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2020-05-05 (Tue) 18:24

藤井フミヤの前職って本当?国鉄の駅員「輸送係」について

藤井フミヤ道新インタビュー記事
『北海道新聞』2017年1月1日付朝刊第38面に掲載されたインタビュー記事

道新が不定期連載している記事に「揺れる鉄路」というシリーズがあります。
これは莫大な赤字を抱えるJR北海道が2016年11月、「当社単独では維持することが困難な線区について」と題して13線区を発表した事を受け、2016年12月30日から連載が始まりました。
具体的には道内ローカル線を取り巻く現状や、全国各地におけるローカル線の存続に向けた取り組み、ヨーロッパ諸国での鉄道活性策等を取材しています。
「揺れる鉄路」の第3回は2017年元旦の朝刊に掲載されたのですが、何と自らも国鉄職員だったというミュージシャン・藤井フミヤさんにインタビューを敢行したのです!
藤井フミヤさん(本名:藤井郁弥)は御存知の通り福岡県久留米市のご出身で、1980年代に「チェッカーズ」のボーカルとして一世を風靡。
1992年12月にバンドが解散して以降はソロ作品を発表したり、チェッカーズでサックスと作曲を担当した弟の藤井尚之さんと「F-BLOOD」を組む等、精力的に活動されています。
道新のインタビューでは鹿児島本線鳥栖駅や佐世保線早岐(はいき)駅で連結作業に従事した事、仕事と並行してバンド活動を続けた事、国労の活動に嫌々参加した事などを語っています。
以下に記事本文を抜粋しましょう。

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揺れる鉄路 元国鉄職員 藤井フミヤさんに聞く

 歌手の藤井フミヤさん(54)は「チェッカーズ」で活躍する前、国鉄で働いていた。国鉄を知らない人が増え、JR発足から30年を迎える今だからこそ聞いてみた。国鉄ってどんなところだったのでしょうか。
(聞き手・東京報道 津田祐慈)=1面参照

連結作業担当 ただ国労は厳しかった
JR北海道 観光路線で生かして

 ――国鉄に入ったきっかけは。
 父が国鉄職員でしたから。実家の周りも国鉄職員の家ばかりでした。佐賀県の鳥栖駅と長崎県の早岐駅で働き、貨車や客車の連結作業をしていました。走ってくる車両に飛び乗り、ブレーキをかけて制御して別の車両と連結させるんです。車両を待つ時間が長くて、あまり忙しくなかったな。
 ――「ブルートレイン」の連結作業も。
 そう。雪が降る夜にブルートレインを連結させ、赤いテールランプが東京方面に消えていく―。当時、東京に彼女がいて、何とも寂しかった。のちに駅が登場する歌詞も書きました。今も夜に電車を見ると胸がキュンとするんだよね。

 機動隊に突っ込む
 ――バンド活動とは両立していたのですか。
 けっこう休みをもらえたので、地元に帰ってはバンド練習をしていました。ただ、労働組合は厳しかった。先輩によく怒られたな。「藤井、お前全然『動員』に行ってないぞ」って。
 ――国鉄労働組合(国労)の組合員ですね。何に動員されたのですか。
 デモや勉強会。休み返上で行きましたよ、嫌々ね。原子力船「むつ」の入港反対闘争やダム建設反対デモは覚えてる。ダムに水没する村のお年寄りや子供を見て、気持ちが熱くなったよ。僕は左翼でも右翼でもないけど、「横暴な国家権力は許さない」みたいな気持ちになった。機動隊のジュラルミン(製の盾)に突っ込んだこともある。「国労のガキ、どけ!」って怒鳴られたなあ。
 ――国鉄改革に対しては。
 「分割民営化反対!」って叫んだ記憶があります。ヘルメットかぶって、マスクしてね。なんであんな格好してたんだろう。

 昇進は「裏切り者」
 ――国鉄は1年あまりで辞めましたね。
 バンドの全国コンテストで特別賞を受賞して、レコード会社に声をかけられたからです。それに「国鉄で出世してはいけない」と感じた。国労は駅の助役(管理職)と年中ケンカしていました。仲の良い人でも助役に昇進した途端、当局側に寝返った裏切り者として扱う。国鉄に残れば、俺の人生はこのままレールのように、広がりも狭まりもしないのかなと思ったね。
 ――JRが発足した1987年4月は、チェッカーズの「I Love you, SAYONARA」がヒットしていました。
 当時は若造だったから、取材を受けると「国鉄は民営化した方がいい」なんて発言していました。国労の先輩たちは「あの野郎!」と思ったでしょうね。
 ――JR九州は株式上場しましたが、JR北海道の経営は大変厳しい。
 北海道は広いから大変でしょうね。列車からは人々の暮らしが見えて、車からは見えない景色がある。全路線を残すのは難しいかもしれないけど、九州のようにうまく観光路線として生かしてほしい。もっと年をとったら地方の単線を巡る旅をしたいんだ。その時は北海道にも行きたいね。

