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2019-12-02 (Mon) 23:50

根室本線金山駅[2] 支社境界の変更に関わる金山保線管理室

金山保線支区25

引き続き上川管内は空知郡南富良野町字金山にある、JR北海道の金山(かなやま)駅を取り上げましょう。
金山駅の構内南側には駅舎よりも幾分大きい、2階建てのコンクリート建築があります。
玄関にポストが設置されていますね。



金山保線支区26

この建物はホームにも面しており、1番乗り場の新得方に通用口を設けています。
見るからに鉄道現業機関の趣きです。
こちらの物件はかつて、帯広工務所金山保線管理室の事務所棟でした。
せっかくなので金山保線管理室の歴史もかいつまんでいきましょう。

金山駅は1900年12月、十勝線下富良野~鹿越間の延伸開業に伴い設置された駅だという話は既に述べました。
国鉄北海道総局が編纂した書籍『北海道鉄道百年史 下巻』(1981年)の巻末に掲載された年表を読むと、この延伸開業と同時に北海道官設鉄道は「金山保線手詰所」という現業機関を開設しており、これが金山保線管理室のルーツだと分かります。
金山保線手詰所はその名称の通り、「保線手」という現場作業員が従事する詰所です。
1905年4月の十勝線国有化で金山保線手詰所も国鉄の現業機関となりました。
各地の私鉄・公営鉄道を吸収した国鉄当局は1907年5月、全国に散らばる現業機関の名称を統一する機構改正を実施し、北海道官設鉄道から引き継いだ保線手詰所を全て「保線区」に改称し足並みを揃えています。
ならば金山保線手詰所も「金山保線区」になったのか…と思うでしょう?


帯広保線所金山保線管理室 新得保線区金山保線支区 帯広保線区金山保線支区 国鉄
金山保線支区28

ところが南富良野町のお隣、十勝管内の上川郡新得町が1972年に出版した『新得町七十年史』によると、1906年に落合保線区が開設されて布部~山部間の69km地点より落合駅に至るまでの区間を担当したとあります。
この区間には金山駅も含まれている訳で、つまり金山保線手詰所は落合保線区の設置と引き換えに廃止され、なおかつ担当区域を落合保線区が継承したのだと分かります。
この落合保線区は1917年11月に新得町へと移転し、新得保線区に改称されました。
以下に『新得町七十年史』の記述を引用しましょう。
元は大勢の鉄道職員が暮らした「国鉄の町」なだけあって、新得町役場編纂の郷土史書は鉄道ネタに気合いが入っています。

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 新得保線区は明治39年落合保線区として旭川保線事務所に属し、空知郡南富良野町字落合に所在、布部ー山部間滝川起点69㌔より終点駅落合(滝川起点84㌔610㍍)までを担当し、業務を開始した。
 翌明治40年落合ー帯広間の開通に伴い、新得ー十勝清水間滝川起点140㌔まで延伸して担当することとなった。
 新得町に移転したのは大正6年11月で、その時新得保線区と改称した。
 大正8年4月釧路保線事務所に所属、大正12年4月ふたたび旭川保線事務所に所属したが、昭和24年12月釧路鉄道局開設と同時に富良野ー布部間滝川起点61㌔より併合移管となった。昭和25年機構改革によって引きつづき釧路鉄道管理局の所属となった。

≪出典≫
新得町史編さん専門委員会(1972)『新得町七十年史』(新得町役場)p.296
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帯広工務所金山保線管理室 新得保線区金山保線支区 帯広保線区金山保線支区 国鉄
金山保線支区27

金山保線手詰所、落合保線区、新得保線区と移り変わるうち、一旦は保線の拠点が無くなった石狩金山ですが、40年以上の歳月を経て(組織体制こそ大幅に違うものの)復活を遂げます。
それは国鉄当局が「軌道保守の近代化」を謳い文句に、1961年より始動した「保線支区」の新設です。
中央鉄道学園が編纂した『保線支区における作業計画のたて方』(1967年/交友社)という書籍があります。
これは保線計画の策定を担当する計画助役および技術掛(計画)を対象とした実務指南書です。
当時の保線は「増大する輸送量、列車速度に対応」(同序文)する事が最重要課題で、抜本的な改革を急いでいました。
そこで「軌道構造を強化し、保守方式を従来の人力による分散的な随時修繕方式から機械力を活用した集中的な定期修繕方式にあらため、制度的には、そうした作業に対処しやすいように現場組織を集約し、さらに作業と検査の分業化をはかる」(同序文)方針を固めたのです。
つまり従来の人力に頼りきりの保線業務では検査と作業を混同し、現場で異常を認めたら直ちに修繕を行っていたところ、新体制では「異常が発生する前に手を打つ」という「予防保全」に移行する事で作業の省力化を狙った訳です。
保線区内ではこれまでも「線路分区」という組織単位を設けてはいましたが、これは各地に分散して配置した小規模の「線路班」から成るものです。
労働力が細かく分散する分、労務・財務・資材・契約の管理や、保線作業員への指導教育、長期的な工事計画の策定において不便さを抱えていました


