タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2020-08-22 (Sat) 19:04

「道の駅あびらD51ステーション」の鉄道資料館に行く[1]

道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax01

前回記事に書いたとおりですがお盆休み中、2019年4月に開業した道の駅あびらD51ステーション」に行ってきました。
この施設は室蘭本線追分駅から東に徒歩13分、国道234号線沿いの追分柏が丘にあります。
屋外には国鉄特急色に復元されたキハ183-214が静態保存されており、屋内にも「安平町鉄道資料館」(旧:追分町鉄道記念館)を移転オープンした展示室が設けられています。
スラントノーズをひとしきり眺めた後、屋内の「D51鉄道資料館」を見学する事にしました。


JR北海道 国鉄 室蘭本線 石勝線 追分駅 追分機関区 車両基地 鉄道博物館
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax06

かつては夕張炭鉱の石炭輸送を支える大勢の国鉄職員が暮らし、「鉄道の町」と呼ばれるほどの要衝だった追分町。
追分駅をはじめ追分機関区、岩見沢車掌区追分車掌支区、追分保線区、同追分保線支区、岩見沢電気区追分信号支区といった現業機関が集まり、様々な職種の国鉄職員が働いていました。
道の駅の建物も鉄道の木造駅舎を彷彿とさせる姿。
その正面には左右に延びる庇を設けており、まるで手前の歩道をプラットホームに見立てているかのようです。


JR北海道 国鉄 室蘭本線 石勝線 追分駅 追分機関区 車両基地 駅名標
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax08

庇の支柱には駅名標を模した縦書き看板が付いています。


道の駅あびらD51ステーション 駅舎 駅本屋 キハ183系200番台 キハ183系基本番台
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax03

駅舎の真ん前には安平町循環バスの「道の駅前」停留所が設置されています。
町役場の担当部門は地域推進課地域推進グループです。
運賃は一律で大人200円、子供100円(※未就学児は無料)です。
ただし運行日は平日に限定しており、しかも1日5往復しか運転しない点に注意が必要です。
また車内には降車ボタンが無いため、降りるバス停が近づいてきたら運転手に「次の○○で降ります」と宣言しなければなりません。



道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax02

駅舎の正面玄関には「祝 来場100万人達成」との看板を掲げていました。
「道の駅あびらD51ステーション」は開業から1年2ヶ月半が経過した2020年7月3日、通算の来場者数が100万人を記録したんですね。
安平町役場が威信をかけて建設した道の駅は、町おこしに大いに貢献している事が分かりますね。
訪問当日も警備員達が駐車場の交通整理に当たる中、ひっきりなしに自動車が出入りし賑わいを見せていました。



道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax09

記念看板の斜め向かいには顔ハメ看板も。
安平町を象徴する景色である菜の花畑を往くデゴイチがでかでかと描かれ、それに乗務する動力車乗務員(機関士・機関助士)になった気分で記念撮影できます。


追分機関区 夕張線 室蘭本線 石勝線
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax10

顔ハメ看板の傍の壁には動輪のモニュメントが誇らしげに掲げられています。



道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax07

正面玄関を進むとエントランスホールが広がっています。
その右手では「D51 STATION CAFE」と「D51 STATION SHOP」の2店舗が営業しており、カフェの方は特製ソフトクリームや熟成カレーなどをテイクアウトできます。
ショップの方は特産品・ベーカリーコーナーとなっており、安平町産の生ハム・ソーセージ・チーズ・トマトジュース等に加え、地元の食材で作った焼き立てのパンを販売しています。



道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax04

正面玄関左手はアトリウム。
椅子とテーブルが置かれ、テイクアウトした料理をその場で食べる事も出来ます。


追分駅 木造駅舎 国鉄 JR北海道 JR貨物 炭鉄港 夕張炭鉱 SL
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax05

アトリウムの奥には木造駅舎を模した屋根があり、「追分駅」の駅名板を掲げています。
その下には『祝 2019日本遺産認定「炭鉄港」構成文化財「D51 320」』と書いた看板を出していますね。
「炭鉄港」は近代北海道の礎となった空知・室蘭・小樽の3都を、炭(石炭産業)、鉄(鉄道・製鉄)、港(港湾)の各テーマで結ぶ事により、人と知識の新たな動きを作り出そうという取り組みを指しています。
そして安平町で保存されているD51形320号機も、追分機関区に所属し石炭輸送を担った蒸気機関車として「炭鉄港」の構成文化財に認定されているのです。
2019年5月には文化庁が「炭鉄港」を日本遺産に認定しており、ひいてはD51形320号機も近代産業を支えた日本遺産の一つと見なされたという事になるんですね。
そんなデゴイチは駅舎風の屋根を潜った先、「SL倉庫」に鎮座しています。