《出典》
『北海道新聞』2017年1月1日付朝刊 第38面 第2社会
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JR北海道 JR九州 国鉄 輸送係 駅員 連結作業 分割作業 解結作業
名寄駅の輸送係(2017年4月30日
赤帯入りヘルメットと作業服を着用し、普通列車の分割作業に当たる輸送係
2017年4月30日、宗谷本線名寄駅にて撮影

ところでネット上では、国鉄時代の藤井フミヤさんの職名が「輸送係」だったとするサイトが多く見受けられます。
Wikipediaの「藤井フミヤ」の項にも、2020年5月5日閲覧時点で「久留米市立南筑高等学校卒業後、日本国有鉄道門司鉄道管理局(現:九州旅客鉄道)に就職し、鳥栖駅で半年間の見習期間の後、早岐駅輸送係として貨物列車の操車・入換業務に従事」とあります。
国鉄に限らず多くの鉄道事業者では、平社員であっても管理職同様に職名という肩書きを与えています。
輸送係も国鉄に存在した職名ではありますが、はたして本当にフミヤさんの職名は輸送係だったのでしょうか?
それをこれから検証していきます。


JR北海道 JR東日本 JR東海 JR西日本 JR四国 JR九州 JR貨物 駅員 職制
JR初期の駅員職制
分割民営化に伴いJR各社が共通で定めた駅・信号場・操車場の職制
国鉄労働組合東日本鉄道本部(1987)『就業規則Q&A 新会社の就業規則の特徴と具体的問題点』p.65より引用

まず輸送係という職名ですが、これは1987年4月の分割民営化に伴い、JR各社が共通で定めた職制にも規定があります。
国鉄では昭和30年代から現業職員の職制を、「職名」、「職務内容」、「指揮命令系統」の3点により規定しており、JR各社でも基本的な体裁を引き継ぎつつ新たな職名を設定しました。
これによると輸送係は車両の連結や入換え、操車、信号扱い、CTC(列車集中制御装置)の制御といった運転取扱業務に従事する駅員として定めており、上級職として輸送指導係、輸送主任を設けています。
その職務内容は下記の通りです。

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【輸送主任】
輸送指導係、輸送係の業務及び指導並びにその計画・調整業務
指定された者は営業主任の業務
その他上長の指示する業務

【輸送指導係】
輸送係の業務及び指導
指定された者は営業指導係の業務
その他上長の指示する業務

【輸送係】
列車又は車両の組成、入換え及び運転取扱いに関する業務
踏切道の看守
列車集中制御装置の取扱い及びこれに附帯する業務
指定された者は営業係の業務
その他上長の指示する業務

《出典》
国鉄労働組合東日本鉄道本部(1987)『就業規則Q&A 新会社の就業規則の特徴と具体的問題点』p.65
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なお、JR各社が職制の足並みを揃えていたのは会社発足時点での話。
その後はJR東日本が1989年度に実施した営業所(担当線区の各現業機関を統合した組織)や施設区(保線区・建築区・機械区を統合した現業機関)等の設置を皮切りに、各会社別に職制改正を実施するようになりました。
特に変化が大きかったのはJR西日本が2000年4月に実施した大規模職制改正で、従来の「係」、「指導係」、「主任」の3段階による職制を「係」に集約してフラット化。
駅については営業職(営業係・営業指導係・営業主任)と輸送職(輸送係・輸送指導係・輸送主任)の計6職名を統合し「運輸管理係」としています。


国鉄 あなたの進路図 駅 車掌区 鉄道公安官 営業 国鉄職員局
国鉄後期の営業進路図(駅・車掌区)

営業系統(駅・車掌区・鉄道公安)の昇進経路を示した「進路図」
日本国有鉄道職員局・中央鉄道学園(1977)『わたくしたちの国鉄』(第5版)p.103より引用

続いて国鉄を見ていきましょう。
上に引用した図は国鉄の新入職員用テキスト『わたくしたちの国鉄』に掲載されている、営業系統(駅・車掌区・鉄道公安)の進路図です。
最下段に示している「交通保安係」、「車掌補」、「乗務掛」、「運輸係」、「構内係」の5職名は手職をルーツに持つ下級係職で、総称して「労務職」と言います。
労務職のうち車掌補を除く各職名は、高卒新入職員が現業機関への配属と共に拝命する「採用職」でもあります。
もうお気づきかと思いますが、採用職の中に「輸送係」はありませんね。
では何処に「輸送係」が位置するのかと言うと、労務職から1段昇進した「中級職」(中間職・事務係職とも)の中に含まれています。



