タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2020-01-07 (Tue) 23:44

謹賀新年 2019年に買った鉄道書籍10選[3]

2019鉄道書籍9

引き続き、2019年に購入した鉄道書籍10冊のうち、8冊目~10冊目を紹介していきましょう。
8冊目は古書店で入手した、北海道ジェイ・アール整備株式会社40年史編集委員会・編『40年史 1962-2002』(2002年/北海道ジェイ・アール整備株式会社)
本書はJR北海道の子会社、北海道ジェイ・アール整備㈱が創立40周年を迎えた2002年に発行された記念誌です。
社名を見てもピンと来ない・・・という方は、現社名の「北海道ジェイ・アール運輸サポート」で検索してみて下さい。
「JUS」を公式の略称としている同社は2020年1月現在、車両清掃(内部・外部)、車両整備(給油・給水・エアコン点検・車輪削正など)、運転所における構内入換業務を受託しており、2009年9月には庫内運転士の自社採用・養成も開始しています。
道外の方に分かり易く言えば、JR東日本運輸サービス㈱や㈱JR西日本メンテックのような性格の会社です。
では記念誌に書かれた内容をかいつまんでみましょう。

同社は1962年3月に設立された北海道車輌整備㈱を直接の前身としています。
会社設立の背景には国鉄本社が1961年度より着手した「第2次5ヵ年計画」があり、これを受けて札幌鉄道管理局が経営合理化の一環として車両清掃業務の部外委託を実施する事になったのです。
北海道車輌整備の本社は札幌駅北(札幌市北7条西4丁目)にあった札幌客貨車区の構内に置かれ、同年4月付で同客貨車区の旅客車清掃業務を受託。
本社に併設した札幌事業所に所属する39名の社員(主に国鉄OB)が、入庫する車両の清掃に着手しました。
その仕事ぶりは国鉄幹部にも評価されたといい、翌1963年8月には早くも苗穂機関区(現:JR北海道苗穂運転所)に進出し同構内に苗穂事業所を開設。
苗穂事業所では車内清掃に加え、旅客車内広告の取扱いも併せて受託しました。

その後は創立5年目となる1966年までの間に、
旭川事業所(旭川客貨車区構内)
手稲事業所(札幌運転区構内)
札幌貨物事業所(東札幌駅構内)
函館事業所(函館客貨車区構内)
岩見沢事業所(岩見沢第二機関区構内)
釧路事業所(釧路客貨車区構内)
室蘭事業所(室蘭客貨車区構内)
室蘭事業所鷲別支所(鷲別機関区構内)
室蘭事業所苫小牧支所(追分機関区苫小牧支区構内)
室蘭事業所追分支所(追分機関区構内)
小樽事業所(小樽駅構内)
小樽事業所小樽築港支所(小樽築港機関区構内)
小樽事業所倶知安支所(倶知安機関区構内)
苗穂事業所滝川支所(滝川機関区構内)
苗穂事業所富良野支所(富良野機関区構内)
・・・と道内各地の運転関係区所に進出。
業務範囲も拡大し、コンテナの清掃・塗装、廃品回収、ディーゼル機関車・気動車への給油、ボイラー取扱い、乗務員休養室の管理、灯油の配送・販売、座席カバー取替え、空き瓶回収・・・と多岐に渡るようになりました。

一方、北海道車輌整備の設立より1年前、1961年3月に北海道電工㈱という会社が発足しています。
こちらも北海道ジェイ・アール整備の前身となる会社ですが、後の1993年10月に北海道車輌整備と合併した際に法人格が消滅しています。
北海道電工は北大植物園の近く、札幌市北4条西12丁目に本社を置き、やはり国鉄の業務委託先として設立された会社です。
こちらの事業内容は「国鉄から与えられた最大の使命である、北海道特有の寒冷地と積雪という風土的条件を技術革新の中で、いかにして北海道の国鉄に適合したものにするか」(40年史p.23)、すなわち寒冷地向けの車両技術開発です。
設立と共に菊水工場を開設し、国鉄車両用の電機部品の製造・販売を行う最中、1963~1965年の2年間で「DC電源容量の低下を防ぐ充電発電器の変速装置(DCアイドル増速機)の考案と製造に成功」(同p.23)。
このDCアイドル増速機は北海道のみならず、東北から九州まで全国の国鉄線に広く普及したというのですから驚きです!
菊水工場の高度な技術力に目を着けたのか、鉄道建設公団は1972年4月に青函トンネル用電気機関車電源の製造を北海道電工に発注しました。
これがED79形の開発に繋がるのか・・・と思うと、かなり凄い会社だと思いませんか?

