タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2020-01-16 (Thu) 01:17

根室本線下金山駅 木材輸送拠点と東京大学演習林の鉄道

下金山駅1

上川管内は空知郡南富良野町字下金山にある、JR北海道の下金山(しもかなやま)駅。
南富良野町発祥の地である金山から北へ約6km、富良野町との境界を間近に控える集落に佇んでいます。
駅前には「作倶楽」(さくら)という名の農産物直売所があり、集落の南北に畑を構える農家が栽培する野菜を販売しています。
そのラインナップはカボチャ、トウモロコシ、人参、ニンニク、アスパラ、キャベツ、レタス、シシトウ、スイカなど。
基本的に畑作農業ですが、中にはもち米を生産する農家も見られます。

下金山の集落は元々、埼玉県北埼玉郡種足村(たなだれむら/現:埼玉県加須市)の農家・清水寿棟氏が国有未開地の貸付を出願し、1906年11月より開拓を始めた事に端を発しています。
そして「清水農場」が発足となり、実質的経営者として清水権兵衛氏(寿棟氏の親族と思われるが続柄は不明)が入植。
最終的に37戸もの小作人世帯が加わる一大農場にまで成長し、開墾事業の成功を見たと伝えられています。
他に札幌の農家・鶴谷吉太郎氏が開業した「鶴谷農場」もありましたが、こちらは小作人達が農地買収を進めた事により1921年を以って消滅しています。
そして現在も下金山には農業を営む人々が暮らしているという訳ですね。


JR北海道 国鉄 根室本線 西達布森林鉄道 東京大学北海道演習林
下金山駅2

下金山駅は1913年10月、既に開業していた国鉄釧路線山部~金山間に一般駅として開設されました。
釧路線の前身となる北海道官設鉄道十勝線下富良野~鹿越間が延伸したのは1900年12月の事でしたが、当地に駅が置かれず住民は不便を強いられたと言います。
書籍『南富良野町史 上巻』(1991年/南富良野町役場)p.31によると、清水権兵衛氏らが駅の設置を求める運動を展開し、その結果、先述した清水農場の敷地内に下金山駅が置かれる事となりました。
下金山駅付近には市街地が形成され、当地および隣接する山部村西達布地区(現:富良野市西達布)の農産物、特産物の集積地として発展しました。
貨物輸送拠点として下金山駅が重宝されたのは想像に難くありません。

また、『南富良野町史 上巻』p.30によると元々この地は清水農場の名が、一般に当地を指す通称として宛がわれていたと言います。
札幌市営地下鉄東豊線東区役所前駅の周辺を、光星高校に因んで「光星地区」と呼ぶようなものです。
それが新駅の開設を契機に、駅名に冠する「下金山」の3文字が字名として使われるようになり、更に44年後の1968年には正式な住所として登録されたのだとか。
駅の持つ社会的影響力の強さを感じさせるエピソードですね。
ちなみに駅名の由来は当地が「字金山の下手に位置すること」(同p.30)にあります。

釧路線は下金山駅の開設から1ヵ月後の1913年11月、釧路本線に改称。
1921年8月の全通により現名称の根室本線となりました。


下金山駅 駅名看板 駅名標 JR北海道 根室本線 国鉄 JR貨物
下金山駅3

ところで、下金山駅の開設について『殖民公報』(大正2年・第75号)には以下のように書かれています。

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下金山駅開設 釧路線なる山部金山各駅間に新設せる下金山駅は十月一日営業を開始したり 該地は空知川上流の西岸に沿ひ北は東京帝国大学農科大学の演習林 西南は地方模範林及国有林 東は御料林等に囲繞せられ木材の搬出一箇年二万噸以上に及ふ 又駅付近のニシタップは農耕地として殊に有望なり 曩年東京帝国大学書記官及川瀬演習林長該地方巡視の際停車場の新設を希望したる箇所なりと云ふ 次駅哩程左の如し
 下金山駅 次駅 山部駅へ 四哩九分 金山駅へ 四哩三分