国鉄後期の昇進経路(新)
営業系統での昇進に伴い、鉄道学園で実施する正規教育の一覧表
輸送係への教育を施す「営業科」は、登用試験に合格しなければ受講できない
日本国有鉄道(1985)『就業規則細則』p.487より引用

中級職は輸送係の他にも鉄道公安員、営業係、庶務係、運転係、車掌、列車掛が該当。
何れも登用試験に合格して鉄道学園に入学し、所定の正規教育を修了しなければ拝命できません。
しかも登用試験の受験資格が与えられるのは、入社2年目からとなります。
つまり高校新卒で国鉄に就職した時点では、輸送係を命じられる事など有り得ない訳ですね。
これで藤井フミヤさんが輸送係だった可能性は消えました。
中級職からは公安班長、運転主任、営業管理係、輸送管理係、運用教導掛、車掌長といった「上級職」、そして管理職の公安主任、助役、現場長(駅長・区長・室長)へと至ります。


国鉄 職制 駅員 駅従事員 指揮命令系統 掛職 係職
国鉄後期の駅員職制(職名・職務内容C)
国鉄末期における駅従事員(操車場・信号場を含む)の職制
国鉄職員局職員課(1977)『日本国有鉄道職制集 昭和52年1月』p.42より引用

ならば採用職で連結作業を担当したのはどの職名か?
それは「構内係」ですね。
国鉄末期に駅員の職制を定めていた「営業関係職員の職制及び服務の基準」(昭和37年8月17日総裁達第363号/改正昭和48年12月14日総裁達第50号)によると、構内係の職務内容は下記の通りです。

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【構内係】
車両の解結及び転てつ器の取扱い並びにこれらに附帯する業務
列車の分割及び併合

《出典》
国鉄職員局職員課(1977)『日本国有鉄道職制集 昭和52年1月』p.42
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JR貨物 国鉄 隅田川駅 フレートライナー基地 常磐線貨物支線
国鉄隅田川駅のライナー基地
常磐線貨物支線隅田川駅のフレートライナー基地
日本国有鉄道広報部(1973)『R(アール)1973年5月号』(財団法人交通協力会)p.10より引用

極めつけは藤井フミヤさん御本人がTV番組に出演された時の一コマ。
それはTBS系列の各TV局で毎週土曜日7:30~8:00に放送している、『サワコの朝』という番組での事でした。
『サワコの朝』は作家の阿川佐和子さんが司会を務め、毎週異なるゲストを招いて対談するトーク番組です。
同番組は2011年10月1日から放送されており、このうち2016年8月20日放送の回に藤井フミヤさんが出演されました。
フミヤさんは番組の中盤、チェッカーズが地元・久留米で活動していた時代を振り返り、その途上で国鉄に勤務した頃の話が出たのです。
そしてはっきりと「構内係をしていた」と仰られています。
録画した内容を元に、当時のやり取りを文章に起こしてみましょう。

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佐和子:久留米時代のチェッカーズって言うのは、どれくらい活躍してたんですか?

フミヤ:久留米時代のチェッカーズは、もう久留米では有名でした。

佐和子:人気者で。

フミヤ:ええ、比較的人気者でしたね。いわゆるアマチュアバンドのコンテストに出て、グランプリを獲りましたよ!

佐和子:一発で!それでグランプリを獲って、プロになるっていう話がすぐ来たんですか?

フミヤ:比較的すぐ来たんですけど、その時あの、高校生が3人いたんですよね。

佐和子:あっ!メンバーにね。

フミヤ:そう。で、売れるとは思わないから。そんなね、簡単じゃないじゃないですか。

佐和子:デビューしたところで。

フミヤ:デビューしたところで。だから、やっぱ高校ぐらい出しとこうと。中卒になっちゃうよ、この3人って。それで2年待つ事になったんですよ。

佐和子:でもプロの話があった時に、タイミングを2年、その年頃で待つって・・・。

フミヤ:でも何かほら若い時って、まだまだ青春が続くじゃないけど、若さが永遠のものぐらいに思ってるじゃないですか?そっから僕あの、いわゆるJR職員になりますけどね。

佐和子:国鉄職員になられた?

フミヤ:そうなんですよね。

佐和子:まだ国鉄時代に・・・。

フミヤ:国鉄時代で。

佐和子:何してたんですか?

フミヤ:構内係っていうヤツですね。

佐和子:何ですか、構内係って?

フミヤ:ふふふふ(笑)、まあ貨車繋いだり客車繋いだりとか。昔あの、今みたいに宅配便とかが無い頃だから、まだ国鉄は凄くあの、いわゆる輸送機関として・・・。

佐和子:貨物列車が多かった・・・。

フミヤ:そうですね。だからウワーッて仕分けがあったんですよ、物凄い。長崎本線とか、大分(おおいた)に持っていくとか。それで結構休みも多いんですよ。休み、意外と自由に取れるんですよ。その頃、国労が強かったから、ココとココとココ休みを下さいっつっても(笑)、意外とくれたんですよね。

佐和子:じゃあ良い職場ではあったんですか?

