タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

現在、札学鉄研OB会ブログから筆者投稿の記事を移転中です

Top Page › Archive - 2024年01月
2024-01-28 (Sun)

南郷18丁目駅から徒歩8分 「拉麺いそじ」が2024年2月に閉店

南郷18丁目駅から徒歩8分 「拉麺いそじ」が2024年2月に閉店

2024年1月25日に悲しい報せがありました。毎月1回は必ず通っている「拉麺いそじ」が閉店するというのです。同店は夫婦二人三脚で18年以上に渡り営業してきたラーメン屋。聞けばご主人が脱サラして「けやき」などの名店で修行を積み、2005年11月に独立開業したのだといいます。お店の住所は札幌市豊平区月寒東5条18丁目8-16。白石区との区境でもある東北通に接しており、最寄駅は札幌市営地下鉄東西線の南郷18丁目駅です。コープさ...

… 続きを読む

2024-01-26 (Fri)

志度線塩屋駅 今は無き牟礼塩田と琴電直営海水浴場

志度線塩屋駅 今は無き牟礼塩田と琴電直営海水浴場

香川県は高松市牟礼町大町1052-5(旧:木田郡牟礼町大町1052-5)にある、高松琴平電気鉄道の塩屋(しおや)駅。瀬戸内海に繋がる志度湾の西岸に位置する駅です。海岸との距離は300mほどで、昭和の一時期は「沿線で海水浴ができる唯一の駅」として知られたそうです。駅名は「塩屋」ですが、実を言うと現地に同様の地名はありません。高松市で「塩屋」の2文字が付く地名は2024年1月現在、瓦町駅の北東にある「塩屋町」しか見当たらな...

… 続きを読む

2024-01-23 (Tue)

最後の苗穂工場製「デゴイチ」 北海道鉄道百年記念ミニSL

最後の苗穂工場製「デゴイチ」 北海道鉄道百年記念ミニSL

先日は国鉄時代の苗穂工場で機関車検修に携わった「機関車職場」と「製罐職場」について書きました。機関車職場は各種機関車の解体・艤装・車体修繕などを担当し、製罐職場はSLの心臓であるボイラーの修繕・製作や台枠の溶接加工などを担当しました。動力近代化計画によってDL・ELの量産が進むと、これら現業部門も業務内容を大きく変えていきました。1975年10月3日、滝川機関区所属のD51形603号機が中間検査を終えて「国鉄最後の...

… 続きを読む

2024-01-21 (Sun)

苗穂工場製罐職場 機関車ボイラーの守り手と山男の会「ガマクラブ」

苗穂工場製罐職場 機関車ボイラーの守り手と山男の会「ガマクラブ」

石狩管内は札幌市東区北6条東13丁目にある、JR北海道の苗穂工場。ここは車両の解体を伴う全般検査・重要部検査など大掛かりな製修工事を行なう車両工場です。「製修」とは国鉄時代から使われている言葉で、「車両や同部品の解体・製作・艤装などの作業と、これらに付随する検査設備の運転操作及び器具・工具の整備」を意味します。先日は国鉄時代、各種機関車の解体・艤装・車体修繕などを担当した「機関車職場」という現業部門に...

… 続きを読む

2024-01-17 (Wed)

苗穂工場に出現した桑園自動車学校の教習車

苗穂工場に出現した桑園自動車学校の教習車

国鉄時代の苗穂工場製罐職場について記事を書くと宣言していましたが、多忙につき筆が進まないため小ネタでお茶を濁します。2024年1月13日、資料用の写真を取るべく「ライジング苗穂」の駐車場から苗穂工場を眺めていました。苗穂工場は基本的に平日出勤(夜勤・宿直なし)で、年に10回ほどの土曜出勤を設定しているのですが、どうやらこの日は新年初の土曜出勤だったようです。構内東端には従業員のマイカーが駐車され、普段どお...

… 続きを読む

2024-01-14 (Sun)

大導寺境内にある苗穂工場の「製罐職場殉職病没者碑」

大導寺境内にある苗穂工場の「製罐職場殉職病没者碑」

石狩管内は札幌市東区苗穂町2丁目2-3にある、浄土真宗大谷派の大導寺(だいどうじ)。苗穂駅南口から平和通、苗穂・丘珠通りを経由し、東へ徒歩14分の立地です。寺の付近にはJR北海道の苗穂運転所と苗穂工場、北海道を代表する醤油・味噌メーカーの福山醸造㈱本社があります。札幌市教育委員会文化資料室が編纂した書籍『さっぽろ文庫39 札幌の寺社』(1986)によると、大導寺のルーツは北海道寺務出張所が免囚保護事業の一環として...

… 続きを読む

こんにちは。 * by 闘将ボーイ
私も構内で買車の入れ換え作業をしていたので
殉職者の話をよく聞かされました。
ですから今回は感慨深く読ませていただきました。
句碑等は無かったとは思いますが、工場や
検査区、機関区があったので過去にさかのぼれば
それなりの数が挙げられたかと思われます。
私も二度、後一秒遅ければ死んでいたかもしれない
と言う場面に遭遇しました。
色々とありまして、JRには残らなかったのですが
今生きていられる事に感謝したいです。
本日は私事ばかりですみません。

Re: こんにちは。 * by 叡電デナ22
闘将ボーイさん

どうも、こんばんは。

国鉄時代は入換作業での労災が多かったそうですね。
操車掛や車掌がステップから落ちてしまい、打ち所が悪く殉職するケースもあったという話はよく聞きます。
闘将ボーイさんも大変緊張されたものと拝察いたします。