国鉄 保線区職制 管理助役 線路助役 検査助役 機械助役 工事助役
国鉄の保線区・保線支区体制図p01
資料を元に作成した保線区における支区制の例図
本区・支区ともに担当助役が従事し、各掛職の指揮監督をした

国鉄本社が2年間に渡って構想を練り続けた後、1963年4月に定期修繕への試行をするべく11支区が発足。
支区体制への移行に伴い本区には事務助役(総務・経理を担当)、用品助役(工具・制服など資材管理を担当)、管理助役(保線係員・下請業者への指導・安全教育や工事スケジュール管理等を担当)、線路助役(日常的な軌道管理と工事設計等を指揮)、機械助役(保線車両の運転に関する企画・検修などを担当)、検査助役(土木構造物の検査・維持管理を指揮)、工事助役(土木構造物の保守・修繕を指揮)、営林助役(鉄道林の保守を指揮)といった担当助役を配置。
保線支区にも支区長を筆頭に計画助役(作業計画の策定を担当)、作業助役(保線作業現場の指揮を担当)といった管理者を置き、各々の持ち場で掛職のマネジメントを行わせる体制となりました。
続いて1966年末に全国186支区が新体制への移行を完了し、更に1971年度には約600の全支区が随時修繕体制から定期修繕体制への移行を果たしました。
新得保線区もこの流れに乗って、まずは1966年2月に建築・営林土木を分離して釧路建築区(現:JR北海道釧路設備所)、釧路営林区にそれぞれ移管。
釧路建築区は狩勝における鉄道施設の建築保守を引き継ぐと同時に、釧路建築区帯広建築支区新得建築検査班を設けて業務を分担しました。
釧路営林区も狩勝峠周辺の鉄道林保守を継承すると共に、釧路営林区新得営林支区を新設しています。
業務の引き継ぎを終えた新得保線区は1966年10月に新得保線支区を設置し、翌1967年11月に金山保線支区を設置して本区1・支区2体制に移行しています。

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 昭和41年2月建築、営林土木の近代化により保線区業務より分離、同年9月29日金山~東鹿越間ルート変更、同月落合~新得ルート変更により、管轄路線に大変動があった。その結果60年の歴史とともに歩んできた狩勝線路分区は廃止となり、昭和41年10月1日付で新得保線支区が発足、つづいて翌昭和42年11月15日金山保線支区が発足した。
 昭和43年12月軌道保守新体制移行により、十勝清水ー御影間が担当区域に加わったので、現在富良野ー御影間本線軌道延長95㌔500㍍、側線を含めて156㌔500㍍を担当している。
 現在保線区長は高沢信夫で、昭和44年4月1日現在157名の職員が勤務しており、その内訳は前表のとおりである。

≪出典≫
新得町史編さん専門委員会(1972)『新得町七十年史』(新得町役場)p.p.296~297
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『新得町七十年史』掲載の表によると、1969年当時の新得保線区従事員は本区29名、支区128名。
職名別人数を見ると本区では区長1名は当然として、その配下に助役7名、事務掛5名、技術掛4名、工事技術掛3名、構造物検査長2名、構造物検査掛3名、保線機械掛3名、用務掛1名が従事。
支区の人数は新得支区・金山支区の合算となっているのが惜しいですが、支区長2名、助役4名、事務掛2名、技術掛4名、軌道検査長9名、軌道検査掛10名、保線機械掛7名、保線指導掛2名、軌道作業長10名、軌道掛78名が従事していました。


帯広保線所金山保線管理室 新得保線区金山保線支区 帯広保線区金山保線管理室 国鉄
金山保線支区35

このコンクリート造りの事務所棟も、金山保線支区が発足した1967年当時に竣工した物でしょうね。
その後も保線業務の更なる合理化に向けた動きがあり、1981年2月に国鉄当局がいわゆる「新しい線路保守体制」を確立。
この時には施設関係を対象に大規模な職制改正が実施され、駅や運転関係区所(機関区・電車区・気動車区・客貨車区・運転所)、工場・車両所、機械区、情報区(旧:電務区)などで既に実施されていた改正と同じく掛職の「掛」を「係」に改めました。
それに加えて作業班(保線指導掛・軌道作業長・軌道掛)と検査班(軌道検査長・軌道検査掛)で分けていた各職名を統合し、保線管理長、保線副管理長、保線管理係、施設係の4段階としました。
そして保線機械の導入が進んだ事を踏まえて運転操縦技術の熟練度・定着性の向上を図り、なおかつ働きがいを感じられるよう上級専門職を新設する事になり、保線機械掛しかなかった機械運転の専門職を重機保線長、重機副保線長、重機保線係の3段階としました。