更に面白いのが菊水工場の変遷。
同工場は1975年5月付で白石駅構内に移転し、車両電源用蓄電池の修繕工事に取り組むようになりました。
1年間の修繕個数は3万個にまで達したといいます。
ところが昭和の終わりに蓄電池が使い捨てとなったため受注が激減。
工場の規模を縮小して1991年8月、「厚別高架下に厚別工場を設置」(同p.52)した訳ですが、この「厚別高架下」というのはつまり新札幌駅の近くという事ですよね?
だって厚別駅の前後は高架線になっていませんし、新札幌駅付近の住所は「札幌市厚別区厚別中央」ですからね。
といっても新札幌駅は大規模な駅ビルになっているから工場の設けようがないですし、駅東側の軌道は築堤になっている・・・と消去法で考えると、駅西側の何処かの高架下に工場があったという事になります。
「ジェイパーキング厚別中央3・4」の辺りかなあ?
あの辺、土地がくぼんでいる箇所があって、その分だけ橋桁を高くしているので、そこなら工場を作るのに収まりが良さそうな気がするんですよね。
記念誌には厚別工場の具体的な住所が書かれていないため、詳細が気になるところ。

厚別工場は車両部品工場として機能し、1994年4月に「厚別事業所」へと改称しています。
そして1999年4月、札幌運転所構内に移転し「手稲ワークス」に改組。
記念誌のp.p.54~55では、車両重量部品着脱機の製造、721系プロテクター取付工事、意外なところでは黄色いアーチが特徴的なニセコ大橋のヒーティング施工と、手稲ワークスが誇る製作部品・工事実績の数々を紹介しています。



2019鉄道書籍10

9冊目は京都車掌区百周年記念事業準備委員会・編『京都車掌区百周年記念 新たな百年に向けて』(2010年/西日本旅客鉄道株式会社京都支社京都車掌区)
JR西日本京都車掌区が2010年12月に開設100周年を迎え、制作された記念誌です。
同じ関西には国鉄時代、北は青森から南は西鹿児島、東は東京から西は長崎まで日本列島の広範に渡る優等列車乗務を担当した大阪車掌区があるので、それに比べると京都車掌区はやや地味な印象ですが、こちらも「なは」、「彗星」などの寝台特急、「あさしお」、「雷鳥」などの昼行特急を担当してきた花形と言えます。

薄めの本ではありますが京都車掌区の歴史を網羅しており、全盛期の1972年10月当時の乗務区域一覧表も載っています。
これによると北は直江津から南は西鹿児島、東は汐留から西は長崎までを乗務範囲としていた事が分かります。
汐留駅への乗務は専ら貨物列車で、京都車掌区には列車掛も配置されていたといいます。
現所属社員紹介も載っており、これによると2010年12月当時の京都車掌区の人員配置は下記の通りです。

区長 1名
首席助役 1名
指導助役 1名
営業助役 1名
教育助役 1名
業務・育成助役 1名
指導係長 3名
営業係長 2名
教育係長 2名
当直係長 4名
交番係長 7名
係長 1名(事務係長?)
事務係 3名
車掌 274名

計302名

JR西日本は2000年4月の大規模職制改正で職名のフラット化を行い、地上勤務では「係」、「指導係」(技術係を含む)、「主任」の3段階、乗務員では「車掌」「運転士」、「主任車掌」「主任運転士」の2段階、現業事務では「事務係」、「事務主任」の2段階に分かれていた係職を各系統1職名に統一しています。
そのためJR他社では今なお健在の「事務主任」と「主任車掌」は無く、非管理者は「事務係」と「車掌」の2職名だけとなっています。
なお、JR西日本では2008年に「専門職制度」という指導職の登用制度を導入しており、車掌が専門職に任命されると「専門主任車掌」という職名になるのですが、これが駅長よりも狭き門と言われる難関職であり、京都車掌区にも専門主任車掌は見られませんでした。

