タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2020-08-02 (Sun) 23:26

廃止2ヶ月半後の札沼線石狩月形駅構内を見る[2]

廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a201

引き続き札沼線北海道医療大学~新十津川間の廃止から79日後、2020年7月24日に石狩月形駅を再訪した時の模様を取り上げましょう。
今回は構内踏切から住宅地まで延びる歩行者用通路を横断し、西側の公道を歩いて駅構内を眺めてみましょう。
まずは集合住宅前から木造駅舎を撮影。



廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a202

廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a205

停止位置目標やワンマン運転用バックミラーは既に撤去されており、それらを掲げた支柱が虚しく残されていました。
しかしよく見ると1本だけ、「桑園方面ワンマンカー乗車口」の案内札を付けたままです。
石狩月形駅の島式ホームは駅舎寄りの2両分だけ床を底上げしており、砂利を保持するため縁端には緑色の鉄骨が据えつけられています。


札沼線末端区間 学園都市線 札沼線北部 廃線跡 廃駅 島式ホーム 国鉄 JR北海道
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a204

ホーム南端にも柵が設置され、「立入禁止」の札を掲げています。
札沼線月ヶ岡~札比内間のトロッコ鉄道計画が実現すれば、このプラットホームに再び立つ事も出来るのでしょうか?


JR北海道 国鉄 JR貨物 月形町農業倉庫 貨物列車
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a206

その東側には赤レンガの月形町農業倉庫。
倉庫の手前には国鉄時代、貨物積卸線として使用された1番線が敷かれています。
昔は月形町内の農家が収穫した野菜や米が、この農業倉庫に集約されて貨物列車に積み込まれていたんですね。
札沼線を訪れる鉄道ファンの多くには無視されがちでしたが、駅前に建つ農業倉庫も札沼線の歩みを伝える貴重な史跡です。


札沼線末端区間 学園都市線 札沼線北部 廃線跡 廃駅 出発信号機 国鉄 JR北海道
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a203

石狩当別方には2番線と3番線の上り出発信号機が残されています。
札沼線石狩月形~新十津川間はスタフ閉塞でしたが、石狩月形駅より南は桑園駅に至るまで自動閉塞。
しかし駅構内の信号設備は自動化されていないため、これら2基も下り出発信号機と同様、終日勤務の輸送主任が駅事務室で手動操作していました。


丸山1号線踏切 札沼線末端区間 札沼線北部 札沼北線
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a207

そして歩行者用通路から147mほど南方、丸山1号線踏切に到着。
この踏切が石狩月形駅構内の最南端です。


丸山1号線踏切 札沼線末端区間 札沼線北部 札沼北線
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a209

クロスマーク(踏切警標)が撤去された踏切警報機。
赤く点滅した警報灯は黒いカバーで覆われており、既に機能していない事をドライバーや歩行者にアピールしています。
ただし故障表示灯は裸のまま。


丸山1号線踏切 札沼線末端区間 札沼線北部 札沼北線
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a208

「丸山1号線踏切」の表示板も健在。
運行管理センターで信号通信関係を担当する、札幌信通指令の電話番号も消されていません。
ちなみに運行管理センターには信通指令の他にも、輸送指令、運用指令、施設指令、電力指令が設置されており、これら5系統の連携により鉄道輸送を支えています。


丸山1号線踏切 札沼線末端区間 札沼線北部 札沼北線
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a216
丸山1号線踏切 札沼線末端区間 札沼線北部 札沼北線
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a220

遮断機も遮断かんが抜かれた状態です。


丸山1号線踏切 札沼線末端区間 札沼線北部 札沼北線 廃線跡
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a213
丸山1号線踏切 札沼線末端区間 札沼線北部 札沼北線 廃線跡
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a215

丸山1号線踏切のレールは撤去されておらず、この事からもJR北海道がトロッコ鉄道計画に配慮している事が窺えます。
企画者のレールネット北海道によるとトロッコ鉄道は、石狩月形~札比内間7.2kmの「札比内線」、町境~月ヶ岡~知来乙間4.4kmの「月ヶ岡線」の2系統とする予定です。
現時点では知来乙~石狩月形間のトロッコ営業は計画していないようですが、この踏切の更に南方に2番線と3番線に枝分かれするスプリングポイントがありますので、札比内線の折り返しの都合を考慮し残しているものと思われます。


札沼線末端区間 札沼線北部 札沼線非電化区間 石狩月形駅 廃線跡 廃駅
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a210