帯広保線所金山保線管理室 新得保線区金山保線支区 帯広保線区金山保線管理室 国鉄
金山保線支区37

このように業務効率化や新機軸の導入拡大を見据えた人事制度の変更を敢行した一方で、保線作業の外注化の拡大方針を打ち出したため、新得保線区の拠点である新得町では人口の流出による産業の衰退が懸念されて反対運動が勃発。
しかし地元の懸命な訴えも虚しく1986年8月に新得保線区は廃止される事となりました。
以下に『新得町百年史』の解説を引用しましょう。

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 昭和61年(1986)8月1日、町を挙げての反対運動にもかかわらず、新得保線区は廃止となり、帯広保線区の管轄となった。これの下部機関として新得保線管理室(旧新得保線支区)が設置され、職員は20名体制となった。

≪出典≫
新得町百年史編さん委員会(2000)『新得町百年史』(新得町役場)p.567
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新得保線区の廃止に伴い、新得保線支区は帯広保線区の管轄に移され、新得保線管理室に改組された事が分かりますね。
この「保線管理室」とは保線支区の規模を更に小さくしたもので、JR北海道の保線所における下部組織単位として健在です。
保線管理室には管理者として「所長代理」が置かれるのですが、これは従来の「支区長」とは異なり所長代理の指定を受けた助役で、分割民営化に伴い労働組合への加入も認められました。
一方、金山保線支区はと言うと、中央労働委員会が公開している命令・裁判例『北海道地労委昭和62年(不)第6号  北海道旅客鉄道・日本貨物鉄道(北海道不採用)』の「命令書」p.16に名前が載っており、「帯広保線区(金山)」とあります。
つまりこちらも同様に帯広保線区金山保線管理室に改組の上、存続された事が分かります。

金山保線管理室には1986年9月に「金山育成会」という小集団活動が設置され、国鉄改革のための活動に取り組んだといいますが詳細は不明です。
そういえば1986年10月の金山駅無人化後、1990年代前半まで金山保線管理室が乗車券の販売をしていたのだとか。
少なくとも2017年12月頃には駅舎の北側に「楽しい旅行はJRで!!フルムーン夫婦グリーンパス・回数券・北海道フリーきっぷ・そのたきっぷのお求めは金山保線管理室」と書かれた看板が残っていたそうで、おそらくは小集団活動の一環として切符を売っていたのだろうと思われます。
本来なら出札は保線業務の範疇を越えていますからね。
なお、私が訪問した2018年11月時点では残念ながら撤去済みでした。


帯広工務所金山保線管理室 新得保線区金山保線支区 帯広保線区金山保線管理室 国鉄
金山保線支区29

そして1987年4月、分割民営化に伴い帯広保線区金山保線管理室はJR北海道に継承されました。
1990年3月にはJR北海道が組織改正を敢行し、現業機関の組織単位「区」を全て「所」に改める事となったため、帯広保線区は「帯広保線所」に改称。
帯広保線区金山保線管理室は「帯広保線所金山保線管理室」となりました。
この時の組織改正では他にも、車掌区は「車掌所」、運転区は「運転所」(※札幌・苗穂・旭川等は会社発足当時から「運転所」だった)、建築区は「建築所」、機械区は「機械所」、営林区は「営林所」、電力区は「電力所」、信号通信区は「信号通信所」、電気区は「電気所」に改称・統一されています。


帯広工務所金山保線管理室 新得保線区金山保線支区 帯広保線区金山保線管理室 国鉄
金山保線支区39

それから7ヵ月後の1990年10月、JR北海道は工務系統の現業機関を対象に組織改正を実施。
この改正は業務の融合による効率化を目指したもので、新たに「工務所」と「設備所」が開設される事になりました。
このうち「工務所」とは保線所と電気所を統合したもので、この改正より前の1988年3月に開業した海峡線では既に保線・電気・機械設備の各部門を統合した「青函トンネル工務所」が稼働していました。

