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2020-07-16 (Thu) 22:36

根室本線芦別駅[4] 石炭輸送を支えた信号扱所と芦別保線支区

芦別駅a201

引き続き空知管内は芦別市本町にある、JR北海道の芦別(あしべつ)駅を取り上げましょう。
第1回で芦別駅の大まかな歴史第2回で木造駅舎の待合室、第3回でプラットホームの様子を見てきました。
しかし実はまだまだ駅構内に見所がありまして、1駅の紹介に4回も記事を割く事になりますがもう暫くお付き合い下さい。
ホームから上り方向(滝川方面)を眺めると、2階建ての白い建物が線路に寄り添っているのを視認できます。


JR北海道 国鉄 炭鉱都市 芦別炭鉱 JR貨物
芦別駅a202

2番線ホームは跨線橋付近で途切れてしまいますが、1番線ホームは更に東へと延びており建物に接近できます。
上り列車の4両停止位置目標を超えてホームの端に向かいましょう。


JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 芦別駅信号扱所 運転取扱業務 輸送本部
芦別駅a203

この建物は芦別駅信号扱所です。
かつて芦別炭鉱で採炭が展開されていた頃、芦別駅は石炭輸送拠点として数多くの貨物側線を有していました。
三井芦別鉄道の石炭列車も入線し、国鉄線に直通して道内各方面へと石炭を運搬していたのです。
そして駅構内における信号制御を一手に担い、石炭輸送を支える大黒柱として機能したのがこちらの信号扱所という訳ですね。
玄関前には上り出発反応標識が設けられています。


JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 芦別駅信号扱所 運転取扱業務
芦別駅a204

一方、上り出発信号機は信号扱所から約210mも離れており、これだけでも芦別駅の広大さを実感させられます。
転轍機も出発信号機の付近にあるため、プラットホームから見るとちょっとした複線区間の様相です。
反対の下り出発信号機に至っては倍以上、約500mも離れています。
駅全体の直線距離は900mを優に越えますね。


JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 跨線橋 トラス橋 陸橋
芦別駅a205

上り4両停止位置目標の頭上には、芦別駅を跨いで東西を結ぶ陸橋があります。
道幅の細い歩行者専用ですが優美なトラス橋です。


JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 芦別駅信号扱所 運転取扱業務 輸送本部
芦別駅a209
JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 芦別駅信号扱所 運転取扱業務 輸送本部
芦別駅a208

トラス橋に上って信号扱所を眺めた様子。
これとよく似た形状の信号扱所は、同じ根室本線の赤平駅と富良野駅にあります。
国鉄北海道総局が編纂した書籍『北海道鉄道百年史 下巻』(1981年)の年表によると1966年11月、赤平駅、芦別駅、富良野駅の3駅に第1種継電連動装置を導入したとあります。
この信号扱所に第1種継電連動装置が設置された事は想像に難くありません。

今や無人の信号扱所ですが、ごく稀に岩見沢電気所滝川派出所の電気係員や、㈱ドウデンの電気作業員が出入りしているのを見かけますので、信号設備自体は室内に残されているようです。


JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 芦別駅信号扱所 運転取扱業務 輸送本部 駅員
芦別駅a207

信号掛が駅構内を見渡せるよう、広く取られた2階の窓が如何にも昔気質の信号扱所といったところ。
かつては輸送助役をはじめ運転掛(後の運転主任)、信号掛(後の運転係・輸送管理係)が2階に詰めて、信号扱いや運転整理(輸送障害に伴う着発番線の変更など)、乗務員に渡す運転通告券の発行、工事に伴う線路閉鎖手続きといった運転取扱業務を昼夜の別なくこなしていたのでしょう。
その頃の活気を思い浮かべると胸が熱くなりますね。


JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 芦別駅信号扱所 運転取扱業務 ヤード
芦別駅a210
JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 芦別駅信号扱所 運転取扱業務 操車場
芦別駅a211

