タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2020-08-25 (Tue) 23:03

「道の駅あびらD51ステーション」の鉄道資料館に行く[2]

道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax102

引き続き勇払郡安平町追分柏が丘にある、道の駅あびらD51ステーション」併設・D51鉄道資料館の見学について書きましょう。
木造駅舎風の屋根を持つ展示室を観覧した後は、いよいよ目玉のSL倉庫に足を踏み入れます!
既に述べたとおりですが、ここは室蘭本線追分駅の西にあった安平町鉄道資料館(旧:追分町鉄道記念館)を移転オープンした施設です。
倉庫内には安平町鉄道資料館から引っ越してきたD51形320号機が鎮座し、その黒々とした巨躯を間近に見ようと多くの来場者で賑わっていました。
まずは周囲の見学者が少なくなり、車体をスッキリ見通せるタイミングを見計らってシャッターを切ります。


国鉄 JR北海道 追分機関区 室蘭本線 石勝線 追分駅 デゴイチ D51-320
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax103

D51形320号機は1939年に日立製作所が製造し、道内各地を駆け抜けた蒸気機関車です。
1939年11月に函館機関区に配属されてから、五稜郭機関区、長万部機関区、小樽築港機関区と道内を転々とした末、1972年12月に追分機関区にやって来ました
そして追分機関区が最後の職場となり、転属から3年以上が経った1976年1月を以って引退。
当時は国鉄当局が「動力近代化」と銘打ち、蒸気機関車をディーゼル機関車や気動車、更には電車に置き換え、エネルギー効率化を進める計画が佳境を迎えていました。
D51形320号機が廃車された直後の1976年3月、構内入換用として追分機関区に最後まで残っていた9600形3両(39679号機・49648号機・79602号機)が使用停止になり、遂に動態保存を除く国鉄のSLが全廃に至りました。
その後、D51形320号機は町内にて静態保存される事となり、国鉄追分機関区のOB有志から成る「安平町追分SL保存協力会」が、旧資料館時代から43年間の長きに渡り手入れを続けています。


国鉄 JR北海道 追分機関区 室蘭本線 石勝線 追分駅 デゴイチ D51-320
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax107

足回りの動輪も勇ましいですね。
普段はSL倉庫での屋内展示のD51形320号機ですが、指定日には線路を前進して屋内展示が実施されます。


車号板 車体標記 デゴイチ D51形蒸気機関車
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax108

運転室の側面に付く車号板と車体標記。
タブレットキャッチャーも綺麗な状態で残っています。


国鉄 JR貨物 追分機関区 室蘭本線 夕張線 追分駅 デゴイチ D51-320
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax101

ローアングルでもデゴイチを撮影。
屈んで眺めると一層、黒い車体のツヤを楽しめると思います。
スノープラウに至るまで入念に手入れを施していますね。


ご当地マンホール 勇払郡安平町 追分町 追分機関区 SLデザインマンホール
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax104

デゴイチの手前には「鉄道の街・追分」に相応しく、D51形320号機を描いたご当地マンホールが飾られています。
このマンホールは「道の駅あびらD51ステーション」の開業に先駆け、2018年10月に小樽の鋳鉄工場で製作された物です。
色つきのマンホールは「青空」、「夕焼け」、「草原」、「夜空」の4種類があり、このうちSL倉庫に展示されていたのは「青空」と「草原」でした。
ヘッドマークとして列車が掲出しても違和感の無いデザインだと思います。