丸山1号線踏切の中から駅構内を眺めます。
ここにも立入禁止の柵が設置されていますが、道路からやや離れた位置に立っているので、その手前なら線路に入る事が出来ます。


札沼線末端区間 札沼線北部 操車 石狩月形駅 廃線跡 廃駅
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a211
JR北海道 国鉄 転轍器標識 手動転轍器 分岐器 運転取扱業務
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a212

柵の手前、2番線上には1番線に接続する手動転轍機があります。
手動転轍機にはランプ付きの転轍機標識が付いており、円形の青い札を列車側に向けている事から、ポイントの作る進路が「定位」にある事が分かります。
ただし夜間は標識が視認できないため、代わりにてっぺんのランプを青く点灯させる訳ですね。
何度も述べているとおり1番線は貨物積卸線だったものですが、1979年2月の貨物フロント廃止後は保守用車の留置線として活用されており、入出線の際には輸送主任がこのレバーを扱っていました。


札沼線末端区間 札沼線北部 札沼線非電化区間 石狩月形駅 廃線跡 廃駅
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a214

柵越しに駅構内を眺めた様子。
丸山1号線踏切から島式ホームまで、そこそこ離れています。


札沼線末端区間 札沼線北部 札沼線非電化区間 石狩月形駅 廃線跡
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a217

逆に石狩月形駅から南下していく方も見てみましょう。
こちらもやはり立入禁止の柵が設置されています。


札沼線末端区間 札沼線北部 札沼線非電化区間 石狩月形駅 廃線跡 廃駅
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a218

柵越しに石狩当別方の単線を眺めた様子。
改めて実感しますが札沼線末端区間の軌道はやはり、道床が結構な薄さですよね。
おまけにレールはか細い30kgレール、マクラギもほぼ木製で旧時代的な軌道構造です。
これでは列車もスピードをつけて走れない訳で、速度の低さが乗客の減少に拍車をかけた側面もあるでしょうね。
石狩太美以北の保線を担当した札幌保線所石狩当別保線管理室も、末期は補修工事を最小限まで減らしていたようで、ヨンマルに乗るとそこかしこで線路の歪みに起因する震動を感じました。
特に揺れが大きかったのは豊ヶ岡~札比内間のカーブだったかなあ・・・。


札沼線末端区間 スプリングポイント 発条転轍機 発条転轍器 分岐器
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a219

そしてこちらが2番線と3番線に枝分かれする発条転轍機(スプリングポイント)。
国鉄後期に閑散線区を主として推進された、駅業務執行体制の見直しによって導入された分岐器ですね。
これは転轍機を制御する動力を省略し、進路構成を原則として定位のみとする単純な設備です。
「定位」を示す転轍機標識の青丸はアルファベットのSに白線1本を被せたもので、これこそが発条転轍機専用の標識です。
Sは言わずもがな「Spring point」の頭文字で、つまりバネの力を利用して転換する転轍機という訳ですね。

例えば石狩月形駅の場合、基本的に着発番線を方面別に振り分けており、上り列車(石狩当別方面)の乗り場を2番線、下り列車(浦臼・新十津川方面)の乗り場を3番線としていました。
したがって丸山1号線踏切の傍にある発条転轍機は、下り列車が進入する3番線を定位としています。
そして、駅舎の北側にある発条転轍機は、上り列車が進入する2番線を定位としており、トングレールが常に指定の番線に向いている訳です。

一方、2番線の上り列車が駅南側の発条転轍機に、3番線の下り列車が駅北側の発条転轍機を越える場合は「反位」となります。
通常の転轍機なら反位の状態で列車が通過しようとする(割出し)と脱線や転轍機の破壊を招きますが、発条転轍機はバネと油圧シリンダーを内蔵しており、列車の割出しに対応してトングレールを転換する事が出来ます。
そのおかげで反位でも列車は問題なく通過でき、トングレールも列車の通過後にはバネの作用で自動的に定位に戻るという訳です。
ゆえに転轍機の操作を担当する駅員の省略が可能となり、駅業務の合理化に繋がったんですね。


丸山1号線踏切 札沼線末端区間 札沼線北部 札沼北線 廃線跡
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a221

丸山1号線踏切を横断し、東側から眺めた様子。
踏切防護柵もバッチリ残っています。


札沼線末端区間 学園都市線 札沼線北部 廃線跡 廃駅 島式ホーム 国鉄 JR北海道
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a222

そして農業倉庫前の道路を北へ歩き、駅舎へと戻る道中。
レール置き場の木製電柱(写真左)をよく見ると・・・


添乗標識 月形保線区 月形線路分区 線路巡回 列車巡視
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a223