駅構内北側を俯瞰した様子。
1番線・2番線とは別に、貨物列車専用だった4番線が残されています。
芦別炭鉱が健在の頃は4番線の外側に9本もの貨物側線を構えていましたが、石炭列車の消滅した現在では緑に埋もれています。
雑草どころか木まで見事に成長していますね。

ローカル情報サイト『芦別物語』には1972年時点の写真が掲載されており、これを見ると当時は信号扱所の手前に木造平屋が建っていた事が分かります。
おそらくは操車掛(後の運転係・輸送管理係)、構内作業掛(後の構内係・構内指導係)が詰める運転事務室として使われていたのでしょう。


JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 出発信号機
芦別駅a220

出発信号機は1番線(上下本線)、2番線(上下副本線)に加えて、何と4番線の物も撤去されずに残っています。
本線と4番線を繋ぐ転轍機は、11線踏切から見て1ヶ所目に設けてあります。


JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 運転取扱業務 貨物側線
芦別駅a212

広大な駅構内の西端には用水路があり、線路と並行するように延びています。


JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 運転取扱業務 貨物側線
芦別駅a213

ところで駅構内を撮影した写真を改めて眺めると、一つ発見がありまして・・・


JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 運転取扱業務 貨物側線
芦別駅a214

・・・ほら、左手に赤いトタン屋根の民家がありますよね。
「への字」の傾斜を付けた招き屋根に加え、屋根下に収まった半屋外構造のベランダという、昭和40~50年代に建てられた北海道の戸建て住宅に多いスタイルです。
しかし問題はそこではなく、この民家から下へ視線を移してみてください。



芦別駅a215

引き伸ばしまくって画質が大荒れですが、用水路の傍にトークバック(高声電話機)が残っているのを確認できますね。
既に貨物側線が廃止されて久しい訳ですが、往事の操車掛たちが使用していた設備が撤去されずに残っているのかあ・・・と感慨深くなりました。


JJR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 運転取扱業務 貨物側線
芦別駅a216

今度は逆に駅構内南側を俯瞰してみましょう。
プラットホームに面して敷設され、三井芦別鉄道の乗り場として使われた3番線は撤去され、草が茫々に生い茂っています。
その隣には4番線が今なお健在、こちらは元よりプラットホームがありません。
そして4番線の外側に合計9本の貨物側線が連なった訳ですが、よく見るとレールが残っていたり、レールが撤去された箇所にも2本の轍がくっきり出来ていたりします。


JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 運転取扱業務 貨物側線
芦別駅a217

でもって大きく育った木々も連なります。


JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 貨物側線 照明塔 照明鉄塔
芦別駅a219

夜間に貨物側線を照らし、操車掛たちの作業の安全を守った照明塔も残されています。
照明塔は2本が立っており、駅構内の南北に聳えています。


JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 貨物側線
芦別駅a218

構内端の用水路は南へと続きます。


JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 貨物側線 照明塔 入換標識 転轍機
芦別駅a221

場所を変えて南東にある37線踏切から、芦別駅構内を眺めます。
年季の入った入換標識がありますね。
手前の転轍機から1番線と2番線に分かれ、2番線に転線してすぐに4番線との転轍機が続きます。
それを越えると2番線は不自然な逆S字カーブを描いてホームに向かっており、ここに3番線と接続する転轍機があった事が窺えます。


JR北海道 国鉄 三井芦別鉄道 JR貨物 貨物側線 出発信号機
芦別駅a222

下り出発信号機は赤錆びたビームに設置されており、こちらも1番線・2番線と4番線の3個。
4番線は2番線から大きく離れた後、ビームをくぐると直線を描いて滝川方面に向かいます。
その他にも各番線から枝分かれする留置線や横取装置が見られます。


JR北海道 国鉄 滝川保線区芦別保線支区 滝川保線区芦別線路分区
芦別駅a224

37線踏切の西側には如何にも保線職場だな・・・と感じられる施設があります。
2階建ての事務所棟に加え、重機を仕舞う車庫も設けられていますが、人気は全くありません。
軌陸車やワゴン車などの工事車両も存在せず。


