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2020-01-21 (Tue) 23:39

札沼線末端廃止で風前の灯?札幌保線所石狩当別保線管理室

石狩当別保線管理室1

前回前々回と記事2本立てでJR北海道の石狩当別(いしかりとうべつ)駅を取り上げましたが、同駅の北東には札沼線末端区間を支える保線基地があります。
ここは札幌保線所石狩当別保線管理室。
2014年7月まで石狩当別駅工務として機能していた職場です。
構内にはコンクリート造りの平屋の事務所棟が建っています。



石狩当別保線管理室3

公道に面した正門を見ると・・・



石狩当別保線管理室2

ちゃんと「札幌保線所石狩当別保線管理室」と書かれた看板を掲げています。
石狩当別駅の一部門だった頃は「石狩当別駅分室」との看板を出していました。


幌保線区石狩当別保線支区 車庫 保守用車 保線車両 排雪モーターカー
石狩当別保線管理室5

構内には保守用車を格納する車庫も備えてあります。
撮影当時は黄色く塗装されたハイモ(除雪用モーターカー)が留置されていました。
車庫は石狩当別駅北口の駐車場から間近に眺める事が出来ます。


JR北海道 石狩当別駅保線分室 国鉄 札沼線 学園都市線
石狩当別保線管理室4

石狩当別保線管理室は1934年11月に札沼線南線桑園~石狩当別間が開業すると同時に、札幌保線区石狩当別線路分区として開設されました。
「線路分区」とは保線業務が人力に依存しきる「随時修繕方式」を採っていた時代、国鉄が全国の保線区に設けていた下部組織単位です。
これは保線区長の指揮を受けて線路分区長が概ね2~4の線路班を束ね、作業計画を立てたり工事監督をするというもの。
実働部隊の線路班は1班につき10名程度とし、換算軌道キロ5~6kmおきに1箇所ずつ設置されました。
線路班に属する保線作業員(線路工手長・線路工手副長・線路工手)はツルハシを持って担当する区間を巡回し、レールやマクラギ、道床を見たり触ったりして検査を行い、異常を発見したら直ちに修繕を施していたのです。
書籍『当別町史』には石狩当別線路分区の概況について、下記のように書かれています。

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 石狩当別線路分区は1934年(昭和9年)11月20日設置されたのである。その翌年札沼線全通となり管轄区域は桑園駅から15km(現在の東篠路駅、釜谷臼間のカーブ付近)から33.5km(石狩金沢駅、本中小屋駅中間付近)までであり、その以北は月形線路分区の所管であった。
 その後、石狩当別駅以北の線路撤去、復元と移り変りもしたが、1956年(昭和31年)9月10日月形線路分区の廃止に伴ない管轄区域は変更となり、本分区は桑園駅から22.5km(石狩太美駅、石狩当別駅中間22線防風林付近)から43.5km(月ヶ岡駅、知来乙駅中間付近)までとなり、22.5km以南は篠路線路分区の所管に移ったのである。
 列車の安全な運行は鉄路の如何にありとし、管轄する区域を毎日欠かさず巡回し線路、橋りょうなどの状況を検分して、破損は直ちに補修する等、線路及び付属物の維持管理に当たり、分区長の下に3ヵ線路班を設けて業務の分担をしていた。
 1 石狩当別線路班は、本分区の起点22.5kmから29km(石狩当別駅、石狩金沢駅の中間)
  まで。
 2 石狩金沢線路班は29kmから36km(石狩当別駅、石狩金沢駅の中間)まで。
 3 中小屋線路班は36kmから終点43.5kmまでそれぞれ担当していた。

《出典》
当別町史編さん委員会(1972)『当別町史』(北海道石狩郡当別町)p.881
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幌保線区石狩当別保線支区 車庫 保守用車 保線車両
石狩当別保線管理室6