《出典》
南富良野町史編纂委員会(1991)『南富良野町史 下巻』(南富良野町役場)p.p.86~87
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下金山は周囲を山林に囲まれ、年間2万トン以上の木材を搬出するほどに林業が盛んな地域でもありました。
もちろん下金山駅も木材発送拠点として機能しており、富士製紙㈱江別工場は同駅を起点に2.1kmの森林鉄道を敷設して原木輸送に活用したと言います。
『南富良野町史 下巻』p.81の「鉄道の沿革」によると、1923年12月には駅構内に木材積用起重機が設置されており、如何に当時の林業が地域社会において重要な存在であったかを物語っています。
駅前では1930年頃から下金山木工場も操業しており(1934年9月に株式会社化)、同工場の製材は貨物列車に載って札幌、小樽、東京、大阪などへ運ばれました。

近隣には1899年に設置された帝国大学農科大学北海道演習林(現:東京大学北海道演習林)もあり、『殖民公報』(大正2年・第75号)には同大学書記官と川瀬演習林長(林学教授の川瀬善太郎氏か)が視察のため下金山を訪れた際、駅の新設を望んだと書かれています。
当時の帝国大学は北海道演習林の施設拡張を進めており、特に木材を運搬する手段として森林軌道の開設を重視していました。
後に「西達布森林鉄道」と呼ばれる専用鉄道で、1913年10月に下金山駅が開設されると国鉄線との接続を目指して敷設計画が進められました。
北海道詩人協会会員の松野郷俊弘さんが、北海道林業技師会や北海道森林管理局などの関係者から協力を得て執筆した書籍『北海道の森林鉄道』(2017年/北海道新聞社事業局出版センター)には、西達布森林鉄道の詳細が記されています。

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 大正9年(1920年)、西達布地区の川口2号地(下金山旧道と国道38号線の交点)から川口83号地(現 西達布のぎく)までの西達布本線軌条10.7粁と、待避線6ヵ所4.2粁の路床工事が完了した。続いて、完成した路床に軌条を敷設する工事が発注され、これを請け負った西達布の造材請負業、宮野与左衛門が、大正10年(1921年)3月末までの僅か13日間で本線と待避線の軌条11.26粁の敷設を終えた。しかし、演習林の研伐事業で伐採した原木を国鉄根室本線下金山駅の土場まで輸送するために必要な軌条が繋がった訳ではなかった。
 一方、大学は大正14年(1925年)、中古の4.5噸の蒸気機関車2輌(ドイツ国オレンスタイン・コッペル社製、軌間762粍)を購入して、原木搬出の準備を整えていた。
 当時、江別にあった富士製紙工場は、払い下げを受けた針葉樹を下金山駅の土場へ運び、そこから国鉄の貨車で江別の工場へ輸送するために、下金山駅から川口2号線までの区間に森林鉄道の軌道を2.1粁だけ敷設していた。土場には国鉄の引込線が敷設され、その両側に富士製紙の専用軌条が2本敷設されていた。東京帝国大学は昭和2年(1927年)にこの木材搬出専用軌条を富士製紙から買収し、川口83号地から下金山駅構内の土場までの12.9粁を西達布森林鉄道の専用軌条とした。これにより、演習林からの鉄道による原木輸送が可能になった。

《出典》
松野郷俊弘(2017)『北海道の森林鉄道』(北海道新聞社事業局出版センター)p.p.133~134
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つまり、1921年3月に当初計画区間11.2kmが敷き終わったものの、下金山駅への線路が繋がって原木輸送を開始したのは6年後の1927年だったのです。
これで西達布森林鉄道の総距離は12.9kmになりました。


下金山駅 駅名看板 駅名標 JR北海道 根室本線 国鉄
下金山駅4

1936年1月に日本が戦時体制に移行すると、軍需物資として木材の需要が高まりました。
この流れに東大も乗り、陸軍兵器本廠から承認を受けてガソリン機関車2両を導入。
約300両に上る大学保有の貨車をもフル活用し、演習林で伐採した原木を片っ端から下金山駅の土場まで搬出しました。
この時、西達布地区に住む人々の便宜を図り、大学付属機関の鉄道にしては珍しく旅客輸送を開始しています。
更に幹線の延伸や、7本の支線の敷設も為され、最終的に161.1kmの路線網を築きました。
しかし戦後の合理化で原木輸送はトラックに切り替わっていく事になり、西達布森林鉄道は1952年を以って廃止を迎えました。