キハ183系 座席 椅子
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax106

ところで改札口(SL倉庫出入口)の脇にはキハ183系が実際に装備していた座席が置かれ、自由に座れるようになっています。
とは言っても新製当初から付けていた物ではなく、「スーパーおおぞら」として1997年にデビューしたキハ283系と同タイプの座席です。
当時のJR北海道はキハ281系、キハ283系と寒色系カラーの振り子式車両を導入し、既存のキハ183系500番台についても改造を施し特急列車の高速化を進めた時代でした。
その時にキハ183系も振り子式車両に準じた寒色系に塗装変更を施し、更には座席も新品に取り替えてイメージチェンジを図ったのです。
ヘッドレストの端に付いた赤い取っ手が独特ですよね。
この座席は交換したばかりの頃、灰色モケットに小さくタンチョウヅルを描いたデザインでした。
しかし2010年代に茶色モケットへの張り替えを施した物がチラホラと見られるようになり、その座席がSL倉庫に置かれているという訳ですね。
屋外に展示されているキハ183-214も全く同じ座席を設置していますが、国鉄特急色に復元された保存車両がJR北海道の座席を付けたままというのも奇妙な話ですよね。



道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax105

座席はD51形320号機を向いています。
SLをゆっくり眺めるにはもってこいの特等席です。


SL倉庫 展示室 鉄道博物館 D51鉄道資料館 安平町鉄道資料館 追分機関区
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax109

デゴイチの脇は資料展示スペースとして活用されています。


ヘッドマーク トレインマーク D51ステーションあびら 勇払郡安平町 勇払郡追分町
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax110

ショーケースの中には「D51ステーション あびら」と書かれたヘッドマークが1つ。
このヘッドマークは2019年6月、D51形320号機が道の駅に搬入されてきたばかりの頃に掲出した物ですね。
JR北海道のコーポレートマークを意識したような萌黄色の北海道に、安平町の位置を赤丸で示して町章まで描いています。
どうやら文字は着脱可能なマグネットらしく、デゴイチの搬入当初は改元祝いを兼ねて「2019令和 REIWA D51ステーションあびら」との文言を示していました。


機関士 機関助士 動力車乗務員 制帽 制服 腕章 国鉄 追分機関区 ナッパ服
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax112

同じショーケースには国鉄のナッパ服を纏ったマネキンが2体。
右のマネキンが機関士、左のマネキンが機関助士ですね。
機関士の方は左腕に白い腕章を付けています。


国鉄 腕章 職名札 職務札 キ章 機関士 追分機関区 気動車運転士
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax111

棚の上には国鉄時代の腕章と職名札が陳列されています。
腕章のうち乗務員が付けるのは「機関士」と書かれている2点で、右側の「追分機関区」とあるのは指導助役や指導機関士などが添乗指導を行う際に付けた物でしょう。

国鉄の動力車乗務員は士職と助士職に分けられ、このうち在来線の士職(機関士・電気機関士・電車運転士・気動車運転士)はそれぞれの職名を明記した腕章を着けて乗務する事が義務付けられていました。
しかし昭和40年代に労働組合が腕章の撤廃を要求するようになり、まずは運転区所で1970(昭和45)年7月1日から写真手前の職名札の着用に改めました。
動力車乗務員の職名札は銀色のアクリル板で、一般的な名札と同様に制服左胸に着用しましたが、あくまでも職名を示すだけの物に過ぎず、職員の所属・氏名までは書かれていません
着用方法も2タイプあり、通常は裏に付いたクリップを胸ポケットに挟んで付ける訳ですが、写真右のように長短2枚の板のうち後の長い板を胸ポケットに差し込むタイプもありました。


タブレットキャリア 通票閉塞式 タブレット閉塞
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax113

腕章・職名札の下段には運転保安の要だったタブレットキャリアと通票があります。
列車が単線区間を走行する時の通行手形という訳ですが、タブレットキャリア単体は通票としての効果を持たず、使用するには金属製の通票を忘れず格納しなければなりませんでした。


追分機関区 区旗 国鉄
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax114

奥に進むと今は無き追分機関区の赤い表札と、これまた貴重な追分機関区旗が3本も展示されています。
オリジナルの旗がある職場って憧れますよねえ。
ちなみに国鉄・JRには社是ならぬ「駅是」、「区是」、「所是」など現業機関ごとに掲げるスローガンがありまして、追分機関区の場合は「協調実践」を区是として掲げていました。
かつての追分町は住民の大多数が国鉄関係者だった鉄道の町。
極端な話、「ご近所さんも皆鉄道員」というような環境だった訳で、家族ぐるみの連帯感は職場でも大切にされてきたのでしょう。