フミヤ:意外と良い職場。バンドも全然練習できたし。

佐和子:バンドも続けてたんですね。

フミヤ:続けてたし、休みも多いし。でもレコード会社が「どうか」と来たんですよね。「さあ、お前達どうする?」みたいな。

佐和子:待っててくれたんですか、2年。

フミヤ:待っててくれたんですよ結局ね、そうですね。いよいよ出るって話になって、東京に。

佐和子:その時、お父様は反対なさったんでしょ?

フミヤ:いやもう1年以上かかりましたよ。下手すりゃ2年ぐらいかかったんじゃないかな。いや1年以上かかったな。

佐和子:説得するのに?

フミヤ:うん。「どっちか置いていけ」って言われましたよ。

佐和子:そのセリフが可笑しいですよね、どっちかって。だからお兄ちゃんか弟か!

フミヤ:そう。

佐和子:じゃあ弟、尚之さんも一緒に・・・。

フミヤ:尚之はサックスだったからね。

佐和子:ああ、サックスだからくっついて行きたいと。

フミヤ:もちろん。どっちかって言われたら俺、リードボーカルなんで(笑)。

佐和子:悪いけど(笑)。

フミヤ:悪いけど尚之、後で迎えに行くからみたいな事を、誤魔化してみて。尚之がちょっと涙ぐんで、俺も行きたいと。

佐和子:お兄ちゃん・・・必ず迎えに来てよお(笑)。

フミヤ:そういう感じなんですけど、そしたらお袋が親父に「あんたもういい加減に行かしてやれ」と。

佐和子:尚之君も。

フミヤ:尚之も行かしてやれと。それで2人で、まあハイタッチじゃないけど、ガッツポーズで「よっしゃあ!」みたいな。

《出典》
MBSテレビ・TBSテレビ共同制作(2016)『サワコの朝』2016年8月20日放送回
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・・・という訳で、藤井フミヤさんの前職は「輸送係」ではなく「構内係」が正解です!
おそらくはJRの輸送係のイメージが先行して、「フミヤは輸送係だった」という誤解が広まったものと思われます。
特にJR貨物では高学歴の総合職も、入社1年目で輸送係を経験するのが当たり前になっていますからね。
「じゃあ国鉄の輸送係ってどんな仕事だったの?」という話を、ここから取り上げていきましょう。


国鉄運転局 運転取扱基準規定 昭和53年10月
国鉄後期の運転取扱基準規程(昭和53年)

まず結論から言うと国鉄の輸送係は、そもそも運転取扱業務を担当していませんでした!
連結作業や転轍機の操作も一切しません。
つまり国鉄の輸送係、JRの輸送係は、名前こそ同じですが実際には異なる職種だった訳です。
参考資料として『運転取扱基準規程』の昭和53年10月版を見てみましょう。


国鉄運転局 運転取扱基準規定 昭和53年10月
国鉄後期の運転取扱基準規程(適用職種一覧)
日本国有鉄道運転局(1978)『運転取扱基準規程 昭和53年10月』p.p.2,3より引用

『運転取扱基準規程』とは国鉄職員が運転取扱業務に従事する上で、輸送の安全を確保するために遵守しなければならない事項を1冊に纏めたマニュアルの事です。
これの第2条では「職能別の運転取扱基準規程の編名及びその適用職種」を掲げています。
編名は1978年10月時点で、停車場従事員、交通保安係、列車乗務員、動力車乗務員、構内運転係、車両検査係、施設・電気従事員、雪カキ車乗務員の計8編に及びました。


国鉄運転局 運転取扱基準規定 昭和53年10月
国鉄後期の運転取扱基準規程(適用職種一覧)2
日本国有鉄道運転局(1978)『運転取扱基準規程 昭和53年10月』p.3より引用

駅員については「停車場従事員」の対象となり、その適用職種は駅長(運転の業務を担当する者)、助役(運転及び指導の業務を担当する者)、運転主任、営業管理係(特命)、営業係(特命)、輸送管理係(運転及び指導の業務を担当する者)、運転係、構内指導係、構内係の計9職名です。
なお、運転関係区所(機関区・電車区・客貨車区・運転所など)に従事する運転管理係、運転係も「停車場従事員」の適用職種に含まれています。
そして肝心の輸送係は適用職種欄に一切記載されておらず、これだけでも運転取扱業務に従事しない職種である事は明白です。