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工務関係現業組織の改正
ー10月1日より実施ー

 中央本部は8月20日提案を受けた工務関係現業組織の改正について9月19日14時集約をしました。これにともない工務職場の組織改正は10月1日から移行されました。
 今次の組織改正は9月13日経営協議会で提起された中期計画の中で示されている工務関係の取り組みの第一段階として捉え返すことが重要です。
 平成6年にむけてどの様に具体的な施策が進められるのか、組織はどの様になっているのか等です。
 今回の組織改正で実施されたおもな点は、
1 営林所を廃止して保線所に統合する。
 職名の統合などはなされていないが、一部の保線所では業務の融合が図られていることから今後の方向性を見ることが出来ます。
2 工務所の拡大が図られています。
 地域を限定する形で保線所と電気所を統合して工務所として3箇所設置されましたが、これからの基本形として位置づけることができ、今後拡大されていきます。
3 建築所と機械所が統合されて設備所として新設されました。
 釧路、旭川、函館については出来上がり型と見ることが出来、今後内部での効率化がはかられていきます。
4 電力所と信号通信所を統合して電気所を設置しています。
 同時に保線管理室、駐在、派出所の統廃合や名称の変更もなされました。組織改正に伴って業務体制についても担当区域の変更などもありました。
 今回の実施では、職名の統合等が成されていないため大きな要員削減になっていませんが、今後この組織を効率的に運営するための施策が実施されていくと考えられます。
 職場ではこの組織改正に伴って多くの人が異動の対象となりました。
 新しい職場のルールを自らのものとしてつくり出す取り組みの始まりです。
(武川業務部長)

≪出典≫
北海道旅客鉄道労働組合(1990)『JR北海道労組新聞』1990年10月22日付、第2面
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引用文には3箇所の工務所を置いたとありますが、これは先述の青函トンネル工務所(現:函館新幹線工務所および函館新幹線電気所)と、名寄工務所(現:名寄保線所および旭川電気所名寄派出所)、稚内工務所(現:名寄保線所稚内保線管理室)の事ですね。
帯広保線所も帯広電気所との統合により帯広工務所となり、金山保線管理室も「帯広工務所金山保線管理室」となりました。
工務所管轄の管理室で保線・電気を共に担当している箇所ですと、単に「管理室」の3文字で表記されるのですが、金山の場合は「保線管理室」とあるので保線のみの担当だった事が窺えます。


帯広保線所金山保線管理室 新得保線区金山保線支区 帯広保線区金山保線管理室 国鉄
金山保線支区33

そんな金山保線管理室も1994年3月、更なる合理化のために廃止の時を迎えました。
これに伴い金山保線管理室が担当してきた南富良野周辺の保線は、岩見沢保線所富良野保線管理室に引き継がれています。
この事実は公益社団法人交通協力会が2018年度版まで毎年発行してきた、鉄道事業者の動向を伝える業界情報誌『交通年鑑』の1995年度版に書かれていますので、下記に引用しましょう。
ちなみに『交通年鑑』のバックナンバーは、交通協力会公式サイトの「電子図書館」にアクセスすれば無料で閲覧できます。

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(5) 工務系統現業機関の統廃合
 6年3月18日に、より効果的な保守業務体制の確立を図るため、小規模な保線管理室を最寄の保線管理室に統合した。

(6) 本社と釧路支社との境界変更
 6年4月1日に、帯広工務所金山保線管理室の岩見沢保線所富良野管理室への統合に伴い、布部駅から落合駅までの7駅が釧路支社から本社に境界が変更になり移管した。

≪出典≫
交通協力会(1995)『交通年鑑 平成7年度版』p.p.221~222
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…さて、引用文を読んでハッとした方もいらっしゃるでしょう。
JR北海道が1994年4月に根室本線富良野~落合間を、釧路支社の管轄から本社鉄道事業本部の直轄に変更している事自体は鉄道ファンの間でよく知られている話です。
しかし、その要因が保線管理室の統合によるものとまでは、ほとんど知られていないのではないでしょうか?
金山保線管理室が廃止されて25年、元号も平成から令和に変わりましたが、「平成初期までこんな現業機関が金山にあった」という事を一人でも多くの方に知って頂きたいですね。


帯広保線所金山保線管理室 新得保線区金山保線支区 帯広保線区金山保線管理室 
金山保線支区38

なお、事務所棟は現在も保線作業時の詰所として活用されているらしく、窓際には洗剤が整然と並んでいました。


帯広保線所金山保線管理室 新得保線区金山保線支区 帯広保線区金山保線管理室 
金山保線支区34

何せ駅構内の北端、富良野・滝川方には…


軌道モーターカー 新得保線区金山保線支区 帯広保線区金山保線管理室 
金山保線支区30

マルタイや軌道モーターカー、バラストレギュレーターなど、保線車両を留置する車庫が設けられています。
そしてこれら保線車両が活躍するのは基本的に夜間の線路閉鎖時なので、運が良ければ煌々と電気の点いた旧・金山保線管理室を見る事が出来るかも知れませんね。