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当時は西達布地区の道路の殆どが開拓林道であったために泥濘地の悪路が多く、生産した農産物を下金山駅まで搬送するにも、馬車の車輪がぬかるみにはまるなど、開拓農民たちは大変な苦労を重ねていた。森林鉄道は奥地の入植者たちの便宜を図り、原木輸送の貨車の間に木製の客車1輌を連結し、それらの農作物の下金山駅までの輸送や生活必需品の送り届けを引き受けたほか、下金山駅との間を往復する車両に時間を決めて住民を乗車させていた。森林鉄道は入植者たちから、実に頼もしい交通機関として大いに歓迎されていた。
 西達布鉄道はその後、東山に操車場を設置すると共に、機関庫や修理工場を併置し、貨車の入替えに必要な軌条も複線化した。操車場には蒸気機関車(5噸)1輌を常駐させて、山土場から原木を搬出してきた運材貨車をここで再編成し、下金山駅構内の貯木場へ原木を輸送した。
 研伐事業の進捗にともない、西達布83号地から西達布川上流の仙人峠の二股まで、本流沿いに約5.3粁の西達布本流線の軌条が敷設された。さらに、幹線軌条から分岐する岩魚沢支線5.31粁、奥の沢支線1.2粁、老節布支線4.7粁、相の沢支線1.3粁、笹の沢支線1.2粁の軌条がそれぞれ敷設されて、西達布本流線の軌条の延長距離は13.50粁となった。

・・・(※中略※)・・・

 その後も熊の沢線や幌内沢線の支線が建設され、最盛期の昭和14~15年(1939~1940年)には西達布本線12.9粁、西達布本流線13.5が延長された。支線の合計は134.7粁に達し、西達布森林鉄道は年間5万6千立法米の原木を搬出していた。しかし、戦後に行政制度の改革が進められ、昭和22年(1947年)の林政統一後は官行研伐事業にも経営合理化が求められるようになった。ガソリンなど石油製品が自由化され、原木の輸送は山土場で直接トラックに積み込んで目的地へ直行するトラック輸送へ移行していった。道内の森林鉄道も一つ二つと姿を消して行く中、昭和27年(1952年)に西達布森林鉄道は廃止された。森林鉄道の軌条は昭和29年(1954年)末までにすべて撤去され、跡地には併用林道が整備されている。

《出典》
松野郷俊弘(2017)『北海道の森林鉄道』(北海道新聞社事業局出版センター)p.p.135~136
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下金山駅 駅舎 駅本屋
下金山駅5

日本が高度経済成長期に入り、大型施設の耐火構造が普及すると製材の需要は減少。
更に原木供給の有限説が流布し始めると、木材価格が高騰して製材生産にも制限がかかるようになりました。
その時勢を象徴するかのように1960年9月、下金山駅構内の木材積用起重機が撤去されてしまいました。
起重機は新得機関区に移設されたと言い、どうやら車両検修用として転用されたようです。
苦境に立たされた下金山木工場は1965年11月、35年間に及ぶ製材の歴史に幕を下ろしました。

1966年10月、根室本線落合~新得間の狩勝峠越えのルートを変更し新線が開業(地元では“新狩勝線”と呼ばれる)、同時に富良野~新得間が自動信号化しています。
これに伴いタブレット閉塞が御役御免になり、金山駅におけるタブレット交換も廃止されました。
1981年10月に石勝線が開通すると、道央と道東を結ぶ特急・急行の大半が石勝線経由に変更されました。
1982年11月には貨物取扱い、荷物取扱いが共に廃止。
同時に旅客フロント業務(出改札)も廃止されて完全無人駅となり、東鹿越駅の被管理駅となりました。
詳細な時期は不明ですが交換設備も撤去されています。

1987年4月の分割民営化に伴いJR北海道が継承。
暫く金山駅を管理していた東鹿越駅も1997年3月の貨物フロント廃止に伴い、JR北海道の運転取扱要員ともども無配置となりました。
現在は岩見沢地区駅(担当区域:室蘭本線栗沢~岩見沢間、函館本線幌向~滝川間、根室本線滝川~落合間)のエリア内に属し、地区駅配下の管理駅である富良野駅が管轄する無人駅です。


