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2019-11-30 (Sat) 18:38

根室本線金山駅[1] 富士製紙金山工場と金山森林鉄道

金山駅1

上川管内は空知郡南富良野町字金山にある、JR北海道の金山(かなやま)駅。
西に夕張山地、東に十勝岳連峰が連なり、南に占冠山地へと至る金山峠を控える山間部の小集落に設けられた駅です。
もといこの集落は1891年、砂金を求めて日高山脈を越えてきた人々が入植し出来上がった村で、更に言うと南富良野町開基の地でもあります。
「金山」という地名も正に砂金の産出地である事から入植者が名付けたもので、集落を流れるトナシベツ川は砂金採りに勤しむ住民で賑わったといいます。
旧・石狩国に属するため、国土地理院の地図では「石狩金山」という呼称が使われていますね。
また、周辺を広大な原生林が囲んでいる事もあり、1947年には金山営林署(現:上川南部森林管理署金山森林事務所/幾寅に移転済み)が開設されました。

駅前を南北に貫く国道237号線沿いには廃業済みの看板建築が散見され、かつては商店街を形成していた事が窺えます。
当地における商業は1899年、富山県人と新潟県人が鉄道敷設工事の労働者に飲食物を提供した事に始まると言われています。
それまで住民は畑を耕し自給自足の生活を送ってきたそうで、物資を輸送する馬車も道が悪いせいで日高まで1週間を要したのだとか。
石狩国の開拓史を紐解くと各地で新潟県人が存在感を放っていますが、実は明治・大正期の北海道における都府県別入植人口は青森県が1位、新潟県が2位なんですよね。
北海道弁として認識されている「なまら」も元は新潟弁で、札幌をはじめ道央圏に話者が多いのは新潟県人の子孫が多いためです。
反面、道東の十勝・釧路は新潟県人の入植が少ないため、十勝を舞台にした朝の連続テレビ小説『なつぞら』で「なまら」が多用されているのには激しい違和感を覚えた次第。
私は母方の実家が十勝なので、「地元民は全然使わねえよ!」とツッコミながら見ていましたw
使うにしてもチームナックスの影響を受けた最近の中高生とか、私よりも若い世代ですね…それでも少ないとは思いますが。
小学校高学年~中学校を十勝の中心・帯広市で過ごした辻仁成さんもエッセイ『そこに僕はいた』で、「帯広の人は方言らしい方言を使わず、東京に似た言葉遣いをする」と述懐されていましたね。

さて、金山に話を戻しましょう。
空知管内の滝川市から根室本線に沿って流れる空知川の上流を辿ると、金山駅の東に広がる「かなやま湖」へと遡ります。
この湖は金山ダム(1967年完成)の建造に伴い出来上がった人造湖で、鹿越を過ぎて幾寅まで続いています。
空知川は金山湖で終わりという訳ではなく、更に落合へと遡って幾本もの小川に分かれています。


JR北海道 国鉄 根室本線 新得保線区 帯広保線区 帯広保線所金山保線管理室
金山駅3

金山駅は1900年12月、北海道官設鉄道の十勝線下富良野~鹿越間の延伸開業に伴い、一般駅として設置されました。
この1年前には川島房吉氏が鉄道工事請負人として金山に移住しており、川島氏の指揮により鉄道敷設工事が進められました。
そして先述したとおり富山県人と新潟県人が鉄道工夫に飲食物を提供した事が、当地における商業の始まりであると伝わっています。
十勝線は1905年4月、国鉄に移管。
その後は1909年10月に釧路線、1913年11月に釧路本線と2度に渡る改称を経て、1921年8月の全通により現名称の根室本線となりました。


金山駅 根室本線 南富良野町 国鉄コンテナ
金山駅13

石狩金山と言えば富士製紙株式会社の工場を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。
道内における製紙事業の展開は1900年、釧路の前田製紙合名会社が先鞭をつけたのですが、程なくして静岡の富士製紙㈱の出資を受ける事となりました。
富士製紙の関連会社となった前田製紙は北海紙料㈱に社名を改め、亜硫酸パルプの製造に取り掛かりましたが販路の開拓に難航し、しかも低廉な輸入パルプにも対抗できず苦境に立たされました。
しかし1904年2月に日露戦争が勃発すると新聞用紙の需要が爆発的に増大し、戦争が終結した後も新聞用紙に加えて書籍、ポスター、包装紙などに使う洋紙類が多く消費されるようになりました。
すると全国各地で洋紙の材料となる原木が不足傾向となり、そこに活路を見出した富士製紙は1906年7月に北海紙料を買収。
北海道の森林資源に目を着けて工場増設の計画を立て、国内のみならず中国、朝鮮にも製品を輸出するべく道内3工場体制の樹立を決めました。
静岡県にある第一・第二・第三工場に次ぎ、第四工場は北海紙料から継承した釧路の天寧工場とし、第五工場を江別、第六工場を金山に建設。
金山市街には富士製紙の社宅も多数建設され、1908年9月に第六工場の操業開始を見ました。
金山駅での貨物取扱いも富士製紙に関連した物資が多くなり、当初は流送に頼った原木の輸送も1922年を以って大半を貨物列車に切り替えました。
自治体が編纂した『南富良野町史』にも原木輸送の概況が載っているので、下記に引用しましょう。
なお引用元が縦書きの書籍で漢数字による表記を用いており、そのままでは読みづらいので必要に応じてアラビア数字に書き換えています。

