タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

現在、札学鉄研OB会ブログから筆者投稿の記事を移転中です

Top Page › 鉄道模型・グッズ等 › 謹賀新年 2019年に買った鉄道書籍10選[2]
2020-01-05 (Sun) 21:09

謹賀新年 2019年に買った鉄道書籍10選[2]

2019鉄道書籍6

引き続き、2019年に購入した鉄道書籍10冊のうち、5冊目~7冊目を紹介していきましょう。
5冊目は北海道新聞社・編『札幌の路面電車100年』(2019年/北海道新聞社)
現役の路面電車としては日本最北端となった札幌市電が、2018年8月で開業100周年を迎えた事を受けて道新が企画した書籍です。
しかし編集が難航したのか、惜しい事に翌2019年5月の発売となってしまいましたが(3ヵ月後には101周年!)、路面電車100年の歴史を刻む重要な1冊に仕上がっています。

札幌市電は元々、1918年8月に私鉄の札幌電気軌道として開業しました。
これは札幌市街軌道(1910年5月開業)の馬車鉄道をベースに、軌道を敷き直して直流600Vの電化を施したものです。
折りしも開業当時は北海道庁が主催した「開道50周年記念大博覧会」の開催期間中で、全国的な近代化の波に乗って10万人都市に成長した札幌の、更なる発展を体現するシンボルとして好評を博しました。
昭和を迎えると1927年12月に市営化され、札幌電気局が運営するようになりました。
札幌市電気局は1943年1月に札幌市交通事業所、1947年6月に札幌市交通局と2度に渡り改称されています。

1957年には泰和車両(現:泰和)、運輸工業(廃業済み)、苗穂工業(現:札幌交通機械)、藤屋鉄工(現:富士屋鉄工)の4社が集まって札鉄共札幌綜合鉄工共同組合)を結成し、200形8両を製造した事から「道産電車」の増備が始まります。
200形は南海電鉄和歌山軌道線の321形に似た顔立ちでしたが、翌1958年に日立製作所が製造・納品した330形(形式名は昭和33年製である事に由来)が持つヨーロッパ風のスタイルが好評で、これに札鉄共も便乗。
330形とほぼ同様のデザイン・寸法で210形、220形、230形、240形と道産電車の製造を重ね、1961年に製造した250形では基本的なデザインを踏襲しつつも、車体長を延ばして車高を下げています。
1958年からD1000形、D1010形、D1020形と増備が続いた路面ディーゼルカーも330形に準じたデザインを採用しています。
このうち210形4両、220形2両、240形7両、250形5両は健在で、2020年1月現在で在籍車両の過半数を道産電車が占めています。
フロントガラスを1枚窓とし、丸みを帯びた造型の「札幌スタイル」は今なお札幌市電の象徴的存在です。

最盛期には総距離25kmを記録し、北は新琴似駅前から南は学芸大学前(現:中央図書館前)、西は円山公園から東は豊平駅前に至る路線網を築きました。
しかし1960年代後半のモータリゼーションで乗客は減少に転じ、市営地下鉄の整備もあって1971~1974年の4年間に大半の路線が廃止となりました。
その後は一条線西4丁目~西15丁目間、山鼻西線西15丁目~中央図書館前間、山鼻線中央図書館前~すすきの間の3路線が残るも、事実上1路線として西4丁目~すすきの間8.4kmの直通運転を実施してきました。
2000年代に入り交通弱者問題や環境問題などがピックアップされ、公共交通機関が見直されるようになると、札幌市電も再評価されて延伸に向けた気運が高まってきました。
そして西4丁目電停とすすきの電停を結ぶ都心線を札幌駅前通に敷設し、2015年12月には札幌市電のループ化開業が実現。
約40年の歳月を経て狸小路の手前を再び路面電車が横切るようになりました。
札幌市交通局は苗穂や桑園への延伸も計画しています。

『札幌の路面電車100年』を開くと廃止になった区間のカラー写真が多く見られ、現存する写真を収集するのも一筋縄ではいかなかっただろうと思います。
国鉄札幌駅の西側に建造され、函館本線を跨いだ陸橋(通称:おかばし)の写真が複数掲載されているのも嬉しいですね。
元々は併用軌道だった「おかばし」ですが1967年7月、函館本線の交流20,000V電化に伴い橋の付け替えが為されると、車道と軌道が分離して札幌市電唯一の専用軌道が出来上がったのは語り草です。
札幌市電を扱う他の書籍ではあまり見られなかった、専用軌道時代の「おかばし」と地上の合流地点の様子を知る事も出来ました。
現在の札幌の街並みと見比べる楽しさも大いにありますね。
北の路面電車の風物詩、ササラ電車の特集ページも設けられています。


