タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2020-04-30 (Thu) 23:02

函館本線鹿部駅に残る大沼保線支区鹿部検査班の詰所

鹿部駅a32

前回記事では砂原支線の鹿部駅を紹介しましたが、実は駅舎の北には木造モルタル造りの古びた小屋があります。
駅舎は「リーフの会」の方々がペンキ塗りを施しているおかげで綺麗な姿ですが、こちらは経年劣化で外壁がボコボコに凹凸し、砂埃の付着による汚れも目立ちます。



鹿部検査班a01

この小屋は国鉄時代、函館保線区大沼保線支区の鹿部検査班が詰所として使用していた物だそうです。
大沼保線支区はJR北海道函館保線所大沼保線管理室の前身。
国鉄当局が人力保線から機械保線への転換を軸とした「軌道保守の近代化」を為すべく、1963年4月より設置を進めた「保線支区」の一つです。

従前の保線区は配下に「線路分区」という組織単位を設け、更に10名程度の保線作業員からなる「線路班」を概ね5~6kmおきに分散して常駐させる保守体制を敷いていました。
この体制は筋肉労働力に依存する「随時修繕方式」を基本とするもので、線路班の作業員達が毎日線路を歩き、異常を発見したら都度補修を施していました。


JR北海道 国鉄 砂原支線 砂原線 函館保線所大沼保線管理室
鹿部検査班a02

しかし高度経済成長期に鉄道の輸送量が増大すると、利便性向上を図るべく列車本数の増便とスピードアップが為され、それに伴い線路破壊も早く進むのに安全に保線作業が出来る時間が少ないというジレンマを抱えるようになったのです。
事態を重く見た国鉄施設局は人力保線から機械保線への転換を図り、限られた時間の中で集中的に検査・補修を行う「定期修繕方式」へと移行する方針を固めたのです。
加えて保線区における労務・財務・資材・契約の管理、保線作業員への指導教育、長期的な工事計画の策定など技術管理業務を効率化するため、組織構成も大幅に見直す事になりました。
こうして線路班という組織単位を集約拡大し、なおかつ従前は混同されていた「検査」と「補修」を明確に分離した「保線支区体制」への改組を企画するに至ります。



国鉄の保線区・保線支区体制図p01

そして1967年11月、函館保線区大沼保線支区が開設されました。
同支区は他の保線支区と同様、支区長の配下に計画助役と作業助役を配置。
計画助役の配下には大沼検査班、駒ヶ岳検査班、銚子口検査班、鹿部検査班の計4班に上る「検査班」を設け、軌道検査長と軌道検査掛が巡回して線路の検査を行っていました。
そして検査班が採取したデータを元に計画担当(計画助役・技術掛)が作業計画を策定し、作業助役が指揮する「作業班」に線路の補修をさせた訳です。



国鉄の保線区・保線支区体制図p04

1982年3月、国鉄本社で「線路保守の改善」施策が妥結すると、全国各地の保線区で「少数精鋭の技術集団に脱皮する」という名目の組織簡略化が実施されるようになりました。
保線支区についても大半が作業班を廃止し、保守用車のオペレーションを担う「保線機械G」と、軌道検査・補修計画・工事監督をメインとする「保線管理G」の二極体制に変更されています。
中には「保線区長ー支区長ー助役ー各係職」という指揮命令系統を改め、支区長を省略し助役が全係員の指揮を執る「保線駐在」に改組された箇所もありました。
しかし保線駐在は担当区域に分散して「保線管理G」を置いたため、抜本的な合理化には至らなかったようです。



国鉄の保線区・保線支区体制図p05

1986年度には更なる保線支区・保線駐在の廃止が発生。
従来は40名前後が在籍した保線支区を縮小改組し、「区長代理」に指定された助役が20名前後の保線係員を統率する「保線管理室」が地方線区で発足しました。
大沼保線支区も大沼保線管理室に改組され、4箇所の駅に配置されていた検査班も消滅しています。
この大規模な合理化は1986年10月を以って完了。
そして分割民営化後の1990年3月、JR北海道が実施した組織改正により現業機関の組織単位「区」が全て「所」に改称・統一される事になり、大沼保線管理室が属する函館保線区も「函館保線所」となりました。



