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2019-03-26 (Tue) 23:57

廃止直前の石勝線夕張支線におけるキハ40系3連ピストン輸送【3】



前2回の記事で紹介したとおり2019年3月16日のダイヤ改正に伴い、廃止間近の石勝線夕張支線では普通列車が8往復に増便されています。
改正後は原則として同じ編成が支線内を折り返し続けるピストン輸送となり、月~金(祝日を含む)は2両編成、土日は3両編成での運行です。
JR北海道の公式プレスリリースは増便した3往復分を臨時列車としています。
しかし、営業最終日まで通算16日しか残されていない都合から、運行管理上は全列車が臨時列車扱いになっており、何れも「9」を列車番号に冠しています。
下記に現行ダイヤを再掲しましょう。

【下り9263D 新夕張始発・夕張行き】
新夕張6:30始発→沼ノ沢6:35発→南清水沢6:40発→清水沢6:43発→鹿ノ谷6:55発→夕張6:58終着

【上り9264D 夕張始発・新夕張行き】
夕張7:10始発→鹿ノ谷7:13発→清水沢7:21発→南清水沢7:24発→沼ノ沢7:29発→新夕張7:34終着

【下り9265D 新夕張始発・夕張行き】
新夕張7:46始発→沼ノ沢7:50発→南清水沢7:56発→清水沢7:59発→鹿ノ谷8:11発→夕張8:14終着

【上り9266D 夕張始発・新夕張行き】
夕張8:28始発→鹿ノ谷8:31発→清水沢8:40発→南清水沢8:42発→沼ノ沢8:47発→新夕張8:52終着

【下り9267D 新夕張始発・夕張行き】
新夕張10:07始発→沼ノ沢10:12発→南清水沢10:17発→清水沢10:21発→鹿ノ谷10:37発→夕張10:36終着

【上り9268D 夕張始発・新夕張行き】
夕張11:01始発→鹿ノ谷11:04発→清水沢11:13発→南清水沢11:16発→沼ノ沢11:21発→新夕張11:26終着

【下り9269D 新夕張始発・夕張行き】
新夕張11:40始発→沼ノ沢11:44発→南清水沢11:49発→清水沢11:52発→鹿ノ谷12:04発→夕張12:07終着

【上り9270D 夕張始発・新夕張行き】
夕張12:20始発→鹿ノ谷12:23発→清水沢12:31発→南清水沢12:34発→沼ノ沢12:39発→新夕張12:43終着

【下り9271D 新夕張始発・夕張行き】
新夕張13:05始発→沼ノ沢13:10発→南清水沢13:15発→清水沢13:19発→鹿ノ谷13:31発→夕張13:34終着

【上り9272D 夕張始発・新夕張行き】
夕張14:35始発→鹿ノ谷14:38発→清水沢14:47発→南清水沢14:50発→沼ノ沢14:55発→新夕張15:00終着

【下り9273D 新夕張始発・夕張行き】
新夕張15:30始発→沼ノ沢15:35発→南清水沢15:40発→清水沢15:44発→鹿ノ谷15:56発→夕張15:59終着

【上り9274D 夕張始発・新夕張行き】
夕張16:16始発→鹿ノ谷16:19発→清水沢16:28発→南清水沢16:31発→沼ノ沢16:36発→新夕張16:41終着

【下り9275D 新夕張始発・夕張行き】
新夕張17:00始発→沼ノ沢17:05発→南清水沢17:10発→清水沢17:14発→鹿ノ谷17:26発→夕張17:29終着

【上り9276D 夕張始発・新夕張行き】
夕張17:50始発→鹿ノ谷17:53発→清水沢18:02発→南清水沢18:05発→沼ノ沢18:10発→新夕張18:15終着

【下り9277D 新夕張始発・夕張行き】
新夕張18:36始発→沼ノ沢18:41発→南清水沢18:46発→清水沢18:50発→鹿ノ谷19:02発→夕張19:05終着

【上り9278D 夕張始発・追分行き】
夕張19:28始発→鹿ノ谷19:31発→清水沢19:40発→南清水沢19:43発→沼ノ沢19:48発→新夕張19:53着/20:00発→滝ノ上20:08発→川端20:18発→追分20:36終着

3月16日以降、夕張支線の普通列車には札幌車掌所リゾートチームの車掌が乗り込み、ワンマン運転の補助乗務を担当しています。
ツーマン運転とは異なりドア操作は運転士が担当しており、車掌は発車前にホームを監視しつつ運転士に対し客扱終了合図、すなわち「車掌スイッチを閉じ位置にせよ」を意味する車内ブザー合図2打を送っています。
新夕張駅と夕張駅の2駅では全てのドアが開きますが、途中駅では一番前のドアしか開閉しませんので利用の際はご注意ください。