JR北海道 国鉄 太平洋石炭販売輸送臨港線 鹿角花輪駅
2019鉄道書籍7

6冊目は岡本憲之presents『消散鉄道風景Vol.1 あなたの知らない鉄道考古学』(2019年/イカロス出版)
同書をプロデュースした岡本憲之さんは栃木県在住の鉄道研究家で、特殊鉄道車両メーカーの設計課に勤務されていた経験もある方です。
岡本さんは「せんろ商会」という団体を主宰し、実用化されている鉄道のゲージとしては世界最小とされる15インチ(軌間381mm)の鉄道用品を製造したり、鉄道書籍の制作・編集をされたりと精力的に活動されているため、御存知の方も多いと思います。
中でもJTBが出版している『知られざる鉄道』シリーズは遊園地の鉄道、工場の専用線、味噌樽運搬トロッコ、鮎料理店の人力トロッコ、一般家庭の庭園鉄道、更には列車を模った公園の遊具などなど、並みの鉄道ファンでは見逃しがちな「鉄道」を紹介する隠れた傑作です。

そんな岡本さんが監修された本なので、やはりマイナーかつディープな鉄道ネタが目白押し。
のっけから「思い出の東京都港湾局臨港線」ですからね。
日の出線、芝浦線、晴海線、深川線、豊洲物揚場線の5路線が敷かれ、群青色に塗装された凸型ディーゼル機関車が有蓋貨車を牽いて東京湾岸をひた走った時代を伝えています。
収録記事は21篇に及び、執筆者は岡本さんを含めて計11名です。

道民的に注目だったのは情野裕良さんのペンによる「太平洋石炭販売輸送臨港線の記録」で、2019年6月を以って廃止された臨港線(旧:釧路臨港鉄道)を取り上げています。
その中で春採駅を取材しているのですが、これがまた素晴らしい!
何しろ駅舎2階にあった信号司令室を紹介しているのです。
列車を追いかける割に運転取扱業務への興味が薄い鉄道ファンが意外に多く(例えば駅の「輸送本部」がどのような施設が知らない)、信号司令室についても一向に話題に上らなかったものですから非常にありがたいネタでした。
記事によると春採駅では1964年に継電連動装置を導入しており、臨港駅までの自動閉塞化は1968年に為されたとの事。
国鉄北海道支社のCTC化は1969年11月の函館本線五稜郭~森間が初だったものですから、釧路臨港鉄道の先進性が窺えます。
p.53には春採駅信号司令室の執務風景を捉えた写真も掲載されており、指令担当の駅員が連動制御盤の前に立って無線マイクを手繰り寄せ、乗務員と連絡を取り合っています。
p.p.51~53では「シャトルトレインの輸送を見る」と題して石炭輸送の一部始終を解説しており、運転士、車掌、指令の3者による作業手順が事細かに記録されているため、これを読むだけでも本書を買う価値は大いにあります!

岡本憲之さん執筆の「たかがトロッコされどトロッコ・・・ スペシャル編」も実にディープ。
トロッコという言葉が何を意味する物か、冒頭で説明しているのですが、これが如何にも特殊鉄道車両メーカーの勤務経験もある岡本さんらしい切り口です。

*************************************************************************
  本来のトロッコの意味というのは、土砂などを運ぶ運搬車のことを指すもので、そのイメージとしては、芥川龍之介の名作「トロッコ」を思い浮かべてもらえば分かりやすい。また、トロッコというのは、その発音から英語だろうと思われがちだが、じつはまったくの間違いで、その語源になったのは、英語の土工用の運搬車(カタチとしてはネコ車と呼ばれているもの)の意味であるtruck(トラック)がなまり派生した、いわば和製英語である(※2)。

※2.英語圏では、トロッコのような運搬車のことを「トロリー(trolley)」とも呼ばれている場合もあるが、トロリーバスやトロリー電車のことではなく、回転する車輪が付いた簡単な台車という意味もある。

《出典》
岡本憲之presents(2019)『消散鉄道風景Vol.1 あなたの知らない鉄道考古学』(イカロス出版)p.92
*************************************************************************

ちゃんと注釈を付ける辺りも抜かりないですね。
保線の現場ですと軌材運搬に使うトロッコを「トロ」と呼ぶのが一般的で、「トロリー」と呼ぶ場合は自重3トン2軸以下のトロ、軌道モーターカー、軌道自動自転車の総称となります。
記事では福島県いわき市にある大一屋商店、秋田県鹿角花輪(かづのはなわ)にある丸中商店、岐阜県瑞浪市釜戸町にある丸昭釜戸鉱業協同組合など、全国各地で活躍する手押しトロッコを紹介しています。
中でも面白いのが福岡県久留米市にある東洋硬化㈱の工場で、同工場は1973年より操業しているのですが、手押しトロッコを導入したのは何と2013年、つい最近の事なのです!
写真を見るとなるほど、確かに綺麗な線路にトロッコ。
工場の増設に伴い各作業場へのパーツ移動に必要となり、軌間508mmの軌道を新設したのだとか。
関係者以外立入禁止の箇所にアポを取り、取材を実現させる根回しの巧みさとフットワークの軽さには頭が下がります。
メーカー勤務時代に作り上げたコネクションも活きているのでしょうね。

ちなみに来る2020年1月28日、2巻目となる『消散軌道風景 Vol.2』が発売されます!
こちらも要チェックや!!