鹿部検査班a04

怒涛の合理化から30年以上の歳月が流れた現在、鹿部に常駐する保線係員は一人もいません。
しかし玄関窓から室内を覗いてみると、どうも最後に人の出入りがあってから大して時間が経っていない様子。
ベンチの手前には割りと新しいナップサックが置かれています。



鹿部検査班a05

畳の上には比較的最近の物と思しき石油ストーブと、何冊もの漫画雑誌が置かれています。
保線係員の常駐こそ無くなったものの、どうやら今でも保線作業時の休憩所として活用されているようです。
訪問当時は駅舎の南側に、新品のPCマクラギが積み上げられていましたので、直後のマクラギ交換作業でも休憩所に使われたのでしょう。



鹿部検査班a03

駅前道路から旧・鹿部検査班詰所を眺めた様子。
玄関窓を除き、窓には磨りガラスがはめ込まれています。
壁の汚れが凄いですね。



鹿部検査班a06

なお、小屋の正面をよく見ると・・・



鹿部検査班a07

・・・短くカットされたレールが1本。
ご丁寧にバラストと木マクラギを敷いた上に、犬釘で固定されています。
両端に立つ2本のポールには黒い絶縁カバーに覆われた電線が付いており、その電線はバラストの下に潜り込んでいます。
そして地中に潜った電線はバラストを貫通し、傍に立つ太いポールの先端に付く円筒型の装置に接続されています。
この装置、何だか電柱のカットアウトみたいな見た目だなあ。
もしかすると軌道回路か何かの実験に使った設備なのかも。
謎のオブジェの正体が大変気になっております!


※写真は全て2019年4月27日撮影
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最終更新日 : 2020-08-09

* by 風旅記
こんにちは。
「線路班」という言葉を聞き調べる中でこちらの記事に辿り着きました。
保線の体制も国鉄末期に大きく変わっていったこと、興味深く拝見しました。
5〜6kmごとに10名単位の人を配置していたという労働集約の極みのような体制も、今となっては信じ難くも思いますが、線路も汽車も駅や信号、全てが人によって動いていた時代の象徴のようにも感じます。
機械化、外注化が進んだ今とは全く異なる世界だったのだろうと想像しています。
気づかないままやり過ごしてしまいそうな小さな建物にも、鉄道の歴史が詰まっているのが面白いですね。

Re: * by 叡電デナ22
風旅記さん

どうも、こんばんは。

鉄道趣味の世界ではあまり話題に上る事がありませんが、保線区の変遷は鉄道の盛衰とも関わっているので大変興味深いものです。
たまたま駅で見かけた古い建物が、鉄道管理局史や職員名簿などの関連資料を漁ってみたら、保線支区の事務所だったり検査班の詰所だったという事はよくあります。

一昔前、東横乗車券研究会の村上心さんという方が全国の車掌区を調べ上げ、『日本国有鉄道の車掌と車掌区』という本を執筆されていました。
何れ保線区についても全国津々浦々を網羅した本が出たら良いのに・・・と常々思いますね。

そんな訳で私もここ数年、保線について色々と調べています。
もし宜しければ下記の記事もご笑覧ください。

「保線区」から「保線技術センター」へ JR東日本の組織改革
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1325.html

JR貨物に「保線区」は存在しない?施設区、保全区などの話
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1163.html

青い森線野辺地駅[3] 日本最古の鉄道防雪林と野辺地営林支区
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1315.html

青い森鉄道の機械保線を担う仙建工業八戸機械出張所
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1311.html

JR北海道が青森県に置いた職場 青函トンネル工務所今別管理室
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1441.html

モジャくんだけじゃない!道内JR線のマスコット「つくぞうくん」
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1200.html