なお、営業最終日の2019年3月31日は上り9278Dが室蘭本線に乗り入れ、追分~苫小牧間をノンストップで走ります。
列車番号も室蘭本線では9280Dに変更。

【上り9280D 追分発・苫小牧行き】
(※石勝線9278Dからの継続運転)追分20:44発→苫小牧21:24終着


JR北海道 国鉄 石勝線夕張支線 廃止 廃線 臨時列車 清水沢駅


さて、前回記事では新夕張駅から下り9267D(新夕張10:07始発・夕張行き普通列車)に乗り込み、定刻より2分遅れの10:22に清水沢駅で下車したのでした。
駅前には古い看板建築が建ち並ぶ清水沢商店街があり、日中は街頭スピーカーから音楽が流されています。




清水沢駅 待合室 廃止


かつては北炭清水沢炭鉱のお膝元であり、尚且つ夕張川の上流に位置する大夕張礦からも三菱大夕張鉄道を介して石炭が運ばれる要衝だった清水沢駅。
往事の賑わいこそ無くなりましたが、大きな木造駅舎と広大な留置線跡に炭鉱町の面影を見る事が出来ます。
待合室もなかなか広く、売店跡には飲料自販機が設置されています。





炭鉱の閉山後も長らく直営駅(社員配置駅)として機能していた清水沢駅。
2015年10月に無人化されて以降、駅前書店の「文化堂」が定期券の取次ぎを担ってきました。
廃止まで半月を残すのみとなった2019年3月16日、出札窓口に貼り付けられた定期券申込用紙入れはカラッポの状態で、夕張支線におけるJR定期券の販売が終了した事を物語っています。





先刻まで乗車していた9267Dの主任車掌さんは新夕張駅発車後のガイドアナウンスにて、「夕張支線の各駅には駅舎内に当時を物語る昔懐かしい写真や資料が多く展示されており、駅に降りていただきますと当時の賑わいを感じていただけます」と仰られていました。
ここ清水沢駅では丁度1ヶ月前、清水沢駅の開駅記念日に当たる2月16日から「ありがとう さようなら 清水沢駅展」と銘打たれた展覧会が開催中で、最終営業日の3月31日まで炭鉱町の歴史を伝える写真や資料の数々を見る事が出来ます。
主催者は炭鉱遺産を活用した町づくりに取り組む市民団体の「清水沢プロジェクト」です。




JR北海道 国鉄 清水沢駅 出札窓口  ありがとう さようなら 清水沢駅展


展示物は駅事務室側の壁にズラリと並んでいます。





出札窓口に陳列されている5枚の写真は東京都出身、札幌市在住の写真家・原将人さんによる力作。
原さんはSLブーム真っ只中の1974年が初の来道だったのだとか。





こちらは寺下雅一さんが1984年2月に撮影された、清水沢駅改札口の風景。
当時は柵のラッチが設けられており、改札担当の営業係(この頃は列車掛などごく一部を除いて「掛」の職名が「係」または「主任」に刷新されていた)が柵の中に立って切符に鋏を入れていました。





こちらは清水沢駅に乗り入れていた三菱大夕張鉄道のさよなら運転を捉えた写真。
旧型客車の側面に「皆さん長い間ありがとう さようなら」との横断幕を掲げています。
あれから32年、今度は石勝線夕張支線も役目を終える事になります。





戦前の清水沢駅における構内線路の延長の変遷を羅列した横棒グラフ。
白棒が構内線の距離、黒棒が専用線の距離を表しています。
構内用地総面積51,480㎡に対し、1938年には構内線2,640m、専用線19,564mが敷設されていたそうです。


国鉄 清水沢駅 駅員 人員配置


個人的に垂涎モノだったのは「職名別定員の増減」と題した図表。
何と、戦前の1935(昭和10)年と戦後の1947(昭和22)年を例に挙げ、清水沢駅における駅員の人員配置を網羅しているのです!
この図は国鉄当局が1925年4月に規程した「運輸従事員職制及服務規程」と、これをベースに1936年9月、1946年4月に実施された職制改正を踏まえて見ると、非常に興味深い代物であります。