一方、管理者を見ると区長1名、助役5名(首席助役を含む)、係長19名。
京都車掌区では担当助役制・担当係長制を導入しています。
従来の「指導助役」は乗務員指導を担当しますが、教育助役は乗務に限らず接客や安全衛生、キャリアアップに係る教育も受け持っているものと思われます。
「係長」は2000年4月の職制改正で誕生した職名で、要するに「助役」の職名を2段階に分けたという事らしいですね。
JR西日本における現行の助役は旧来の科長や総括助役保線管理室の室長に相当するポジションのようです。

さて、同誌によると京都車掌区のルーツは1900年に設置された京都車掌駐在だとしつつも、車掌区が発足した時期は11年後の1911年12月としています。
これはどういう事か、下記に見てみましょう。

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 京都車掌区の前身は、最初、神戸鉄道院西部鉄道管理局の管轄下に置かれた。明治33年(1900)に車長から車掌へと呼称が変わり、神戸鉄道院京都車掌駐在が設置された。この京都における車掌駐在所が当区に至る始まりである。同年、「客扱専務車掌」(それまでは乗客保護車長と呼ばれていた)が登場し、夜行列車、長距離直通列車に乗務を開始した。
 東海道本線の他に、京都鉄道(現山陰本線)、関西鉄道(現奈良線)は明治40年(1907)に鉄道国有法により国有化され、それぞれ二條車掌監督所、七條車掌監督所が設けられた(のち、廃止され京都車掌区管轄に)。明治42年(1909)には、鉄道官制改革により、神戸鉄道院京都車掌駐在所から京都車掌監督所に格上げされ、東海道本線・東京~下関間を担当、明治44年12月に初代車掌監督として吉田恵三治が任命された。

《出典》
京都車掌区百周年記念事業準備委員会(2010)『京都車掌区百周年記念 新たな百年に向けて』(西日本旅客鉄道株式会社京都支社京都車掌区)p.12
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これを踏まえた上で本書を遡ってp.2、京都車掌区長(当時)の古澤一弥さんによる祝辞「京都車掌区開設百周年を迎えて」を見てみましょう。

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 平成22年12月京都車掌区は開設百周年を迎えることができました。その歴史は明治42年京都車掌監督所からはじまり、明治44年に車掌監督所に車掌監督(区長)が置かれたのが京都車掌区の始まりです。

《出典》
京都車掌区百周年記念事業準備委員会(2010)『京都車掌区百周年記念 新たな百年に向けて』(西日本旅客鉄道株式会社京都支社京都車掌区)p.2
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つまり京都車掌区では現在の区長に相当する「車掌監督」を置いたか否かを判断基準に、車掌区の開設時期を1911年12月と定めているのです。
そして前掲したp.12での解説文は以下のように続きます。

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翌年、初めての特急列車が東京―下関間で運転され、「列車長」が定められた(大正3年廃止、客扱専務車掌に集約)。車掌監督所は、昭和初期まで駅に付随した組織であり、車掌監督も車掌も基本的に駅長の指揮下、出札や改札などの駅業務もこなした。大正3年(1914)の運輸従事員服務規程改正により、列車乗務員として駅従事員と分離がなされたのである。

《出典》
京都車掌区百周年記念事業準備委員会(2010)『京都車掌区百周年記念 新たな百年に向けて』(西日本旅客鉄道株式会社京都支社京都車掌区)p.12
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1914年に実施された「運輸従事員服務規程」の改正についても言及しています。
この改正を以って駅従事員と列車乗務員が明確に区別されたというのは、鉄道ファンなら御存知の方も多いでしょう。
ところがですね、これが車掌区開設の判断にも影響する難しいところなんです。
京都車掌区のように「開設○周年」を祝って記念誌を作る車掌区は他にもありますが、例えば札幌車掌区開区65年実行委員会が国鉄時代に制作した『年表と写真でつづる65年』(1978年/札幌車掌区北州会)を見てみましょう。
巻末に同実行委員会の副委員長、脇島義忠さんが記した編集後記「刊行するにあたって」が載っているのですが、これを読むと京都車掌区とは異なる判断基準を以って開設時期を定めた事が分かります。