軌道モーターカー 新得保線区金山保線支区 帯広保線区金山保線管理室 
金山保線支区32

旧・金山保線管理室の傍には、これまた貴重な赤レンガのランプ小屋もあります。


最後に、Wikipediaの『金山駅(北海道)』の項に「金山保線区の建物があるが、実際に使われているかは不明である。」とありますが、「金山保線区」という現業機関が設置されたという事実はございませんのでご注意下さい!


※写真は全て2018年11月10日撮影
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最終更新日 : 2020-08-09

デナさん、こんばんは(*^^*) * by らんちゃん
去年の11月に、金山駅に行かれて撮影されたのですね。
今年の11/21(でしたか?)、野花南の高架橋で事故があり、その2日後、道北一散きっぷを買い、永山ー旭川ー滝川ー芦別(から代行バス。野花南高架橋の様子も凝視)ー富良野(でバス乗り換え)ー金山(本当は東鹿越以降、新得までのどこか折り返しできる都合のいい駅で降りてみたかったのですが、それが金山駅と、乗務員さんに教えてもらい、乗務員さんも同じく金山から折り返しに(;o;))で降りました。記憶に新しい、駅の中のお写真(^^)
北海タイムス、私も覚えがありますよ。

金山までは行きませんでしたが、富良野まで、12/14に18きっぷで、また同じような行程で、芦別から同じく代行バスに。そしてこの時は、野花南高架橋状況をなぜか見るのを忘れ、気がついたら豊里ダムだったのでした(泣)。
18きっぷへのレチ記入(笑)は、年末になる予定ですが、どうなるやら・・・?

No Subject * by 叡電デナ22
>らんちゃんさん

どうも、こんばんは。

野花南の事故はビックリしましたね。
JR北海道は事故を起こした業者に対し賠償を求める方針ですが、はたして相手側に支払能力があるのやら・・・。

金山駅に行かれたばかりですか!
あそこは通常ダイヤでも楽に折り返し移動が出来る場所ですね。
北海タイムスの鏡は貴重ですよね。

高架橋の復旧には3ヶ月かかるそうで・・・。
私はまだ代行バスに乗っていませんが、ニュースのインタビューに応じた高校生が「バスは時間がかかるから通学に困る」と話していましたね。
普段から列車に乗っている地元の方々を思うと、一日も早い復旧を祈るばかりです。

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デナさん、こんばんは(*^^*)

去年の11月に、金山駅に行かれて撮影されたのですね。
今年の11/21(でしたか?)、野花南の高架橋で事故があり、その2日後、道北一散きっぷを買い、永山ー旭川ー滝川ー芦別(から代行バス。野花南高架橋の様子も凝視)ー富良野(でバス乗り換え)ー金山(本当は東鹿越以降、新得までのどこか折り返しできる都合のいい駅で降りてみたかったのですが、それが金山駅と、乗務員さんに教えてもらい、乗務員さんも同じく金山から折り返しに(;o;))で降りました。記憶に新しい、駅の中のお写真(^^)
北海タイムス、私も覚えがありますよ。

金山までは行きませんでしたが、富良野まで、12/14に18きっぷで、また同じような行程で、芦別から同じく代行バスに。そしてこの時は、野花南高架橋状況をなぜか見るのを忘れ、気がついたら豊里ダムだったのでした(泣)。
18きっぷへのレチ記入(笑)は、年末になる予定ですが、どうなるやら・・・?
2019-12-18-00:41 * らんちゃん [ 編集 * 投稿 ]

叡電デナ22 No Subject

>らんちゃんさん

どうも、こんばんは。

野花南の事故はビックリしましたね。
JR北海道は事故を起こした業者に対し賠償を求める方針ですが、はたして相手側に支払能力があるのやら・・・。

金山駅に行かれたばかりですか!
あそこは通常ダイヤでも楽に折り返し移動が出来る場所ですね。
北海タイムスの鏡は貴重ですよね。

高架橋の復旧には3ヶ月かかるそうで・・・。
私はまだ代行バスに乗っていませんが、ニュースのインタビューに応じた高校生が「バスは時間がかかるから通学に困る」と話していましたね。
普段から列車に乗っている地元の方々を思うと、一日も早い復旧を祈るばかりです。
2019-12-19-23:46 * 叡電デナ22 [ 編集 * 投稿 ]