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 明治42年(1908)8月、第五工場を富士製紙株式会社北海道工場と改め、第四、第六工場を同工場の分場とした。第一次世界大戦のため、輸入が杜絶すると、江別工場の拡張を図り、大正7年(1918)に起工、当時、日本一と称せられた186吋の抄紙機を据付け、原料供給のため、釧路郡鳥取村に新工場を設置、大正9年(1920)に竣工し、専ら砕木パルプを製造した。
 原木は、初め主として金山、十梨別、野花南御料林、島の下国有林、雨竜、千歳御料林、山部大学林などの立木払下げを受け、それぞれ空知川、雨竜川、千歳川を流送し、鉄道輸送はほとんどなかったのである。
 その後、流送一本槍の運材方法では、河川流域の農家に多大な被害を与えること、特に各河川のダム建設によって、大幅に鉄道輸送に切り換えざるを得なくなり、大正11年(1922)に、千歳川の流送のみを残し、ほとんど汽車に切替えたのである(『北海道山林史』)。

≪出典≫
南富良野町史編纂委員会(1991)『南富良野町史 上巻』(南富良野町役場)p.629
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しかし富士製紙金山工場の稼働期間は短く、1930年6月を以って廃止されてしまいました。


金山森林鉄道 金山営林署 国鉄 金山駅
金山駅4
十梨別(となしべつ)渓谷に沿って敷かれた金山森林鉄道の木材輸送列車
小柄な内燃機関車を編成最後尾に連結し、貨車を押し込んで金山駅まで走ったようだ
南富良野町史編纂委員会(1991)『南富良野町史 上巻』(南富良野町役場)p.572より引用

金山駅と関わるものは他にも、金山営林署の「金山森林鉄道」が挙げられます。
この専用鉄道は1930年6月に開通し、2年後の1932年から本格的な木材輸送を開始したという路線です。
最初の2年間は主に民間の貨物を輸送したものと思われます。
森林鉄道の汽車が運搬した木材は金山駅で国鉄線と連絡し、更に各方面へと輸送されました。
1951年には金山駅構内に貯木場が設置され、そこに根室本線と繋がる岐線が敷かれたといいます。
しかしそれから10年後、1961年に金山森林鉄道は貨物列車の運行を休止。
翌1962年を以ってトラック輸送への全面切り換えにより廃止され、1963年までに全区間の線路が撤去されてしまいました。
『南富良野町史』にも金山森林鉄道に関する記述が見られます。

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 金山における森林鉄道は、昭和3年9月、鉄道施設に着手、同5年6月に9244メートルの開通をみ、同7年から本格的な木材輸送が開始されたのである。以来26年間の長期にわたって事業を継続したが、昭和32年度トラック輸送に全面的に切り換えられることになった。
 この森林鉄道は、国鉄金山駅を起点に、旧金山事業区十梨別川沿いに施設され、年間1.5~2万石の素材と木炭20万キログラム及び約1.6万石の民貨輸送を、昭和31年まで継続した。
 昭和24年以降の実績は、直営生産材18万68石、民間材14万1623石の計32万1691石に達し、この間に使用した軌条は、8k/m1万6488メートル、9k/m6068メートル、12k/m2000メートルの計2万4556メートル(昭和31年度現在)であった。
 使用された機関車は、5トンジーゼル・ガソリン車各1台であった。
 昭和32~33年に撤去された全延長は、1万2278メートル(昭和24年3月、2500増延)であり、既設計画により秋田局へ2000メートル、羽幌署へ2000メートル、神楽署へ1000メートルが、それぞれ管理替えとなった。
 なお、これに付帯した設備として、小規模の修理工場及び昭和26年新設の金山駅構内1ヘクタールの貯木場は、鉄道に代わったトラック輸送事業用となった(『旭川営林局史』第一巻)。
 なお、貯木場岐線が利用者の請願で設置された。
 森林鉄道は、国有林野事業機械化の先駆として、官行製品の輸送だけでなく、民間貨物なども輸送し、林産物の安定供給と山村地域社会の発展に尽くした役割は、極めて大きいものがあった。