JR北海道 国鉄 滝川保線区芦別保線支区 滝川信号通信所芦別出張所 現業事務所棟
芦別駅a226

この施設は国鉄の滝川保線区芦別保線支区だったものです。
『北海道鉄道百年史 下巻』の年表によると、芦別保線支区が開設されたのは1968年12月。
「保線支区」とは国鉄施設局が従来の線路分区・線路班による分散的な人力保線を改め、組織の集約化と機械の投入による集中的な保線体制の確立を目指し、全国各地に設置を進めていた現業機関です。



国鉄の保線区・保線支区体制図p01

かつて国鉄の保線区は5~6kmおきに、概ね10名の線路工手から成る「線路班」を1班ずつ置き、その元締めとして「線路分区」を構えていました。
線路班が担ってきた人力保線は随時修繕方式と言い、ツルハシを持って担当する区間を巡回し、レールやマクラギ、道床を見たり触ったりして検査を行い、異常を発見したら直ちに修繕を施すものでした。
しかし高度経済成長期に鉄道の輸送量が増大すると、それに伴い列車本数も増便された事により、保線作業の出来る列車間合が減少。
おまけに列車の速度も向上したために線路破壊が早まり、それでも運転回数が多いせいで十分な修繕の出来る時間が少ない…というジレンマを抱えてしまった訳です。

そこで国鉄施設局は「軌道保守の近代化」を計画し、線路分区に代わる現業機関として1963年4月から「保線支区」の設置を進め、限られた時間の中で集中的に検査・補修を行う「定期修繕方式」に移行していきました。
従前は混同していた検査と作業も完全に分離。
10~15kmおきに設置した「検査班」が支区長に報告した検査結果を元に、計画担当(計画助役および技術掛)が作業計画を策定し、作業助役を通じて「作業班」に修繕をさせるという業務体制に移行しています。
書籍『滝川市史 下巻』(1981年/滝川市長 吉岡清栄)によると滝川保線区も軌道保守の近代化を成すべく、まずは1968年12月に芦別線路分区、滝里線路分区、富良野線路分区の計3分区を統合し芦別保線支区に改組。
続いて1969年10月に砂川保線支区、滝川保線支区を開設し、1本区3支区体制を確立しています。


JR北海道 国鉄 滝川保線区芦別保線支区 滝川信号通信所芦別派出所 車両基地 保守用車
芦別駅a227

1982年3月、国鉄本社で「線路保守の改善」施策が妥結すると、全国各地の保線区で「少数精鋭の技術集団に脱皮する」という名目の組織簡略化が実施されるようになりました。
保線支区についても大半が作業班を廃止し、保守用車のオペレーションを担う「保線機械G」と、軌道検査・補修計画・工事監督をメインとする「保線管理G」の二極体制に変更されています。
中には「保線区長ー支区長ー助役ー各係職」という指揮命令系統を改め、支区長を省略し助役が全係員の指揮を執る「保線駐在」に改組された箇所もありました。
しかし保線駐在は担当区域に分散して「保線管理G」を置いたため、抜本的な合理化には至らなかったようです。



国鉄の保線区・保線支区体制図p05

そんな中でも滝川保線区は支区体制の見直しを実施しませんでした。
道内有数の動脈である札幌~旭川間の都市間輸送に絡んでいた事も一因にあるでしょう。
しかし国鉄は分割民営化を翌年に控えた1986年、更なる保線支区・保線駐在の廃止を展開。
従来は40名前後が在籍した保線支区を縮小改組し、「区長代理」に指定された助役が20名前後の保線係員を統率する「保線管理室」が地方線区で発足しました。
そして書籍『滝川市史 続巻』(1991年/滝川市長 吉岡清栄)によると、滝川保線区は1987年4月の分割民営化に伴い廃止され、その担当区域を岩見沢保線区が継承したため岩見沢保線区滝川保線管理室に生まれ変わりました。