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 札幌車掌区の開区は、従来から大正7年4月となっています。それに従うと60周年になります。これを機会に、60年の歩みを記録しておこうという意見が持上がり、昨年9月16日の北州会の役員会で決定をみました。さっそく“開区60年記念行事実行委員会”が発足、編集スタッフが決まり作業に入りました。ところが、区の足跡をたどってゆくうちに、正しい開区の年月が判明したのは、7月半ばでした。
 車掌区という独立した現業機関としての位置づけには、多くの意見があります。大正3年2月以前の車掌監督は、当時の運輸事務所の中の一つの担当職で、駅所属の車掌を監督していたものと考えられます。したがって、独立した現業機関の車掌監督は、大正3年1月17日鉄道公報達第43号による、運輸従事員服務規程の同年3月1日施行の日を、札幌車掌区開区の日としました。

《出典》
札幌車掌区開区65年実行委員会(1978)『年表と写真でつづる65年』(札幌車掌区北州会)p.114
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そう、札幌車掌区(現:JR北海道札幌車掌所)では調査の末、「運輸従事員服務規程」が改正された1914年3月を開区の日としたのです。
実際、京都車掌区も前掲の文章で「車掌監督所は、昭和初期まで駅に付随した組織であり、車掌監督も車掌も基本的に駅長の指揮下、出札や改札などの駅業務もこなした」(京都車掌区百周年記念p.12)と述べており、列車乗務員が駅業務から分離して初めて車掌区の発足を見るという立場もまた理に適っていると思います。
しかし札幌車掌区の脇島さんは「車掌区という独立した現業機関としての位置づけには、多くの意見があります」(年表と写真でつづる65年p.114)と述べており、開設時期の判断については諸説ある事を匂わせていますね。
もちろん車掌監督の設置を以って車掌区開設とするのも至極普通だと思います。
古書店で買ってみたら思いがけない論題が露になってしまいました!


室蘭駅史
2019鉄道書籍11

いよいよラスト、10冊目は室蘭駅・編『駅史 室蘭駅』(1984年/札幌鉄道管理局  室蘭駅長 大澤達彌)
本書は国鉄室蘭駅が編纂した唯一の史書です。
今や支線の小さな業務委託駅になってしまった室蘭駅ですが、かつては石炭積出港を支える重要な貨物輸送拠点でした。
何と言っても石炭船積設備に関する記述は圧巻!
p.p.24~52の計29ページに渡り、室蘭駅から室蘭港に延びていた桟橋の荷役設備を解説しているのです。
具体的にはトランスポーター、ローダー、カーダンパー、マントロリー式橋型起重機などなど。
これらは夕張はじめ石狩炭田から運ばれてきた石炭を貨車に載せたまま桟橋まで運び、貨車から貨物船に載せ替えるための設備で、その操作・保守は室蘭駅の重機担当駅員(重機掛・重機運転掛・重機検修掛・重機手)が担ってきたといいます。
道内石炭産業の発展に伴う機器の設置から、石油への転換に伴う撤去までを網羅しており、各種船積設備の詳細な図面も掲載しています。
当時の石炭産業に関する重要な史料だと思うのですが、意外な事に蔵書のある図書館は無い模様・・・。
石炭・鉄鋼・港湾・鉄道の4大テーマにより道内産業の歴史保存を目指す「炭鉄港」が、2019年5月に文化庁より「日本遺産」に指定されました。
そんな転機を迎えたからこそ、炭鉄港の物語を紡ぐ要素として『室蘭駅史』が復刊される事を望みます。
『日本国有鉄道百年史』を復刻した成山堂書店あたりがやらないかなあ・・・と淡い期待を寄せていますが、はたして・・・。


以上、3回に記事を分けて合計10冊の書籍を振り返りました。
今年もまた鉄道書籍(主に古書)を漁る事になるでしょう。
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最終更新日 : 2020-01-10

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