国鉄 追分機関区 職制 組織図 指揮命令系統図 追分運転区 追分運転所 JR北海道
追分機関区職制・組織図(昭和45年度)

ちなみにこちらは資料と聞き取り情報を元に作成した、追分機関区の組織体制図です。
夕張炭鉱の石炭輸送を支える追分機関区は結構な大所帯で、特に1970年の在職人数は478名に上りました。
機関区長を筆頭に首席助役、技術掛(※実際の身分は機関士)、総務助役、事務掛、指導総括助役、指導助役、指導機関士、運転総括助役、運転助役、機関士、機関助士、気動車運転士、整備助役、構内掛、誘導掛、諸機掛、整備掛、燃料指導掛、燃料掛、検修助役、車両検査長、車両検査掛、車両掛・・・と様々な職種が安全安定輸送を守っていました。
機関助士見習も当時は4名が配置されていたのだとか。


追分機関区 お召し列車 御召列車 お召列車 天皇行幸 国鉄 追分駅
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax115

区旗の傍には御召列車の記念品も。
昭和天皇と香淳皇后は1946年から1954年にかけて、戦後復興に尽力する国民を励まそうと「戦後巡幸」をなさいました。
旅の最後は1954年8月、北海道。
両陛下は8月10日に白老、苫小牧を経て夕張にも行幸されており、その際に夕張線にて御召列車を運転する事となり、追分機関区の機関士達が乗務を担当したのです。
その時の記念品として作られたのが、金色の小さな動輪。
「光栄をになへて・・・」との文言が印象的ですね。
御召列車の乗務に抜擢されるのは乗務員にとって、まさにこの上ない名誉だと言われています。


岩見沢車掌区追分車掌支区 苫小牧車掌区追分支区 国鉄 追分車掌区 追分駅乗務員
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax116

こちらは追分町に存在したもう一つの乗務員職場、岩見沢車掌区追分車掌支区の表札です。
追分車掌支区のルーツは1906年10月、北海道炭礦鉄道の国有化に伴い新設された「追分車掌駐在所」まで遡ります。
車掌駐在所というのは車掌監督(後の車掌区長)が列車乗務員(車掌・列車給仕・荷扱手など)を統率する職場の事ですが、その実態は駅の一部門であり、車掌監督も駅に属する管理職でした。
つまり車掌監督が指揮する列車乗務員もまた、広義では駅員の一種だったんですね。
それが1914年3月、「運輸従事員服務規程」の施行により車掌駐在所が駅から分離され、「列車従事員詰所」、「車掌監督詰所」、「車掌室」といった独立した現業機関として再出発したのです。
この時に追分車掌駐在所も追分駅長の管轄を離れたのですが、完全に独立した現業機関とは成らず、室蘭列車従事員詰所の傘下に入って「室蘭列車従事員詰所追分支所」となりました。
更に1929年5月に室蘭車掌所追分支所、1936年9月に室蘭車掌区追分車掌支区と2度の改称をしています。

戦後の1947年1月には室蘭車掌区の管轄だった苫小牧車掌支区が苫小牧車掌区に昇格し、追分車掌支区もより近い苫小牧車掌区の管轄に移り「苫小牧車掌区追分車掌支区」となりました。
そして1959年11月、日高本線・富内線に係る各現業機関の統合により日高線管理所が発足すると、苫小牧車掌区も同管理所に吸収されたため、追分車掌支区は岩見沢車掌区に移管されて「岩見沢車掌区追分車掌支区」に改組されたという訳です。
追分車掌支区は貨物列車の乗務が多く、1969年7月に「貨物列車に乗務しながら貨車の検査を併せて行なう」列車掛制度が開始されると、所属する車掌も多くが列車掛に転身したのだとか。
もちろん列車掛として引き続き追分車掌支区に勤務したといいます。