D51鉄道資料館
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax11

SL倉庫の手前には安平町(合併前の追分町・早来町を含む)における鉄道の歴史を伝える展示室が広がっています。
ここが「D51鉄道資料館」ですね。



道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax12

資料館に入って左手には「安平町鉄道年表」があり、その下のショーケースには実際の旅客列車に使用されたサボが展示されています。
年表の内容を抜粋すると下記の通りです。

1892年(明治25年)
2月1日 北海道炭礦鉄道室蘭(今の東室蘭)~岩見沢間開業。追分駅・由仁駅開業。追分機関庫設置。
10月1日 北海道炭礦鉄道追分~夕張間開業。

1894年(明治27年)
8月1日 早来駅開業。

1900ね(明治33年)
6月1日 安平村戸長役場設置。

1902年(明治35年)
5月 北海道炭礦鉄道追分骸炭(コークス)製造所設置。
9月21日 遠浅駅開業。
10月11日 安平駅開業。

1906年(明治39年)
4月1日 北海道二級町村制施行、安平村となる。

1919年(大正8年)
9月 追分~夕張間複線化(昭和7年11月単線化)。

1920年(大正9年)
8月10日 苫小牧~遠浅間複線化。

1921年(大正10年)
10月4日 遠浅~追分間複線化。

1923年(大正12年)
4月1日 安平村に北海道一級町村制施行。

1936年(昭和11年)
9月1日 鉄道省の業務機関名称改正により追分機関庫は追分機関区となる。

1944年(昭和19年)
7月5日 追分~三川間複線化。

1952年(昭和27年)
8月1日 安平村から追分村分村。

1953年(昭和28年)
10月1日 追分村町制施行、追分町となる。

1954年(昭和29年)
10月1日 安平村は早来村と名称変更。

1957年(昭和32年)
1月1日 早来村町制施行、早来町となる。

1961年(昭和36年)
1月14日 札幌~夕張間(岩見沢経由)に準急「夕張」登場(1968年=昭和43年10月1日急行格上げ)。

1965年(昭和40年)
3月1日 夕張線東追分駅開業。

1968年(昭和43年)
9月15日 由仁~栗山間複線化。

1969年(昭和44年)
9月22日 栗山~栗丘間複線化。

1975年(昭和50年)
12月14日 室蘭本線で国鉄最後の蒸気機関車による旅客列車運転(C57 135号機牽引)。
12月24日 夕張線で国鉄最後の蒸気機関車による貨物列車運転(D51 241号機牽引)。

1976年(昭和51年)
3月2日 追分駅構内入換の9600形使用停止、国鉄の蒸気機関車全廃。79602号機は予備として3月25日まで移動状態。
4月13日 追分機関区で火災発生。扇形車庫にあった保存予定の蒸気機関車(D51 241号機ほか)やディーゼル機関車など13両被災。

1980年(昭和55年)
4月1日 追分駅舎改築竣工(現駅舎)。

1981年(昭和56年)
10月1日 石勝線千歳空港(今の南千歳)~追分~新得間開業、帯広・釧路方面への特急「おおぞら」・急行「まりも」は石勝線経由となる。キハ183系による特急「おおぞら」が追分に初登場。
追分機関区に車両配置がなくなり、乗務員だけの配属となる。のちに追分運転区となる。

1987年(昭和62年)
4月1日 国鉄分割民営化、北海道旅客鉄道(JR北海道)発足。
10月13日 北炭真谷地炭鉱閉山による沼ノ沢駅貨物扱い廃止、石勝線支線(夕張支線)の石炭列車消滅。

1990年(平成2年)
3月10日 追分運転区は追分運転所に改称。のちに岩見沢運転所追分派出所となる。
4月1日 JR貨物の新夕張~清水沢間鉄道事業廃止(同区間貨物列車廃止)。
4月23日 栗山~栗丘間単線化。

1992年(平成4年)
7月 岩見沢運転所追分派出所が追分駅に編入。

2005年(平成17年)
3月 追分駅所属の運転士を岩見沢運転所に編入。

2006年(平成18年)
3月27日 追分町と早来町が合併、安平町となる。

2016年(平成28年)
3月26日 石勝線東追分駅廃止、信号場となる。

2018年(平成30年)
9月6日 平成30年北海道胆振東部地震発生、安平町内でも被害。

2019年(平成31年)
4月 道の駅 あびらD51(デゴイチ)ステーションオープン。

上記の通り、安平町の鉄道に関る歴史を記してあります。
なお、追分機関区の歴史をかいつまんでみると、追分機関区から追分運転区への改称、追分運転所から岩見沢運転所追分派出所への改組について詳しい時期が書かれていません。
その答えは追分機関区OBが編纂した書籍『追分機関区のあゆみ』(2004年/「追分機関区のあゆみ」実行委員会)と、国鉄運転局車務課の課員・中村芳明さんが『鉄道ジャーナル』1987年5月号に寄稿した「車両基地の名称変更と最近の状況」に載っています。