・・・随分と赤錆に塗れた鉄板の標識を発見。
これは廃止前に気付かなかったなあ。
どうも4文字が表示されているようですが、経年劣化による文字の掠れが激しく、上2文字だけ「添乗」とあるのを解読できました。
電柱の位置がホーム南端に近い様子から察するに、おそらくは保線員が列車巡視(列車の先頭に添乗して行う線路状態の検査)を行う際に指定された乗車位置だったのかも知れません。

石狩月形には戦前、札沼線の保線を担当する月形保線区が開設されていました。
ここは鉄道ファン必携の書『保線のはなし』(1970年/鉄道図書刊行会)の著者である西本三郎さんが、軌道設計や工事計画等を行う線路担当の技術員(戦後の技術掛→国鉄末期の技術主任・技術係)として勤務された古巣でもあります。
しかし戦時下に札沼線石狩当別~石狩沼田間が不要不急線に指定されると、月形保線区も1944年7月を以って廃止となってしまいました。

戦後は札沼線の営業再開を求める声が集まり、まずは1946年12月に石狩当別~浦臼間を復旧。
最終的に1956年11月までに石狩沼田駅までの全区間が復旧し、その途上で月形保線区に代わる現業機関として札幌保線区月形線路分区が開設されました。
この標識も月形線路分区の開設時に設置された物でしょう。
すると月形線路分区の事務所は駅の東側にあったのかも。
しかし『当別町史』(1972年)によると月形線路分区は1956年9月、札沼線の全線復旧を目前にして廃止されています。
これに伴い担当区域を石狩当別線路分区が継承し、石狩月形線路班を含む各線路班についても石狩当別の管轄となった模様。

その後、国鉄施設局が1963年4月より「軌道保守の近代化」を旗印に掲げた保線支区の設置を進め、札幌保線区も新体制への脱皮を図る事となりました。
石狩当別線路分区も札幌保線区石狩当別保線支区(後の札幌保線所石狩当別保線管理室)に改組。
保線員の多くは月形を去りましたが、入れ代わって石狩当別保線支区に属する石狩月形検査班が置かれ、軌道検査長と軌道検査掛が線路の検査を行うようになりました。
国鉄末期の合理化で石狩月形検査班は廃止されているので、この標識は月形の鉄道の歴史を伝える貴重な遺構なのかも知れません。


木造駅舎 廃駅 廃線跡
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a224

駅舎の横にも忘れてはいけない鉄道設備が。


継電器室 閉塞装置 岩見沢信号通信区 ケーブルハウス
廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a225

こちらの小屋は石狩月形駅の継電器室です。
信号設備に係る電力の出力・制御を行う施設ですね。



廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a226

玄関の表札を見ると、今は無き国鉄岩見沢信号通信区の名が残っています。
かつては岩見沢信号通信区が継電器室のメンテナンスを担当していたという訳ですが、そもそも札沼線が乗り入れない岩見沢市内の現業機関が担当区域に含めていたというのも奇妙な話。



廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a227

車庫を挟んで隣に建っているのは、通信設備を格納するケーブルハウス。



廃止2ヶ月半後の石狩月形駅a228

ケーブルハウスの表札にも「岩見沢信号通信区」と明記していますが、よく見ると「札幌」の2文字を消した痕跡がありますね。
継電器室の表札についても、「岩見沢」の3文字だけ明らかに後で書き直したような不自然さでした。
元々は札幌信号通信区が石狩月形駅の信号通信設備を受け持っていたところ、後年になって岩見沢信号通信区に移管したのだという事が読み取れますね。

札幌信号通信区は国鉄初の信号区として1950年5月に開設された岩見沢信号区をルーツに持ち、1977年4月の組織改正で発足した現業機関です。
一方、岩見沢信号通信区は1964年4月に開設された岩見沢電気区の信号通信部門をルーツに持ち、1974年4月に発足した現業機関であり、こちらは札幌信号通信区よりも3年早いですね。
一体どうして札幌信号通信区から岩見沢信号通信区に移管したのやら。
まあ鉄道施設の保全は自動車を使っての移動が当たり前になりますから、クルマで通い易い岩見沢の方に移管する方が効率的と判断されたのでしょうね。





50分ほどの滞在で駅構内の観察は終了。
カーステレオでアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ(Art Blakey & The Jazz Messengers)のライブ盤『UGETSU』を流しつつ、自宅までクルマを転がしましたとさ。
しかし長時間のドライブは眼精疲労がきつくて大変ですね。
やっぱり列車の方が気楽で良いな・・・と、公共交通機関の有り難味を改めて実感しました。


※写真は全て2020年7月24日撮影
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最終更新日 : 2020-08-02

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