しかし石炭産業の衰退などで乗務行路が激減すると、1981年6月に一部行路・人員を夕張線紅葉山駅に移管し、同駅長の指揮下で夕張線の乗務に専念する「紅葉山駅乗務員」が発足しました。
程なくして1981年10月、石勝線開通によって紅葉山駅が新夕張駅に改称しています。
その後も追分車掌支区は縮小を続け、1985年3月には岩見沢車掌区追分派出所に改組。
国鉄解体を翌年に控えた1986年3月には、追分駅に移管されて「追分駅乗務員」となりました。
更に新会社発足から1年後、1988年3月に追分駅乗務員は追分運転区に移管。
目まぐるしく組織改正が繰り返されていますね。
追分運転区は国鉄解体の寸前で動力車乗務員と列車乗務員が同じ区の所属になるという、JR東日本の「運輸区」やJR北海道の「運輸所」の走りと言える体制に代わりました。
しかしその体制も長くは続かず、追分運転区が追分運転所に改称されて3ヵ月後、1990年6月を以って追分町から車掌職場が完全消滅しています。
ちなみに石勝線千歳~夕張間のワンマン化は1991年3月の実施で、それよりも9ヶ月も早く車掌人員がカットされた事になります。


記念乗車券 入場券 追分駅
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax117

こちらは追分駅の駅舎改築を記念し、1980年4月10日に販売された記念乗車券。
付属の「追分駅のあらまし」では新駅舎を解説しており、「駅・車掌区・保線区を統合した駅舎として、この4月10日に落成いたしました。新駅は1,626.1㎡、一部2階鉄骨造りの近代的な建物です」とあります。
国鉄では複数の現業機関を入居させるために建設したビルを「総合庁舎」と呼んだのですが、追分駅の新駅舎もまさに総合庁舎の性格を持った物だと分かりますね。
ちなみに分割民営化後はJR各社で「総合事務所」という呼称をよく使っています。


側面方向幕 特急おおぞら 特急スーパーとかち 特急とかち 電報取扱駅 追分駅
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax118

石勝線開通時のニューフェイス、キハ183系にまつわる展示品も豊富です。
右手には追分駅に掲出されていた「電報取扱駅」の看板が。


貨車移動機 スイッチャー 国鉄 追分駅 追分機関区 ディーゼル機関車 JR北海道
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax120

デゴイチの背後には赤い塗装の貨車移動機が連結されています。
これはDB12形という国鉄時代のスイッチャーで、北見市内のSL広場でも同形が静態保存されています。
おそらくは追分駅で入換作業に使われていたのでしょう。


DB12形貨車移動機 スイッチャー 国鉄 D51鉄道資料館
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax121

ステップ側面には「最大速度15粁/時」と書かれています。
「粁」は「キロメートル」の事ですから、現代人に分かり易く書き直すと「15km/h」となります。
楕円形の製造銘板には「福島 協三工業 昭和44年」とあります。
協三工業は福島県福島市に本社を構える鉄道車両メーカーで、主に鉱山で使用する小型ディーゼル機関車や、遊園地の小型蒸気機関車、トランスファーカーなどを製造しています。


線路 軌道
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax122

貨車移動機の目の前には鉄骨の桟橋があり、展示線の左右を行き来できるようになっています。



道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax123

開いたシャッターから延びる線路は、SL倉庫を出てすぐの急斜面を前に途切れています。
バリケードの先には追分小学校の校舎が見えますね。
小学校の近くにある保存車両かあ・・・子供の頃に憧れたシチュエーションですw


DB12形貨車移動機 スイッチャー 国鉄 追分駅 追分機関区 SL倉庫
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax124

桟橋の上からDB12形貨車移動機を真正面に眺めた様子。
国鉄末期は「動車運転係」という駅員が、貨車移動機やフォークリフトなどを運転していました。
貨車移動機はあくまでも駅構内でしか運転できない運搬機械なので、駅員に運転を任せていたんですね。


桟橋を渡りきって反対側の展示もひとしきり眺めました。


※写真は全て2020年8月14日撮影

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最終更新日 : 2020-12-14

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