京福電鉄福井鉄道部 京阪電鉄 えちぜん鉄道 東急 相鉄
2019鉄道書籍8

7冊目は京福電気鉄道88年回顧録『越前線写真帖』(2003年/京福電気鉄道)
京福電鉄の社名に冠する「京」は京都、「福」は福井を指すというのは最早説明するまでもないでしょう。
元々、京福電鉄は京都電燈の鉄道事業(越前本線・叡山平坦線・叡山鋼索線・架空索道線嵐山本線・北野線を継承して1942年3月に設立された会社です。
同年8月には三国芦原電鉄、鞍馬電鉄を吸収、2年後の1944年12月には丸岡鉄道、永平寺鉄道も吸収。
京都市内の嵐山線(本線・北野線)、叡山線(本線・鞍馬線)、鋼索線は本社の管轄、福井県内の越前本線、三国芦原線、永平寺線、丸岡線は福井支社(福井鉄道部)の管轄とし、京都と福井を結ぶ鉄道路線はありませんでした。
このうち叡山線については1986年4月を以って新会社の叡山電鉄に譲渡しています。

その後は嵐山線と福井鉄道部の営業を続けた京福電鉄ですが、福井鉄道部の経営悪化が著しく老朽化する施設の維持費を捻出しきれないとして、1992年2月に越前本線東古市~勝山間および永平寺線全区間を廃止すると表明しました。
これを受けて沿線では廃止反対の運動が起こり、京福電鉄も福井県や沿線自治体と連携し「京福越前線活性化協議会」を設置し、利用促進を図るべく各種イベントを開催しました。
その矢先、2000年12月に越前本線志比堺(しいざかい)~東古市間で列車同士の正面衝突事故が発生。
ブレーキロッドの破損により起こった事故で、運転士1名が死亡しました。

半年後の2001年6月にも越前本線保田(ほた)~発坂(ほっさか)間で衝突事故が発生し、これは運転士が信号確認を怠った事による人災でした。
半年間で2度も正面衝突事故が起きたのは異例であり、国土交通省中部陸運局が即日で「列車運行停止命令」を出した事から福井鉄道部は全線運休となりました。
バスによる代替輸送が続く中、2001年7月に中部陸運局から「安全確保に関する事業改善命令(中運鉄監62)」が発令されましたが、施設改善に必要な資金が10億円を越えるために自社での運行再開を断念。
京福電鉄は同年10月付で廃止届を提出したものの、列車を利用できない沿線住民の負担は日を追って大きくなり、マイカー転換が急激に進んだ事による周辺道路の混雑や、代替バスの積み残しといった問題が顕在化しました。
長期的な運休が続く中、沿線自治体は地域の足を守るべく第三セクター化による越前本線・三国芦原線の存続を決定。
2路線は2003年2月を以って新会社の「えちぜん鉄道」に譲渡され、同年7月から列車の運転が再開されました。
なお、永平寺線については運休のまま2002年10月を以って廃止されており、曹洞宗の総本山への巡礼に列車を使えなくなったのが惜しまれます。

『越前線写真帖』は福井鉄道部の廃止を記念し、京福電鉄が88年の歴史を遺すべく出版した書籍です。
えちぜん鉄道への譲渡により存続が実現したとはいえ、裏表紙に記された「さよなら」の4文字が哀しいですね・・・。
表紙を飾るのはノーシルノーヘッダーの日車標準車体、ホデハ250形ホデハ254です。
「ホデハ」という車両記号が個性的ですよね。
嵐山線の「モボ」(制御車は「ク」1文字のみ)、叡山線の「デナ」と「デオ」、福井鉄道部の「ホデハ」と「ホクハ」・・・京福電鉄はどういう訳か3系統で全く異なる車両記号を使う訳で、中学時代の私にはそれが奇妙かつ魅力的に映ったものでした。
福井鉄道部は1975年に形式名の改正を行い、「ホデハ」は「モハ」、「ホクハ」は「クハ」と一般的な記号に改めています。
京都電燈、三国芦原電鉄、永平寺鉄道、京王帝都電鉄、東京急行電鉄、相模鉄道、南海電鉄、阪神電鉄・・・京福時代に新造された車両は少なく、様々な私鉄からの譲渡車両が運転されていました。
その車両の数々や駅舎、沿線風景の写真を集約し、歴史を伝える文章と共に往事を偲ぶ1冊となっています。
「観測史上未曾有の大雪」(同p.115)だったという、1962年12月末~1963年2月初めの「38豪雪」における除雪作業風景も圧巻です。


以上、5~7冊目を取り上げました。
スポンサーサイト



最終更新日 : 2020-01-07

Comment







管理者にだけ表示を許可