3年後の1990年3月、JR北海道が組織改正を実施。
現業機関の組織単位である「区」を「所」に統一する事となり、車掌区は「車掌所」、運転区は「運転所」(※札幌・苗穂・旭川などは会社発足当初から運転所だった)、保線区は「保線所」、建築区は「建築所」、機械区は「機械所」、電気区は「電気所」・・・と一斉に改称されました。
岩見沢保線区滝川保線管理室もこれに倣い、岩見沢保線所滝川保線管理室に名を改めて現在に至ります。


JR北海道 国鉄 滝川保線区芦別保線支区 滝川信号通信所芦別出張所 車両基地
芦別駅a225

一方、芦別保線支区は分割民営化でどのような末路を辿ったのか?
芦別保線支区のその後について明確に記した文献はありませんが、現地の施設には表札が一切無いため、既に廃止されているのは間違いありません。
ここで一つ思い出したのが、JR北海道が1994年4月に実施した本社鉄道事業本部と釧路支社の管轄エリアの変更です。
それまで根室本線は富良野駅から東を釧路支社の管轄に置いていたのですが、この時の改正で根室本線富良野~落合間を本社鉄道事業本部の直轄に移したのです。
これに伴い富良野駅を除く当該区間7駅も本社に移管されたのは、鉄道ファンの間ではよく知られた話です。
しかし実はこの変更は、釧路支社に属する帯広工務所金山保線管理室の廃止と引き換えに実施されており、そもそもが保線管理体制の見直しを目的としたものだったのです。
公益財団法人交通協力会が編纂した書籍『交通年鑑』の平成7年度版にも、この事が記録されていますので下記に引用しましょう。

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(5) 工務系統現業機関の統廃合
 6年3月18日に、より効果的な保守業務体制の確立を図るため、小規模な保線管理室を最寄の保線管理室に統合した。

(6) 本社と釧路支社との境界変更
 6年4月1日に、帯広工務所金山保線管理室の岩見沢保線所富良野管理室への統合に伴い、布部駅から落合駅までの7駅が釧路支社から本社に境界が変更になり移管した。

≪出典≫
交通協力会(1995)『交通年鑑 平成7年度版』p.p.221~222
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廃止された帯広工務所金山保線管理室の担当区域を引き継いだのは、本社鉄道事業本部に属する岩見沢保線所富良野保線管理室です。
・・・ん?富良野保線管理室?
先述したとおりですが芦別保線支区は3ヶ所の線路分区を統合し発足しており、その中には富良野線路分区が含まれていました。
したがって富良野駅の至近に開設された保線支区、すなわち「富良野保線支区」という現業機関は存在しなかったのです。

おそらく芦別保線支区は1987年4月、滝川保線区が岩見沢保線区に吸収されて滝川保線管理室に改組されたのと同様、岩見沢保線区芦別保線管理室に生まれ変わったものと考えられます。
その後、1990年3月の組織改正で岩見沢保線所芦別保線管理室に改称され、更に1994年4月の帯広工務所金山保線管理室の廃止に伴い、芦別から富良野に移転して岩見沢保線所富良野保線管理室になったのでしょう。


JR北海道 国鉄 滝川保線区芦別保線支区 滝川電気所芦別出張所 保守用車 車庫
芦別駅a228

事務所棟の近くには比較的新しい、鉄筋コンクリート造りの建物があります。
これは分割民営化後しばらくして建設された保守用車の車庫ですね。
旧芦別保線支区に常駐する保線係員は一人もいませんが、事務所棟や車庫の引込線(電柱から延びる電線)が撤去されていない様子を見るに、保線作業時の詰所として現在も活用されているようです。
旅客列車の乗り入れない4番線は、この車庫に保守用車を回送するために残している訳ですね。