続いて輸送係という職名が設定された経緯を見ていきましょう。


国鉄 職制 駅員 駅従事員 指揮命令系統 掛職 係職
国鉄後期の駅員職制(指揮命令系統図)
国鉄末期における駅従事員(操車場・信号場を含む)の職制
職員局職員課(1977)『日本国有鉄道職制集 昭和52年1月』p.43より引用

国鉄職員局は1973年6月1日、「営業関係職員の職制及び服務の基準」(昭和37年8月17日総裁達第363号)のうち駅従事員に関する規定を改正しました。
この職制改正では従前の「掛」を「係」、「管理係」、「主任」に改め、なおかつ職名の統廃合を実施しており、輸送係もこの時に設定されています。
なお、職員局の内部組織である国鉄職制研究会が編集した書籍『国鉄における職制の構造』(1978年/鉄道研究社)では、この職制改正が事実上施行された時期を2ヶ月後の1973年8月としています。
これは改正を巡って労使間の協議が難航し、1973年8月30日を以ってようやく「営業関係職員(駅関係)の職制改正に伴う職名移行等に関する協定」を締結したからです。

従前の駅従事員職制は「営業」と「運転」の2系統に区分されていました。
「営業」は出改札業務やホームでの乗客案内、小荷物・貨物の引き受け、旅行センターでの販売業務といった“フロント業務”を指しています。
「運転」はホーム上での列車扱い、操車、信号扱い、入換え、連結作業、転轍機の操作といった運転取扱業務を意味します。
これら2系統を基本として駅員の職名を定めていた訳ですが、1973年6月改正では「営業」と「運転」の中間に立ち、輸送計画業務に携わる「輸送」を新たなポジションと位置づけ、3系統による業務体制としました。
そして「輸送」に属する職名として輸送係と、その上級職である輸送管理係の2職名が設定されたのです。


国鉄 職制 駅員 駅従事員 指揮命令系統 掛職 係職
国鉄後期の駅員職制(職名・職務内容B)
国鉄末期における駅従事員(操車場・信号場を含む)の職制
国鉄職員局職員課(1977)『日本国有鉄道職制集 昭和52年1月』p.41より引用

職制で規定された輸送係・輸送管理係の職務内容は下記の通りです。

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【輸送管理係】
列車の輸送に関する計画及びこれに附帯する業務
運転係及び輸送係の業務に関する指導、調整及び計画並びにこれらの職務
指定された場合には、輸送関係業務の総括

【輸送係】
列車の組成情報の処理及び列車の組成準備並びにこれらに附帯する業務

《出典》
国鉄職員局職員課(1977)『日本国有鉄道職制集 昭和52年1月』p.41
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職務内容を見ると輸送係は「列車の組成情報の処理及び列車の組成準備並びにこれらに附帯する業務」、輸送管理係は「列車の輸送に関する計画及びこれに附帯する業務」とあります。
つまりどういう事かと言うと、これらは職制改正前の配車掛、営業掛(配車担当)を前身としているんですね。
職制で規定された配車掛、営業掛の職務内容は下記の通りです。

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【営業掛】
旅客掛、小荷物掛、貨物掛、配車掛、運輸掛及び警備掛の指導並びにこれらの者の業務(業務の分担を特に命ぜられた場合には、主としてその業務)の計画及び処理

【配車掛】
列車の組成準備
旅客車及び貨物車の記帳
その他これらに附帯する業務

《出典》
国鉄職制研究会(1978)『国鉄における職制の構造』p.41
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更に噛み砕いて分かり易くした解説が『鉄道辞典 補遺版』(日本国有鉄道/1966年)に載っています。

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えいぎょうがかり 営業掛
 駅に置かれる職で、昭和37年の職制改正時に新設された職である。駅の営業関係業務を行う職種は、旅客掛、小荷物掛、貨物掛等であるが、これらの掛が相当数配置されている大駅では、業務管理上統率者が必要であり、従来は各掛の中から主任の指定を行なって、その任務に充てていたが、営業掛は、それを職制化したものである。したがって、その職務は各営業関係掛職を指導し、それらの業務の計画ならびに処理を行なうもので、必要に応じ任命の際「出札」「小荷物」等の業務分担を指定する場合もあり、また運輸掛配置の中間駅にも置くことができる。(森口政雄

《出典》
日本国有鉄道(1966)『鉄道辞典 補遺版』p.21
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はいしゃがかり 配車掛
 駅・操車場に置かれる職で、昭和37年の職制改正により車号掛より改名された。駅長または担当助役の指揮を受け、旅客列車・貨物列車の組成準備や旅客車・貨車・シート・ロープ等の記帳業務に従事する者である。これらの業務は、貨物関係の方が多いので、この職は貨物列車の組成駅や貨物取扱両数の多い駅に配置されることが多い。(森口政雄)