やがて日本が高度経済成長期に入り、鉄道の輸送量が増大すると、それに伴い列車本数も増便されていきました。
すると列車間合が減少し、従来の随時修繕方式では保線作業の出来ない時間が増えてきました。
更に列車の速度も向上した事によって線路破壊が進行し、にも拘らず運転回数が多いせいで十分な修繕の出来る時間が少ない…というジレンマを抱えるようになってしまいました。
この問題を解消するべく、国鉄本社施設局は人力保線から機械保線への転換を軸とした「軌道保守の近代化」を計画。
線路分区に代わる新たな業務組織として1963年4月より「保線支区」の設置を進め、限られた時間の中で集中的に検査・補修を行う「定期修繕方式」に移行していきました。
従前は混同していた検査と作業も完全に分離。
10~15kmおきに設置した「検査班」が支区長に報告した検査結果を元に、計画担当(計画助役および技術掛)が作業計画を策定し、作業助役を通じて「作業班」に修繕をさせるという業務体制になっています。
札幌保線区でも随時修繕方式からの脱皮をする事になり、1970年1月に石狩当別線路分区を含む札沼線内の線路分区を統合して「札幌保線区石狩当別保線支区」に改組しました。

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 1970年(昭和45年)1月16日保線業務の近代化が実施され、従来の石狩太美駅から浦臼駅までの線路分区を統合し、札幌保線区石狩当別支区が石狩当別に新設された。担当区域は桑園駅から15.5kmの地点(東篠路駅と釜谷臼駅の中間)を起点とし67km(オサツナイ鶴沼駅中間)を終点とした51.5kmの軌道保守を行うこととなった。旧線路班の職員を当別に集結して合理的作業により、近代化を計ることを目標としている。職員定数は38名であり、組織は次の通りである。
石狩当別保線支区
 検査班は毎日担当区域内を巡回査察して、線路及び付属物の異状を発見した場合は、直ちに支区長に報告して復旧作業を行い、また全区間の51.5kmを4等分して1区間を1ヵ年にて片押しに保守改良に努める仕くみである。作業にあたっては、マイクロバス・トラック等機動力により現場に到達し、合理的か働を行っている。

歴代線路分区長
越田与所吉、関竜毅、蛯沢松太郎、阿部義貞、高橋元治、徳光徳蔵、藤原博明、亀田進三、本田登、豊島良夫、後藤重正
職員定数 昭和25年20名、同35年17名、同44年16名

支区長
松井繁男45.1.16~現在 職員定数38名

《出典》
当別町史編さん委員会(1972)『当別町史』(北海道石狩郡当別町)p.p.881~882
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引用した『当別町史』掲載の組織図を見ると、石狩当別保線支区は計画助役の配下に4つの検査班を置いていた事が分かります。
保線支区に近い順に、石狩当別検査班、石狩金沢検査班、石狩月形検査班、浦臼検査班が置かれ、担当区域51.5kmの軌道検査を分担して行っていたといいます。
なお、組織図に表記された「検査長」と「検査掛」の各職名ですが、正しくは「軌道検査長」、「軌道検査掛」となります。
当時の保線区は本区に土木構造物(橋脚・トンネル・プラットホーム・落石防護柵等)の検査を担当する「構造物検査長」、「構造物検査掛」の2職名を置いていたので、混同の無きようご注意を。

作業班の構成を見ると「軌道作業長ー軌道副長ー軌道掛」とありますが、中間の「軌道副長」は国鉄職員局が1965年4月に定めた「保線所、保線区及び構造物検査センター職員の職制及び服務の基準」に記載の無い職名です。
つまりどういう事かというと、国鉄の職制上は存在しない肩書きなのです。
おそらくは軌道掛の中からある程度、実務経験を積んだ職員を選び「軌道掛(軌道副長)」というような人事発令をしていたものと考えられます。
要するに軌道副長というのは、駅の「旅客掛(出札担当)」、「旅客掛(改札担当)」のような担務指定だったのでしょう。
参考までに職制で定められた軌道掛の職務内容を下記に示しましょう。

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線路、線路附帯の建造物及び用地に関する作業
保線用機械類の運転、整備及び簡易な修繕並びに保線機械掛の職務補助
指定された場合は、軌道作業長の職務補助
特に命ぜられた場合は、建造物に関する作業

《出典》
国鉄職制研究会(1978)『国鉄における職制の構造』(鉄道研究社)p.174
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3行目に「指定された場合は、軌道作業長の職務補助」とありますので、これに「軌道副長」が該当するものと捉える事が出来ますね。