JR北海道 国鉄 滝川保線区芦別保線支区 滝川信号通信所芦別出張所 車両基地
芦別駅a223

本線を挟んで対岸から旧芦別保線支区の事務所棟を眺めた様子。
再び『滝川市史 続巻』(1991年/滝川市長 吉岡清栄)の情報になりますが、芦別に所在した技術関連の現業機関は芦別保線支区の他にも、滝川信号通信所芦別出張所がありました。
滝川信号通信所のルーツを辿ると、1964年4月に開設された岩見沢電気区の滝川信号支区および滝川通信支区に遡ります。
このうち信号支区は信号設備・踏切のメンテナンス、滝川通信支区は鉄道電話・無線のメンテナンスを担当します。
岩見沢電気区は1974年4月に廃止されており、代わりに岩見沢信号通信区が発足すると、滝川の各支区も滝川第一信号通信支区、滝川第二信号通信支区に改組されました。

そして1985年9月、滝川第一・滝川第二は岩見沢信号通信区から分離され、滝川信号通信区として新たなスタートを切っています。
1990年3月にJR北海道が実施した組織改正では、滝川信号通信所に改称されました。
『滝川市史 続巻』のp.598によると滝川信号通信所は1991年時点で16名が在籍しており、このうち5名が芦別出張所に配置されていました。
ただしJR北海道の各電気関係区所が出先機関の名称に使う単位は「派出所」であり、芦別出張所についても本当は「滝川信号通信所芦別派出所」の誤記なのかも知れません。

1990年代に入ると、JR北海道は工務関係現業機関の組織改正を進めていきます。
電気関係についても電力所と信号通信所を統合し「電気所」に順次改組していく方針を固め、滝川信号通信所も「滝川電気所」に改組されました。

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工務関係現業組織の改正
ー10月1日より実施ー

 中央本部は8月20日提案を受けた工務関係現業組織の改正について9月19日14時集約をしました。これにともない工務職場の組織改正は10月1日から移行されました。
 今次の組織改正は9月13日経営協議会で提起された中期計画の中で示されている工務関係の取り組みの第一段階として捉え返すことが重要です。
 平成6年にむけてどの様に具体的な施策が進められるのか、組織はどの様になっているのか等です。
 今回の組織改正で実施されたおもな点は、
1 営林所を廃止して保線所に統合する。
 職名の統合などはなされていないが、一部の保線所では業務の融合が図られていることから今後の方向性を見ることが出来ます。
2 工務所の拡大が図られています。
 地域を限定する形で保線所と電気所を統合して工務所として3箇所設置されましたが、これからの基本形として位置づけることができ、今後拡大されていきます。
3 建築所と機械所が統合されて設備所として新設されました。
 釧路、旭川、函館については出来上がり型と見ることが出来、今後内部での効率化がはかられていきます。
4 電力所と信号通信所を統合して電気所を設置しています。
 同時に保線管理室、駐在、派出所の統廃合や名称の変更もなされました。組織改正に伴って業務体制についても担当区域の変更などもありました。
 今回の実施では、職名の統合等が成されていないため大きな要員削減になっていませんが、今後この組織を効率的に運営するための施策が実施されていくと考えられます。
 職場ではこの組織改正に伴って多くの人が異動の対象となりました。
 新しい職場のルールを自らのものとしてつくり出す取り組みの始まりです。
(武川業務部長)

≪出典≫
北海道旅客鉄道労働組合(1990)『JR北海道労組新聞』1990年10月22日付、第2面
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最終的に滝川電気所は1999年3月、岩見沢電気所に吸収されて「岩見沢電気所滝川派出所」となり、現在に至ります。
芦別出張所(芦別派出所?)もこの頃までに廃止されたのでしょう。


以上、計4回に渡り芦別駅を取り上げました。
たった1駅でこれだけ記事を跨ぐ事になるとは、やはり芦別駅は見所が盛り沢山ですね!


※写真は全て2019年6月15日撮影

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最終更新日 : 2020-08-30

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