《出典》
日本国有鉄道(1966)『鉄道辞典 補遺版』p.323
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国鉄 駅員 職制 われらの国鉄
国鉄後期の駅員職制(指揮命令系統・旧)
1962年7月~1973年8月時点の駅従事員職制
いわゆる「掛職」が健在の頃だが、出札掛・改札掛は統合されて「旅客掛」となった
日本国有鉄道(1965)『われらの国鉄』昭和40年度版p.151より引用

国鉄における配車は『鉄道辞典 下巻』(日本国有鉄道/1958年)p.1453によると、①「駅が荷主に対して行なう貨車の配給」と、②「鉄道管理局が駅に対して貨車の集配をすること」を意味しています。
配車掛は貨物列車を組成する際、荷主から受託した積荷の内容に応じて必要な貨車を手配し、なおかつ連結順序を定めて操車担当に作業をさせる駅員の事です。
そして営業掛(配車担当)は、配車掛を統率する主任のポジションと言えます。
配車担当が自ら連結作業に従事する事はなく、専ら駅の貨物事務室や輸送本部に詰めて配車に係る各種事務手続きを行います。
農産物の収穫期には貨物輸送量も増大するため、配車掛が国鉄本社に直接出向いて貨物局の担当者と粘り強く交渉し、貨車を獲得するという事もあったのだとか。
繁忙期に他駅を出し抜き、1両でも多くの貨車を手配するのが配車掛の腕の見せ所でした。
1973年6月の職制改正に伴い配車業務は輸送係・輸送管理係に引き継がれ、比較的貨物取扱量の少ない駅では営業係(貨物担当)が配車を兼務しました。


東北本線 郡山駅 指揮命令系統図
国鉄郡山駅の職制 (1986年)
1986年1月当時の郡山駅における職制
松尾定行(1986)「駅が微笑む・・・ みなみ東北のジャンクション郡山駅に見る今日の素顔」、
『鉄道ジャーナル1986年4月号』(鉄道ジャーナル社)p.29より引用

輸送係を配置する例として、1986年1月当時の郡山駅を見てみましょう。
郡山駅では各部門の責任者として、輸送総括助役、配・貨助役、管理助役、案内助役、情報助役、営業助役、改札助役、出札助役、要員センター所長、旅行センター所長、総務助役を配置。
このうち配・貨助役の指揮管理下に営業係(貨物担当)と輸送係を置いていました。
配・貨助役というのは「配車助役」と「貨物助役」を統合した役職で、「配車・貨車助役」を略したものですね。
配車助役は輸送管理係・輸送係を指揮する配車業務の責任者で、貨物助役は荷主と直接やり取りする貨物フロント業務の責任者です。
駅によっては配車担当と貨物担当で部門を分けたり、或いは統合して連携を取り易くする所もあったんですね。


国鉄 武蔵野操車場 武蔵野線
国鉄武蔵野操車場の遠景
世界初の全面自動化ヤードとして注目された武蔵野操車場
ハンプヤードに速度検出装置とカーリダーターを備え、コンピュータ制御で貨車の仕分け・組成を行った
日本国有鉄道広報部(1976)『R(アール)1976年5月号』(財団法人交通協力会)p.10より引用

なお、輸送管理係は「輸送」が「営業」と「運転」の架け橋になるという性格上、従前の操車掛、信号掛、構内掛の中から任用された職員も多く含まれていました。
したがって「輸送」の立場でありながら運転取扱業務に携わる点が輸送係とは異なり、室蘭駅のように輸送管理係を操車指導担当に指定する駅もありました。

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イ. 輸送管理係の新設
 貨物輸送の近代化に伴って、ヤードは貨車の「中継基地」から、ライナー、地域間急行列車等の目的別列車を仕立てる「輸送拠点」として、機能的に大きく変化していった。
 すなわち、集結方、輸送方等の組成条件の策定、輸送調整業務、あるいは構内の使用方といった、いわば「輸送」の基本計画が重要な位置を占めており、これらの業務は主として、配車掛と操車掛の連繋プレーで対処していた。今回(昭和48年)、これらの業務を「輸送計画業務」と称し、ヤード機能の中枢として位置づけるとともに、これら配車掛等が行なっている業務を一元的に捉え、「輸送管理係」の職務内容の基本としたものである。
 そのほかに、フロント業務と同じ観点から、指導、調整、計画の要素をとり入れ、ヤード機能の充実を図ったものである。この輸送管理係は、今後、貨物輸送近代化の深度化に伴う、ヤードのシステム・チェンジに対応して、徐々にその機能を発揮していく、いわば、先取り的職制として考えられた。