まず、1935年時点の人員配置を見ると駅員の合計は11名。
職名別では駅長1名は当然として、その配下は運転掛兼助役1名、予備助役1名、出札兼貨物掛1名、転轍手3名、構内助手1名、駅手3名と続きます。
何と管理者3名に対し助役を兼務しない掛職はたったの1名で、しかも出札と貨物営業を兼務していたというのですから面白い!
運転掛兼助役というのも人手不足だった戦前ならではの発令でしょう。
戦後の1962年7月に駅・車掌区を対象として新たに適用された「営業関係職員の職制及び服務の基準」では、指揮命令系統図を定めて助役と運転掛(後の運転主任)のポジションを明確に区別しています。
ちなみに「○○兼△△」という表示の場合、先に示した職名が本来の役職との事なので、清水沢駅の場合は運転掛が助役の代務を行っていたものと考えられます。
そして総員11名に対し、最下位職であり出札・信号扱いの資格が無い手職は7名もいます。
1931年の満州事変に端を発する「十五年戦争」の期間に該当するとはいえ、1935年の日本は特に大きな戦争もありません。
太平洋戦争の頃のように大勢の男性鉄道職員が徴兵され、10代半ばの少年少女を大量採用して場を繋ぐというような非常事態に陥ったとは考えづらく、どうして手職が過半数を占めるイビツな人員配置になったのか大変気になりますね。

一方、戦後の1947年は合計38名の駅員が従事。
1935年に比べて実に27名の増加です!
この増員は1942年の北炭遠幌鉱を皮切りに清水沢周辺の炭鉱開発が進められ、清水沢駅で取り扱う石炭の発送量が増加したために実施されたものでしょう。
駅員が1日当たり100両前後の石炭車を手配していたといいますから、一般駅として次第に脂が乗ってきた時代だった訳ですね。
人員配置を見ると駅長1名を筆頭に、助役2名、予備助役1名、駅務掛3名、操車掛3名、転轍手5名、連結手6名、構内助手9名、駅手3名、予備駅手3名、予駅務(予備駅務掛の略と思われる)2名で、職名は実に11種類に及びます。
このうち管理者を除き、駅構内の運転取扱業務に従事するのは操車掛3名、転轍手5名、連結手5名、構内助手9名の計22名。
フロント業務に従事するのは駅務掛3名、予備駅務掛2名、駅手3名、予備駅手3名の計11名となります。
駅務掛は1962年7月の職制改正で「運輸掛」に改称されているのですが、これは中小規模駅で出札・改札・荷物取扱・貨物取扱を一挙に担う駅員なのです。
当時の職制では、これらの職務は出札掛、改札掛、小荷物掛、貨物掛の4職名に分担されます。
しかし、駅務掛は複数の職名に跨る職務を担当する訳で、その事から「統合職」とも呼ばれます。
なお、1973年8月の新職名移行に伴い登場した「運輸係」は、運輸掛の「掛」を書き換えたという訳ではなく、全く職務内容の異なる職種ですのでご注意!
運輸係は駅手をルーツに持つ駅員の最下位職で、専ら駅構内の雑用や掃除に従事しました。

鉄道って総務の分野も結構面白いですよね。
「総務鉄」という趣味のジャンルは聞いた事が無いですけど。





待合室の展示をひとしきり眺めた後は、駅構内北側の跨線橋に移動し折り返し列車の9268D(夕張11:01始発・新夕張行き普通列車)を待ちます。
今回は乗らずに見送り。
雪がチラチラと降る中、ハバネロペッパーを舐めて暖を取っている間も、清水沢商店街の該当スピーカーから次々と音楽が流れてきます。
グラッペリはジプシー・スウィングの創始者であるジャズギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトの盟友としても有名ですね。
氏のバイオリン捌きが大好きなもので、ついカメラを下げて聴き入ってしまいました。


キハ40系3両編成 清水沢~鹿ノ谷間 清水沢駅 臨時列車 日高本線


グラッペリの演奏は3分30秒で終了。
11:13、上り9268Dが志幌別川の畔から姿を見せました。


キハ40系3両編成 清水沢~鹿ノ谷間 清水沢駅 臨時列車 苫小牧運転所 日高色


日高色のキハ40‐354を先頭に、「道央 花の恵み」、JR北海道色のバラバラ塗装3連。
緩やかなS字カーブを進み、清水沢駅に入線します。


清水沢駅 車掌 臨時列車 キハ40系3両編成


列車を待つ客が誰もいないホームに滑り込みます。
車掌は落とし窓から顔を出して到着監視。





ヨンマル3連は待合所の小屋を通過し、ホーム南端に接近してから停止しました。


清水沢駅 車掌 臨時列車 キハ40系3両編成


こうして見ると駅舎と列車が遠いの何の。


清水沢駅 車掌 臨時列車 キハ40系3両編成


もちろんドアも一番前しか開きません。
ホームには2人の鉄道ファンが降り立ち、列車に向けてカメラを構えました。





定刻より3分遅れの11:16、上り9268Dは清水沢駅を後にしました。







ヨンマルを見送ったら更に折り返しを狙うため、線路沿いの道道38号線、国道452号線を歩いて南清水沢駅に向かいました。

次回に続きます。


※写真は全て2019年3月16日撮影


(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)


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最終更新日 : 2019-07-03

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