≪出典≫
南富良野町史編纂委員会(1991)『南富良野町史 上巻』(南富良野町役場)p.p.572~573
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JR北海道 国鉄 JR貨物
金山駅5

1966年9月、金山ダムの建設に伴い根室本線金山~東鹿越間が線路付け替えとなり、中間の鹿越駅が移転の上で旅客扱いを廃止し鹿越信号場となりました。
また同年10月、根室本線落合~新得間も狩勝峠越えのルートを変更し新線が開業(地元では“新狩勝線”と呼ばれる)、同時に富良野~新得間が自動信号化しています。
これに伴いタブレット閉塞が御役御免になり、金山駅におけるタブレット交換も廃止されました。

1981年10月に石勝線が開通すると、道央と道東を結ぶ特急・急行の大半が石勝線経由に変更されました。
1982年11月には貨物取扱い、荷物取扱いが共に廃止。
1986年10月には旅客フロント業務(出改札)も廃止されて完全無人駅となり、東鹿越駅の被管理駅となりました。
1987年4月の分割民営化に伴いJR北海道が継承。
暫く金山駅を管理していた東鹿越駅も1997年3月の貨物フロント廃止に伴い、JR北海道の運転取扱要員ともども無配置となりました。
現在は岩見沢地区駅(担当区域:室蘭本線栗沢~岩見沢間、函館本線幌向~滝川間、根室本線滝川~落合間)のエリア内に属し、地区駅配下の管理駅である富良野駅が管轄する無人駅です。


金山駅 木造駅舎 駅本屋
金山駅2

駅舎は開業当初からの物と思しき木造の平屋で、ホームに向かって大きく垂れ下がる「招き屋根」を冠しています。
駅舎の2/3ほどは駅事務室となっており、窓にはカーテンも付いて管理状態は良好です。
正面玄関は左側に大きく偏った位置に設けてあり、何故か駅前に見える場所に駅名看板を付けていません。


金山駅 待合室 木造駅舎 無人駅
金山駅6
金山駅 待合室 岩見沢地区駅 岩見沢駅
金山駅7

待合室の様子。
無人駅ですが掃除が行き届いており綺麗でした。
壁はベニヤ板の下見張りです。
4人掛け椅子が2脚置かれている位置は壁がやや窪んでいますが、これは出っ張っている側にトイレがあるせいです。
トイレの入口は駅舎の外側にあります。


金山駅 根室本線 出札窓口
金山駅8

出札窓口も良好な状態で残っています。
出札棚がやや高め。
駅ノートも置かれています。
チッキ台は荷物フロントの廃止に伴い完全撤去したらしく、綺麗サッパリ跡形も無くなっています。



金山駅9

駅事務室のドアには「FISHING IN KANAYAMA」と題した絵が飾られています。
明治時代は砂金の産出地だった石狩金山は今や、サケ科の淡水魚・イトウが釣れる名所として釣り人に人気があります。


北海道南富良野高等学校 道立南富良野高校 金山駅 待合室
金山駅10

こちらは道立南富良野高校のポスター。
南富良野高校は幾寅駅前に校舎を構える公立高校で、道内の高校としては唯一のカヌー部がある事で知られています。
ただし「平成30年度第13回北海道高等学校カヌー選手権大会」の結果一覧表を見ると、札幌日大高校のカヌー選手も1名だけ出場している事が確認できますが、どうやら部活動がある訳ではなく個人出場の選手だったようです。
他にも南富良野高校では「列車添乗指導」という名目で教師が普通列車に乗り込み、列車通学の生徒に対するルール啓発活動を実施しているのだとか。
鉄道ファンが「列車添乗指導」と聞くと、運転区や車掌区の指導員(指導助役、操縦助役、指導担当の主任運転士など)が営業列車の乗務員室に立ち入り、ベテラン・中堅・若手の別を問わず所属乗務員が基本動作を徹底しているか指導を行う事を思い浮かべますが、それとは違いますので誤解のなきよう。



金山駅11

地元の小学生が描いたらしいポスターも複数枚。
「金山観光案内」では駅と周辺施設の位置関係を分かり易く示しています。


金山駅待合室 北海タイムス社 記念品 鏡 全中部北海道ナンバーワン入選
金山駅12

待合室の壁に掛かった鏡を見ると、何と「北海タイムス社」と書かれているではありませんか!
『北海タイムス』って今の若い人は知らないでしょうけど、1998年2月まで刊行されていた北海道ローカルの新聞ですよ。
1959年4月にはSTV(札幌テレビ放送)の開局に携わり、私も白熱した小説『七帝柔道記』(2013年/角川書店)の著者・増田俊也さんの古巣でもあります
横書きの文言が右から左に読むようになっているので、間違いなく戦前に作られた骨董品級の代物ですね。
「賞 全中部北海道ナンバーワン入選」とありますが、一体何の大会だったんでしょうね?