《出典》
国鉄職制研究会(1978)『国鉄における職制の構造』p.54
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山陽本線 宇部線 山口線 小郡駅組織図 新山口駅 JR西日本 国鉄
国鉄小郡駅の職制 (1982年)
1982年1月当時の小郡駅における職制
種村直樹(1982)「ドキュメント駅 山陽本線小郡駅にみる「駅」の構造と現場」、
『鉄道ジャーナル1982年4月号』(鉄道ジャーナル社)p.29より引用

2つ目の事例として、1982年1月当時の小郡駅(現:新山口駅)を見てみましょう。
各部門の責任者として輸送総括助役、貨物助役、旅行センター所長、旅客総括助役、当務総括助役、庶務総括助役を置いています。
貨物助役の指揮管理下には営業管理係、営業係を置いていますが、配車担当を営業係に割り振っているため、輸送係を置いていません。
なお、小郡駅では輸送総括助役が指揮監督する「運転本部」に、操車・信号担当として輸送管理係を置いています。
小郡駅の輸送管理係は運転係(従前の操車掛・信号掛)の上級職という位置付けで、配車業務には携わらなかったんですね。


貨物列車 貨車輸送 貨車循環
国鉄後期の貨車輸送図
日本国有鉄道(1980)『営業・輸送概論 ―管理係になる人のために―』p.290より引用

こちらは「ヤード系集結輸送」における、貨車輸送の一連の流れを示した図。
当然ながら配車は貨物の発駅で行ないます。
駅が荷主からの運送申込を受託すると、積荷の内容に則して貨車の手配(配車)を実施します。
手配した貨車は空車の状態で発駅まで回送されてくるのですが、これを「空車回入」と言います。
それに貨物を積み込んだら「貨車車票」を作成し、加えて連結順序を操車担当に伝えて連結申込を行ないます。
操車担当が貨車の連結を済ませると貨物列車が出発。
操車場を中継して貨車編成の組み換えを挟み、方面別に仕分けされた貨物列車が着駅へ。
貨物列車から貨車を解放し、取卸線に入線したら荷主に貨物を引き渡します。
そして再び空車になった貨車は回送され、次の配車を待つという訳です。
空車を上手く活用し、効率的な貨物輸送を遂行するのが輸送係の重要な任務でした。

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 貨車運用の最終の目的は、貨車を能率的に運用し、貨車運用効率を高めることにより、貨物の輸送実績を向上させることにあるわけである。すべての貨車は、検査等によって休車している以外は、貨物を積載しているか、空車であるかのいずれかである。したがって、貨車運用の能率は、以上述べた諸条件の中における貨車の積車と空車の適否によって決定されるものであるということができる。
 そこで国鉄においては、貨車運用の改善を図る手段として、駅ごとに貨車の標準停留時間及び貨車着発予定表を、また、組成駅に対しては貨車中継予定表及び貨車標準中継時間を定めて、貨車の停留時間又は中継時間の短縮を図ることとしているのである。(輸送規程第52条、第114条)

《出典》
日本国有鉄道(1980)『営業・輸送概論 ―管理係になる人のために―』p.282
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自駅での貨物列車の組成が完了したら、輸送係は直ちに次の組成駅に対して「組成通報」を行い、これから向かう貨物列車の編成内容を知らせます。
そして組成通報を受けた組成駅の輸送係は、その内容に則して配車計画を立てるという訳です。
したがって輸送係は自駅の都合だけ気にするのではなく、他駅の設備の規模(大きいか小さいか)にも目を光らせ、そこで問題なく貨物列車を捌けるように組成計画を立てる必要がありました。


貨車着発簿 貨車集配報告 貨報 国鉄
国鉄後期の貨車着発簿
貨物取扱のある駅に備えていた「貨車着発簿」の書式
日本国有鉄道(1980)『営業・輸送概論 ―管理係になる人のために―』p.283より引用

輸送係は配車した貨車を自駅に受け入れる度、「貨車着発簿」という業務資料にデータを書き込み、配車の履歴を残しておきます。
まず、貨車が到着したら日付、列車番号、到着時刻、車号、発駅(自駅名)、積載する品名を記入。
駅に乗り入れる専用線での取扱いがある場合は、専用線の出入線時刻・経過時間も忘れず書きます。
そして発送する時は、着駅(行先駅名)、品名、日付、列車番号、出発時刻を記入します。
なお、停留時間については「貨物局長が特に指定する期間のみ」記入する事になっていました。

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(2) 貨車着発簿
  (ア) 駅における貨車の着発及び停留時間等の関係を、次の様式による貨車着発簿に
   記録て明らかにしておき、自駅における貨車の着発作業状況を検討するとともに、
   貨報作成の資料とするのである。
  (イ) 前記にかかわらず、総局長等が必要と認めた場合には、貨車着発簿の代用として
   総局長等が定める貨車着発票を使用することができる。
  (ウ) 緩急車の貨車着発簿は、整理上必要があるときは、別冊を使用することができる
   ことになっている。