まず、追分機関区は分割民営化直前の1987年3月1日、追分運転区に改称しています。
当時の国鉄は「機関区」の名称をJR貨物に引き継ぐ運転関係区所に限定し、旅客鉄道会社に引き継ぐ機関区を「運転区」または「運転所」に変更したのです。
このうち「運転区」は比較的規模の小さな機関区の新名称に充てています。
逆にJR貨物が引き継ぐ運転区・運転所については、全て「機関区」に変更・統一したんですね。
客貨車区についてもJR貨物に引き継ぐ箇所を「貨車区」に統一し、旅客鉄道会社の継承分を「客車区」に統一しました。
追分機関区の場合はJR北海道が継承する事になったので、追分運転区に改称したという訳です。
なお、追分機関区時代は1970年時点で478名もの職員が在籍しましたが、JR北海道が発足すると追分運転区には76名が配置され、17年間で実に1/6もの減員が成された事になります。

そしてJR北海道は1990年3月10日、現業機関の組織単位である「区」を「所」に統一する組織改正を実施。
これにより車掌区は「車掌所」、運転区は「運転所」、保線区は「保線所」、営林区は「営林所」、建築区は「建築所」、機械区は「機械所」、電力区は「電力所」、信号通信区は「信号通信所」、電気区は「電気所」に改称・統一されました。
追分運転区も右ならえで追分運転所に改称した後、1990年9月1日に早くも岩見沢運転所の傘下に入り、岩見沢運転所追分派出所に改組されています。
派出所は概ね10名前後の係員により組織される極めて小規模な組織単位で、管理者も「所長代理」に指定された助役1名を配置するか、或いは助役すら省略して「代表主任」1名に助役の代理をさせるのみ。
追分派出所の場合は技術助役1名を配置しており、追分駅に編入されてからも技術助役が引き続き勤務し運転士を統率してきました。


夕張支線 夕張線 廃止 廃線 側面サボ
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax13

年表手前のショーケースには2019年3月31日にラストランを行い、同年4月1日付で廃止された石勝線夕張支線(新夕張~夕張間)の普通列車に使用されたサボが展示されています。



道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax14

「鉄道の街・追分」の姿を伝える貴重な写真の数々。
追分は鉄道敷設と共に作られた町だと言われており、最盛期には住民の半数以上を鉄道関係者とその家族が占めたのだとか。
かつての北海道は追分に限らず、岩見沢市、名寄市、音威子府村、遠軽町、新得町、池田町など、住民の大多数を国鉄関係者が占める街が多く点在し、「国鉄の町」、「国鉄の村」などと呼ばれていました。
こうした街は国鉄解体・分割民営化の激動期に大規模な人口流出が起き、国鉄職員を相手に商売をしてきた飲食店や下請けの建設会社なども相次ぎ廃業するなど、地域経済に与えた影響も並々ならぬものでした。


追分機関区 扇形車庫 SL 蒸気機関車 車両基地
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax15
SL鉄道資料館の展示より

在りし日の追分機関区。
奥には転車台を構えた扇形車庫が見えます。
この光景も1976年4月の火災で失われ、今では追分駅の西側に広がる空き地や、マルタイ車庫として僅かに残された構内配線にかつての面影を残すのみです。

追分機関区 追分機関庫 扇形車庫 鉄道模型 ジオラマ

道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax19

展示室の中央には扇形車庫の模型が展示されています。


D51鉄道資料館 勇払郡安平町追分柏が丘
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax16

そして黒い衝立の裏に回ると・・・



道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax17

・・・北炭真谷地炭鉱で採掘された「夕張目無炭」が展示されています。
目無炭とは石炭を採掘していると稀に見つかる、筋が無くて硬度がある塊の事です。
その輝きから「黒ダイヤ」とも呼ばれており、そこから派生して重要なエネルギー源であった石炭全般を「黒いダイヤ」と称するようになったのだとか。


追分駅 夕張線 室蘭本線 追分機関区 国鉄 石炭列車
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax18
SL資料館の展示より

夕張目無炭の背後には石炭ヤードとして栄えた追分駅の光景が見られます。
石炭車が見切れるほどの長大編成を組んでおり、貨物側線も多く敷かれています。
現在の追分駅とは比べ物にならないほどの活気に満ちていますね。