JR北海道 石狩当別駅保線分室 国鉄 札沼線 学園都市線
石狩当別保線管理室8

1987年4月の分割民営化に伴いJR北海道が継承。
JR北海道は1990年3月の組織改正で、現業機関の組織単位である「区」を「所」に統一しており、この時に「札幌保線所石狩当別保線管理室」に改組されました。
他にも車掌区は「車掌所」、運転区は「運転所」(札幌・苗穂・旭川などは会社発足当初から運転所だった)、建築区は「建築所」、機械区は「機械所」、営林区は「営林所」、電力区は「電力所」、信号通信区は「信号通信所」、電気区は「電気所」に改められています。

1991年11月には石狩当別駅を札沼線末端区間(石狩当別~新十津川間)の管理拠点として位置づけ、新たな駅業務部門として駅運輸(動力車乗務員)と駅工務(保線)を開設しました。
これは1990年7月より開設が進んでいた「運輸営業所」を参考に、一定線区に係る各種業務を1箇所の主要駅に統合したものです。

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2 )要員配置
 (1) 3年度は、中期経営計画の実質的な初年度であり、「足固めの年」として種々の施策を着実に実施した。
 鉄道事業部門では、地域に密着した機能的な組織として、すでに開設されている日高線運輸営業所、花咲線運輸営業所に続き、3年11月に「宗谷北線運輸営業所」を開設、さらに新しい効率的な業務運営体制として、営業・運輸・工務の各系統を統合した「石狩当別駅」を設置した。そのほか、業務の簡素化及び効率化を図るため、ワンマン運転の拡大、車掌基地の統廃合、駅業務執行体制の見直しなどを実施した。

《出典》
交通協力会(1993)『交通年鑑 平成5年度版』p.255
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石狩当別駅運輸は札幌運転所・苗穂運転所から一部行路・人員の移管を受けたものです。
石狩当別保線管理室は札幌保線所から石狩当別駅に丸ごと移管され、石狩当別駅工務に改組されました。
以降は駅長の指揮を受けて札沼線石狩太美~新十津川間の保線を担い、必要に応じて駅営業(出札・改札)にも入るようになりました。

しかし2013年9月に函館本線大沼駅構内で貨物列車の脱線事故が発生し、その原因を調査したところ函館保線所大沼保線管理室に勤務する施設技術係らが検査データを改竄していた事が発覚。
この事故を受けてJR北海道は保線管理体制を見直す事とし、合理性よりも安全を重視して組織改正を実施しました。
特に駅工務の場合、保線に関する専門的な知識の無い管理者(つまり駅長)が指揮を行う事に問題があるとされ、全て保線所に移管される事となりました。
同時に厚岸駅工務、根室駅工務の2ヶ所も保線所に移管され、更に同年9月には静内駅工務も移管されています。
この組織改正を以って石狩当別駅工務は札幌保線所の管轄に戻り、札幌保線所石狩当別保線管理室として再出発しました。
保線所長の指揮を受けて助役(所長代理)、保線係員(施設技術主任・施設技術係・施設係)が従事しています。


JR北海道 石狩当別駅保線分室 札沼線 学園都市線 キハ40系400番台 キハ40形
石狩当別保線管理室7

そして現在、石狩当別保線管理室の担当区域は札沼線石狩太美~新十津川間に指定されています。
厳密には札沼線あいの里公園~石狩太美間にある15.5km地点から北を担当しており、その大半を占めるのは2020年5月に廃止される末端区間(北海道医療大学~新十津川間)です
現在は総距離76.5kmを有する札沼線ですが、末端区間の廃止後は桑園~北海道医療大学間28.9kmが残るのみとなります。
石狩当別保線管理室の担当区域も現在の61kmから13.4kmに大幅短縮する訳で、ややもすれば最寄の札幌保線管理室に業務移管し、末端区間の廃止と運命を共にするかも知れないな・・・と思う次第。
札幌保線管理室は札沼線15.5km地点より南の保線を担っていますし、盲腸線の僅かな距離だけを担当させるために職場を残すとも考えづらいので、保線管理室の統廃合が起こる可能性は十分にあるのではないでしょうか?
廃止をめぐって新十津川駅の方面ばかりが注目されがちですが、石狩当別駅周辺の鉄道風景も寂しくなりそうです。


【2021年1月23日追記】
札沼線末端区間の廃止後、石狩当別保線管理室が存続している事を確認しました。


※写真は全て2019年6月9日撮影
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最終更新日 : 2024-04-18

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