《出典》
日本国有鉄道(1980)『営業・輸送概論 ―管理係になる人のために―』p.p.283,284
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また、事故や災害等により輸送障害が生じると、一時的に貨物輸送が出来なくなる場合もあります。
その時は「輸送調整」と言って、貨車の使用を調整したり、或いは貨車の発送を調整する事になります。



国鉄清水沢駅の配車 (1)
「清水沢駅の思い出展 第2期」開催中、待合室に貼られた模造紙
2017年6月10日、石勝線夕張支線清水沢駅にて撮影

輸送調整業務といえば清水沢駅の展示を思い出しますね。
展示物の中には国鉄・JR北海道の通算42年間に渡って清水沢駅に勤務された、中村賢さんを迎えて2015年11月に開催されたトークイベント「中村さんが証言する清水沢駅の42年間」で制作された模造紙がありました。
この模造紙は中村さんの話を聞きながら、リアルタイムで描かれた物なので聞き間違いによるミスも含まれていますが、生きた清水沢駅の歴史を伝える貴重な史料として重宝しました。


JR北海道 清水沢駅 配車掛 輸送係
国鉄清水沢駅の配車 (2)
「清水沢駅の思い出展 第2期」開催中、待合室に貼られた模造紙の右下
清水沢駅での配車業務を取り上げている
2017年6月10日、石勝線夕張支線清水沢駅にて撮影

中村さんは雑用の駅務掛からスタートし、出札、改札などの業務も経験されているのですが、特に長く担当されたのは配車業務でした。
当時は炭鉱会社と連絡を取り合い、産出した石炭の輸送に必要な貨車を手配していたと言います。
中でも苦労したのは手配できる貨車の両数が、炭鉱会社から要請のあった希望両数よりも少なかった事。
貨車に積みきれない石炭は30両分に及び、代わりにトラックを手配して運搬に漕ぎ着けたものの、1度の運搬で3往復もするはめになったそうです。
このようにトラブル対応として、貨車の代わりにトラックを手配するというのも配車掛や輸送係の仕事だった訳ですね。



国鉄後期の貨車延長換算率の表
貨物列車の延長換算率を示した表
日本国有鉄道(1980)『営業・輸送概論 ―管理係になる人のために―』p.303より引用

そしてこれがまた重要な事ですが貨物列車は原則として、1両の機関車で何両もの貨車を牽引して走ります。
それこそ20両を越える長大編成もある訳ですが、もちろん自走動力を持つのは機関車だけ。
機関車が問題なく全ての貨車を牽引して走れるよう、輸送係は列車の総重量や総延長、機関車のスペック等にも注意を払わなければなりません。

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 列車を組成するに当たって、最も基本的な条件となるものは、第1に列車種別によるもの、第2には貨車の組成順序、第3に列車の総重量と総延長の組成基準である。
 列車がどれだけの総重量(総トン数)及び総延長の貨車を連結して運転することができるかは、けん引する機関車の能力、運転する線区の線路状態及び線路有効長によって決定するので、輸送可能な総トン数については、機関車のけん引力と線路の状態によって、その列車のけん引定数を定めているのである。そして列車を組成するときは、動力車のけん引定数以内に車両を連結しなければならないが、これを定数制限という。

※※(中略)※※

 貨車にはそれぞれ自重(貨車自体の重量)や積載荷重トン数が定まっていて、貨車が積車の場合は、自重と積載荷重トン数とを加えたものがその貨車の全重量となり、貨物列車の重量を算定する場合の基礎となるものである。
 貨物列車は、その列車をけん引する機関車の形式及び運転線路の状態によって、けん引できる車両数を異にしている。これをけん引定数というのであるが、このように機関車のけん引力の対象となる貨車の重量を算定する場合に、個々の貨車の自重と積載荷重トン数を計算していたのでは、能率的な作業はできないので、貨車の重量を算出する方法として、車両換算両数を用いるのである。
 車両換算両数の標準は重量10トンを1両〔車両換算基準規程(以下「基準規程という。」第4条)〕として、貨物積載の場合と空車との場合(基準規程第3条)に分けて、その換算両数をあらかじめ貨車に標記(基準規程第6条)することにしているのである。

《出典》
日本国有鉄道(1980)『営業・輸送概論 ―管理係になる人のために―』p.p.301~304
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貨物列車の配車の仕事というのは、鉄道ファンでも知らない人が多いのではないでしょうか?
安全安定の貨物輸送は、旅客の目に見えない所で働く人達が支えているんですね。
国鉄時代の輸送係が担ってきた配車業務は現在、JR貨物の営業職駅員(営業主任・営業指導係・営業係)に引き継がれています。
JR貨物の配車担当は女性社員の任用が多いのだとか。


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最終更新日 : 2021-05-05

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