道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax20

道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax21

道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax22

展示室右手にはデゴイチの立派な木製模型が鎮座。
車号は「D51 498」を示していました。
D51形498号機の実機は1940年に国鉄鷹取工場で製造され、岡山機関区、吹田機関区、平機関区、長岡第一機関区、直江津機関区、新津機関区、坂町機関区と本州各地を転々とした末、1972年12月を以って一旦引退。
その後暫くは上越線の後閑駅前で静態保存されていましたが、JR東日本が1988年3月に引き取って動態保存しています。
現在は高崎車両センター高崎支所(旧:高崎運転所)に所属し、臨時快速「SLぐんま みなかみ」の牽引機として活躍していますが、なぜ追分機関区と縁の無いカマの模型を展示しているのかは謎です。
よく見ると電源コードを装備しており、どうやら通電すると何らかの動作をするようです。
もしかしたら充電式で走るのかも?


改札口 木製ラッチ SL倉庫
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax23

展示室からSL倉庫への入口。
頭上には「改札口」と表示しており、ご丁寧に左右には木製ラッチも備えてあります。


手動転轍機 転轍機標識 転轍器 
道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax24

左手のラッチには何故か手動転轍機が収まっています。
転轍機標識も付いています。



道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax25

転轍機をよく見ると駅名標を模したステッカーが貼られており、「なまらあつい」と注意書きを示していましたw
要するに頂点のランプ標識に通電している最中は、本体が熱くなるので触らないで・・・と注意喚起しているんですね。

「なまら」は標準語で「とても」を意味する言葉で、しばしば北海道弁の代表格とされていますが、元は新潟弁です。
明治・大正期の北海道は新潟県からの入植者が特に多く、その人数は46都府県のうち青森県に次いで2位。
だから新潟弁の「なまら」も定着しやすかったという訳ですが、実は新潟県からの入植者が少ない道東(十勝・釧路・根室)ではほとんど使われない言葉です。

ちなみに帯広農業高校が舞台のモデルとなった漫画『銀の匙』の作中で、ヒロインの御影アキ(余談だが御影は十勝管内の清水町に実在する地名)が「なまら楽しかった!」という場面があるのですが、あれはおそらく担当編集者に書かされたんだろうなあ・・・と察しました。
何しろ作者の荒川弘先生は十勝管内の忠類村出身で、ご自身が実家で農業を手伝っていた頃の体験を元にしたエッセイ漫画『百姓貴族』では「アキアジ」などの方言が出る事はあっても、「なまら」が使われた事は一度もありませんからね。

小学校高学年~中学時代に帯広に住んでいたという辻仁成さんも、エッセイ『そこに僕はいた』で「帯広の人は方言らしい方言を使わない」と述懐されていました。
私も母方の実家が十勝管内で、親戚・知人も多くが十勝に住んでいますが誰も「なまら」と言わないものですから、札幌に引っ越してきた頃に「なまら」を使う人が多くてビックリしましたw
札幌周辺は新潟県からの入植者が多いからですね。

でも母方の叔母に聞いた話では1970年代、Mr.デーブマン(高田文之さん)というHBCラジオのDJが番組内で「なまら」を多用していた影響から、周囲で一時期だけ流行った事があるそうな。
ちなみに当の叔母は高校時代、悪ふざけで「Mr.デーブマン!なんでアンタはデブなんだよ!」とハガキを送った事があるらしいwww
しかも本人に番組内で読まれたというから驚きです。



道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax26

もう1枚、これまた駅名標を模した「さわらない」の注意書きです。
「~ない」というのはアイヌ語由来の地名に多く見られますね。
アイヌ語で「小さな川」を意味し、宗谷本線紋穂内駅や根室本線札内駅など、実際に近くで川が流れているのを確認できます。
そして「さわら」も実はアイヌ語由来の地名が存在しまして、それは道南の砂原町(さわらちょう)ですね。
鉄道ファンに分かり易く言うと、函館本線砂原支線の沿線です。
砂原の語源となるアイヌ語は「サラキ」だといい、和訳すると「鬼茅」となります。
他に「湿地」を意味する「サラ」から来ているという説もあり、現在の地名からしてこちらの方がより有力な説かと思います。
こうして見ると「さわらない」もアイヌ語由来の地名にありそうな語感。
この5文字を駅名標に書こうとした製作者のセンスに脱帽しました。



道の駅あびらD51ステーション(鉄道資料館)ax27

改札口の黒板は「伝言板」となっており、普段はSL倉庫内に格納しているD51形320号機の屋外展示予定を告知していました。
これによると次回は2020年8月16日、つまり訪問当日の2日後でした。
しかしその日は別の予定があったのであえなくスルー。
また次の機会に見に行ってみる事にしましょう。


そしていよいよSL倉庫へと足を踏み入れます。


※写真は特記を除き2020年8月14日撮影


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最終更新日 : 2020-12-14

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