金山駅 木造駅舎 駅本屋 運転事務室
金山駅14
金山駅 木造駅舎 駅本屋 運転事務室
金山駅15

ホーム側から駅舎を眺めた様子。
運転事務室の窓の出っ張り具合が実にイイ!
かつてタブレット閉塞器を置いた運転事務室には、自動信号化と共に連動装置の制御盤が置かれています。


金山駅 木造駅舎 駅本屋 運転事務室
金山駅20

運転事務室の外壁には携帯電話用の端子箱が付いており、白いペンキで「運転交換 TB」と書かれています。
携帯電話…といっても国鉄時代、乗務員室に備えていたような持ち運び式の有線電話機ですね。
昔は乗務中に駅間で脱線事故や人身事故など、何らかの事故が発生した場合に車掌が携帯電話機を持ち出し、沿線の設備柱にぶら下がっている裸導線に繋げて指令所や近隣の運転取扱駅と連絡を取っていました。
そしてこちらは端子箱なので、携帯電話機と通信する回線の分岐点という事になりますね。


金山駅 木造駅舎 駅本屋 改札口
金山駅16

改札口のラッチは撤去済みで、床にも跡が残されていません。


金山駅 木造駅舎 駅本屋 駅名看板 改札口 駅名標
金山駅17

駅舎の正面側には無かった駅名看板ですが、改札口の頭上には目立つ大きさの物が掲げられています。
まあ駅前からもホーム上の駅名標が見えるから省略しているんでしょうけど、視力が衰えてくると遠くて文字が見えねえんだよなあ。



金山駅19
金山駅 プラットホーム 相対式ホーム
金山駅18

2面2線の相対式ホーム。
駅舎側の1番線は上り列車(富良野・滝川方面)、反対側の2番線は下り列車(東鹿越・新得方面)が発着します。
ホーム全長は1番乗り場で20m車4両分ほどです。
2番乗り場の方が長く、6~7両は収まりそうですね。
床面はどちらも細かい砂利を敷き詰めています。


構内踏切 金山駅
金山駅21

両ホームを繋ぐ構内踏切。
駅舎の北側に設けられており、レール周りだけ敷板を置いています。


構内踏切 踏切警報機 無人駅 金山駅
金山駅22

遮断機は省略されていますが、両ホーム共に踏切警報機が設置されています。
列車の入線時にはスピーカーから接近放送と警報音が流れ、「列車がきます」の6文字を示すランプが点滅を続けます。


キハ40系1700番台 キハ40形1700番台 ワンマン運転 苗穂運転所
金山駅23

1番線に入線するキハ40-1788。


キハ40系1700番台 キハ40形1700番台 金山駅 駅舎
金山駅25

2番乗り場を出発するキハ40-1788。
下り1両単行の停止位置目標は構内踏切の手前にあるため、駅舎とのツーショットを狙うには発車時が良いでしょう。



金山駅24

ところで、駅構内の南側には何やら2階建てのコンクリート建築が佇んでいますが、コレは一体何の施設なのか…?


※写真は特記を除き2018年11月10日撮影
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最終更新日 : 2019-12-15

* by とうすけ
私は鉄道の事は全く詳しくありませんが、根室本線が廃線と言うことで金山駅に行って来ました。
撮り鉄さん達がたくさんいました。
そこでこのサイトを検索で見つけました。
 一言、素晴らしです。
地元出身の私も知らない事がたくさんで勉強になりました。
 ちなみにですが、駅舎の中の窪みは、トイレが外と言うのもありますが、あそこは売店があったとこなんです。
汽車通だったので、よく少年ジャンプを買ったものです。

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私は鉄道の事は全く詳しくありませんが、根室本線が廃線と言うことで金山駅に行って来ました。
撮り鉄さん達がたくさんいました。
そこでこのサイトを検索で見つけました。
 一言、素晴らしです。
地元出身の私も知らない事がたくさんで勉強になりました。
 ちなみにですが、駅舎の中の窪みは、トイレが外と言うのもありますが、あそこは売店があったとこなんです。
汽車通だったので、よく少年ジャンプを買ったものです。
2023-10-08-22:00 * とうすけ [ 編集 * 投稿 ]