思いをしたそうです。
入植の翌年には畑を築いて蕎麦の種3斗を蒔いたものの、秋の収穫量は1斗にも満たず心が折れそうになりましたが、気を引き締め直して野菜を栽培し開拓の礎を築きました。

他にも東栄小学校の前身である尋常小学校幌倉分教場、幌倉巡査駐在所、幌倉郵便局など諸施設に関する解説や、1965年頃の東滝川地図、大正時代の鉄道風景を描いたイラストなどが展示されています。
列車の待ち時間に展示物を眺めていると、東滝川の歩みを知る事が出来て有意義に過ごせますね。


JR北海道 国鉄 木造駅舎 待合室 根室本線 幌倉駅 東滝川駅
東滝川駅a10

改札口の手前には幌倉駅時代の駅名板も展示されています。


出札窓口 待合室 木造駅舎 幌倉駅 東滝川駅 めんこい仔馬
東滝川駅a11

出札窓口は窓枠から出札棚まで綺麗に残っていますが、窓は塞がれて「めんこい仔馬」の歌詞が掲示されています。
その上には蒸気機関車の写真が3枚。
しかし何故か3枚とも釧路湿原を走る「SL冬の湿原号」を捉えたもので、地元との接点はありません。
無理に関連性をでっち上げるとすれば、「SL冬の湿原号」の乗務を担当する釧路運輸車両所車掌科の前身である、国鉄釧路車掌区の乗務範囲に滝川市が含まれていたという事くらいでしょう。
石勝線の開通前、道央と道東を結ぶ優等列車は全て滝川経由でしたからね。
滝川市内にあった国鉄滝川車掌区も、札幌から滝川を経て釧路まで乗務を担当していました。


出札窓口 待合室 木造駅舎 幌倉駅 東滝川駅 チッキ台 手小荷物窓口
東滝川駅a12

一方、手小荷物窓口はJR北海道のポスターが貼られている程度で、ほぼ直営駅時代の原型を留めています。
チッキ台もご覧の通り。


JR北海道 国鉄 JR貨物 木造駅舎 無人駅 根室本線 幌倉駅 東滝川駅
東滝川駅a13

ホーム側から駅舎を眺めた様子。


JR北海道 国鉄 JR貨物 木造駅舎 無人駅 根室本線 幌倉駅 東滝川駅
東滝川駅a14

東滝川駅には2面のプラットホームがあり、互いに大きく離れた千鳥配置になっています。
駅舎の庇の下が両ホームへの連絡通路です。


JR北海道 国鉄 木造駅舎 無人駅 根室本線 幌倉駅 東滝川駅 改札口
東滝川駅a15

改札口の様子。
アスファルト舗装の床をよく見ると、パイプのラッチを切断した痕跡があります。


JR北海道 国鉄 木造駅舎 根室本線 幌倉駅 東滝川駅 運転事務室
東滝川駅a16
JR北海道 国鉄 木造駅舎 根室本線 幌倉駅 東滝川駅 運転事務室
東滝川駅a17

改札口の西側には運転事務室の出っ張った窓があります。
かつてはこの窓に面してタブレット閉塞器を置き、当務駅長が運転取扱いをしていたのです。
カーテンでよく見えませんが、現在は連動装置を設けている模様。
駅事務室は保線作業員の休憩所として活用されているようです。


JR北海道 国鉄 木造駅舎 無人駅 根室本線 幌倉駅 東滝川駅 改札口
東滝川駅a18

改札口から1番線ホームへは長い通路が伸びています。


JR北海道 国鉄 根室本線 幌倉駅 東滝川駅 プラットホーム 単式ホーム
東滝川駅a19

プラットホームまで綺麗にアスファルトで舗装されています。


JR北海道 国鉄 根室本線 幌倉駅 東滝川駅 プラットホーム 単式ホーム
東滝川駅a21
JR北海道 国鉄 根室本線 幌倉駅 東滝川駅 プラットホーム 単式ホーム
東滝川駅a22

1番線ホームの様子。
東滝川駅構内は2面2線の単式ホームを千鳥に並べており、方面別にホームを使い分けています。
1番線は上り普通列車(滝川方面)が発着。
ホーム全長は20m車6両分ほどで、大半が砂利敷きです。


JR北海道 国鉄 根室本線 幌倉駅 東滝川駅 跨線橋
東滝川駅a20

1番線ホームの先頭から駅舎方向を眺めた様子。



東滝川駅a26

2番線と繋がる跨線橋は駅舎の西側にあります。
この跨線橋は無人化されたくらいの時期に建設されたそうです。


JR北海道 国鉄 根室本線 幌倉駅 東滝川駅 プラットホーム 単式ホーム
東滝川駅a24
JR北海道 国鉄 根室本線 幌倉駅 東滝川駅 プラットホーム 単式ホーム
東滝川駅a25

2番線ホームの様子。
下り普通列車(赤平・芦別・富良野方面)が発着します。
こちらも全長は6両分ほどで、跨線橋の手前を除いて未舗装です。
外側には1本の側線が敷かれています。



東滝川駅a27

跨線橋の前後には更にもう1本の側線があり、鉄道電話機の向かいに車止めを設けています。
この線路はマルタイや軌道モーターカーといった保守用車の留置線として活用されており、前方には「保守用車停止位置」と書かれた標識が立っています。


キハ40系1700番台 キハ40形1700番台 キハ40-1778 ヨンマル2連
東滝川駅a28

2番線に入線するキハ40系2連。


駅名標 東滝川駅
東滝川駅a29

ホーム上の駅名標。


※写真は全て2018年10月27日撮影
スポンサーサイト



最終更新日 : 2020-10-08

Comment







管理者にだけ表示を許可