下金山駅 駅舎 駅本屋
下金山駅6

駅舎は1983年に建て替えた、コンクリート造りの平屋。
緩やかに傾斜した三角屋根を持ち、赤茶色に塗装した格子と煙突が目を惹きます。


下金山駅 駅舎 駅本屋
下金山駅7

いわゆる「簡易駅舎」に分類される、改札口の無い構造です。
駅前とホームを結ぶ通路は待合室を介さず、直接行き来できるようになっています。
通路の両脇にトイレと待合室の出入口があります。


下金山駅 駅舎 待合室
下金山駅9
下金山駅 駅舎 待合室
下金山駅8

待合室の様子。
外観は割と大きめですが、その半分近くを駅事務室が占めているため、待合室は結構狭いですね。
壁はベニヤ板の羽目張りです。


下金山駅 出札窓口 駅員無配置駅 無人駅
下金山駅10

綺麗な出札窓口が設けてありますが、現駅舎が建ったのは1983年の事。
つまり1982年11月に無人化された後に完成したのです。
もしかしたら簡易委託による切符の販売が為されていたのかも知れませんが、詳細は不明です。



下金山駅11

ホーム側から駅舎を眺めた様子。
駅事務室の壁が大きく出っ張っており、比較的大きめの窓が付いているので、運転事務室として設計されている事が窺えます。
輸送障害が発生した際に管理駅から駅員を派遣し、連動装置の手動制御をさせる事を想定している訳ですね。
とはいえ現在の下金山駅は交換設備が撤去された棒線駅なので、そのような派遣の可能性はまずありません。


下金山駅 駅舎 駅事務室 運転事務室
下金山駅12

窓から駅事務室を覗いてみます。
安全ベストが掛かっている様子からして、現在は保線作業員の詰所として活用されているのでしょう。
ちなみに訪問当時は周辺の作業が無かったらしく、作業員の気配は全くありませんでした。



下金山駅13

駅舎の北側には古い木造下見張りの小屋が建っています。
かつての小荷物保管庫でしょうか?



下金山駅14

駅舎とホームは大きく離れており、この中間にも複数の線路が敷かれていた事を物語っています。
広々とした駅構内を眺めていると、林業の町として栄えた時代の面影を感じますね。



下金山駅15

駅舎側からホームの土台を眺めると、黄色いチョークで書かれた「左右確認」の標語が目に入ってきます。
国鉄時代は駅構内で操車に従事する駅員が、基本動作の徹底を忘れないよう目立つ場所に安全標語を書く駅が多く、今でも無人駅で往事の標語を見かける事は少なくありません。
「左」「右」の2文字を矢印と一体化させているのが面白いですね。



下金山駅17
下金山駅 島式ホーム 単式ホーム
下金山駅16

1面1線の単式ホーム。
かつては1面2線の島式ホームとして機能していました。
全長は20m車4~5両分ほどで、床面の大部分は細かな砂利が敷き詰められています。
簡易駅舎にはあまり国鉄らしさを感じませんが、ホーム上の木製電柱がレトロな良い味を出していますね。



下金山駅18

木製電柱にも「安全第一」の鉄板が付いています。



下金山駅19

電柱の更に上にも赤錆びた注意書きが。
かろうじて「指差確認」と読めますが、その下に続く標語までは分かりませんでした。
この看板はホーム上で出発指示合図を出す当務駅長(助役・運転掛を含む)に向けて設置した物かなあ?
ちょうどスピーカーも付いていますしね。


下金山駅 貨物ホーム 貨物積卸ホーム
下金山駅20

駅舎南側には車扱貨物用の積卸ホームが残っています。
雑草が茫々です。



下金山駅21

駅構内西側も側線が敷かれていたそうで、こちらも鉄道用地として残されています。
現在は専らレールやマクラギの一時的な置き場所として活用されています。



下金山駅23

ホームの滝川方から西側を眺めていると、一目で勝手踏切と分かる箇所を発見!
公道を歩いて回り込んでみる事にしました。


下金山駅 勝手踏切
下金山駅22

案の定、勝手踏切の道路側には富良野駅長名で「危険!線路内立ち入り禁止」の注意書きが設置されていました。
踏切として定められていない箇所で線路を横断するのは違法行為なのでやめましょう!


キハ40系1700番台 苗穂運転所
下金山駅30

下金山駅を出発するキハ40-1751。


※写真は全て2018年11月10日撮影
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最終更新日 : 2020-01-16

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