函館市電の保線作業を担う「翔栄工業」と「カネス杉澤事業所」
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1380.html

北陸鉄道の保線を担う建設会社「コントラック」の軌陸バックホー
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1370.html

* by 風旅記
お返事頂きありがとうございました。
確かに、趣味の範疇で保線に注目した記事はなかなか見かけないように思います。
私自身も今まであまり関心を向けてきませんでしたが、安全や乗り心地、快適さに関わるとても大切な仕事であること、改めて感じています。
駅構内に使われていない建屋があるのは珍しくはありませんが、見てもなかなか何の建物だったのかまでは分かりません。
ここに線路を守る大切な仕事があって、その人員が過ごしたのかもしれないと思ってみれば、印象も変わるものと思ってきそうです。
ご紹介くださった他の記事も、少しずつ拝見させて頂ければと思います。

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こんにちは。
「線路班」という言葉を聞き調べる中でこちらの記事に辿り着きました。
保線の体制も国鉄末期に大きく変わっていったこと、興味深く拝見しました。
5〜6kmごとに10名単位の人を配置していたという労働集約の極みのような体制も、今となっては信じ難くも思いますが、線路も汽車も駅や信号、全てが人によって動いていた時代の象徴のようにも感じます。
機械化、外注化が進んだ今とは全く異なる世界だったのだろうと想像しています。
気づかないままやり過ごしてしまいそうな小さな建物にも、鉄道の歴史が詰まっているのが面白いですね。
2024-02-27-16:03 * 風旅記 [ 編集 * 投稿 ]

叡電デナ22 Re:

風旅記さん

どうも、こんばんは。

鉄道趣味の世界ではあまり話題に上る事がありませんが、保線区の変遷は鉄道の盛衰とも関わっているので大変興味深いものです。
たまたま駅で見かけた古い建物が、鉄道管理局史や職員名簿などの関連資料を漁ってみたら、保線支区の事務所だったり検査班の詰所だったという事はよくあります。

一昔前、東横乗車券研究会の村上心さんという方が全国の車掌区を調べ上げ、『日本国有鉄道の車掌と車掌区』という本を執筆されていました。
何れ保線区についても全国津々浦々を網羅した本が出たら良いのに・・・と常々思いますね。

そんな訳で私もここ数年、保線について色々と調べています。
もし宜しければ下記の記事もご笑覧ください。

「保線区」から「保線技術センター」へ JR東日本の組織改革
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1325.html

JR貨物に「保線区」は存在しない?施設区、保全区などの話
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1163.html

青い森線野辺地駅[3] 日本最古の鉄道防雪林と野辺地営林支区
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1315.html

青い森鉄道の機械保線を担う仙建工業八戸機械出張所
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1311.html

JR北海道が青森県に置いた職場 青函トンネル工務所今別管理室
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1441.html

モジャくんだけじゃない!道内JR線のマスコット「つくぞうくん」
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1200.html

函館市電の保線作業を担う「翔栄工業」と「カネス杉澤事業所」
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1380.html

北陸鉄道の保線を担う建設会社「コントラック」の軌陸バックホー
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1370.html
2024-02-27-23:15 * 叡電デナ22 [ 編集 * 投稿 ]

お返事頂きありがとうございました。
確かに、趣味の範疇で保線に注目した記事はなかなか見かけないように思います。
私自身も今まであまり関心を向けてきませんでしたが、安全や乗り心地、快適さに関わるとても大切な仕事であること、改めて感じています。
駅構内に使われていない建屋があるのは珍しくはありませんが、見てもなかなか何の建物だったのかまでは分かりません。
ここに線路を守る大切な仕事があって、その人員が過ごしたのかもしれないと思ってみれば、印象も変わるものと思ってきそうです。
ご紹介くださった他の記事も、少しずつ拝見させて頂ければと思います。
2024-02-28-03:18 * 風旅記 [ 編集 * 投稿 ]