札幌車掌区では恵庭駅構内で入換作業をしていた車掌が滑落し、運悪く車輪に轢かれて両足を切断する事故もありました。
一命を取り留めたのが不幸中の幸いで、その方は義足を付けて職場に復帰し、庶務掛に転じて定年まで勤め上げたそうです。

苗穂工場ですと輸送職場での入換作業はもちろん、各職場でも機械に挟まれたり、屋根回りの検修中に転落したり・・・といった事故があっただろうと思います。
工場関係で特に多かったのは、腕を切断する、或いは潰すという労災だったそうですね。
鉄道の歴史には数々の尊い命が犠牲になった一面もあるという事を心に刻みたいものです。

Comment-close▲

2024-01-12 (Fri)

赤帽に付くのは銀線2本 伊豆急行の駅務助役

赤帽に付くのは銀線2本 伊豆急行の駅務助役

こちらの写真は2014年3月16日、伊豆急行の伊豆高原車両区で開催された「伊豆急でんしゃまつり」の最中に撮影したものです。隣接する伊豆高原駅には8000系TB-2編成が停車していますが、その手前には接客制服を着た社員が立って来場者の安全を見守っています。頭に被った制帽を見ると、赤い鉢巻に2本の銀線を付けていますね。実を言うとこちらの方は伊豆高原駅の助役さんだったのです。駅の助役と言えば金線1本の赤帽を着用するイメ...

… 続きを読む

2024-01-10 (Wed)

2023/9/9苗穂工場一般公開 機関車検修場の展示風景

2023/9/9苗穂工場一般公開 機関車検修場の展示風景

年末年始は3回に分けてJR北海道苗穂工場構内の「機関車検修場」に関する記事を書きました。この建物は苗穂工場の象徴と言っても過言ではない赤レンガの勇壮な建屋です。分割民営化後はJR貨物苗穂車両所が借用し、主にディーゼル機関車の解体・艤装・車体修繕・塗装・台車検修を行なっています。館内北側にはJR貨物の検修事務室も入っています。2023年9月9日、コロナ禍以降としては実に4年ぶりとなる一般公開が開催されました。例年...

… 続きを読む

2024-01-08 (Mon)

苗穂工場機関車職場[2] 戦後輸送を支えたボイラー交換と動力近代化

苗穂工場機関車職場[2] 戦後輸送を支えたボイラー交換と動力近代化

前回記事はこちら。引き続き国鉄苗穂工場が抱えた現業部門「機関車職場」の歴史を取り上げましょう。既に解説したとおりですが国鉄時代の鉄道工場は現業機関ではなく、鉄道管理局や地方資材部などと同じ「地方機関」(地方において国鉄の業務を分掌している機関であって国鉄の従たる事務所をなすもの)に分類されていました。故に組織体制は非現業の「本場」と現業の「職場」による二層構造となっていたのです。そして機関車職場は...

… 続きを読む

2024-01-06 (Sat)

苗穂工場機関車職場[1] デゴイチ新製、特別改造、樺太派遣・・・激動の戦中

苗穂工場機関車職場[1] デゴイチ新製、特別改造、樺太派遣・・・激動の戦中

石狩管内は札幌市東区北6条東13丁目にある、JR北海道の苗穂工場。ここは車両の解体を伴う全般検査・重要部検査など大掛かりな製修工事を行なう車両工場です。「製修」とは国鉄時代から使われている言葉で、「車両や同部品の解体・製作・艤装などの作業と、これらに付随する検査設備の運転操作及び器具・工具の整備」を意味します。大晦日の記事では苗穂工場に同居するJR貨物苗穂車両所について書きましたが、同車両所がJR北海道か...

… 続きを読む

2024-01-04 (Thu)

車齢60年越えの「オートカー」 能勢電鉄1700系1755F

車齢60年越えの「オートカー」 能勢電鉄1700系1755F

当ブログに書いたとおりですが2023年11月23日、廃止を11日後に控える「妙見の森ケーブル」に乗りました。ケーブルカーを見納めた後は妙見口駅をひとしきり撮影し、山下行きの2両編成に乗車。山下駅で川西能勢口行きに乗り換えようと2号線に向かうと、やって来たのは1700系1755Fでした。1700系はかつて「オートカー」と呼ばれ持て囃された高性能車、阪急2000系を種車とする車両です。2000系は阪急電鉄が1960年~1964年の4年間に渡っ...

… 続きを読む

2024-01-02 (Tue)

Yahoo!知恵袋のベストアンサーに物申す 国鉄・JRの「計画助役」について

Yahoo!知恵袋のベストアンサーに物申す 国鉄・JRの「計画助役」について

青森運転所検修一科で車両の運用計画等を担った「検修事務室」の執務風景日本国有鉄道青森運転所(1979)『10年のあゆみ』p.94より引用明けましておめでとうございます。2024年も宜しくお願い致します。年末にネットサーフィンをしていたら、「Yahoo!知恵袋」に投稿されたばかりのベストアンサーの内容に引っ掛かりを覚えました。流石にこの認識が広まるのはマズいんじゃないか・・・と思ったので、新年1発目の記事で取り上げる事にし...

… 続きを読む

こんにちは。 * by 闘将ボーイ
闘将ボーイと申します。
いつも更新されるのを楽しみにしております。
私も20代前半を操車場(ヤード)の職員として
4年ほど都内の大きな駅で働いていました。
とにかく助役がたくさんいたので、よくわからない
と言うのが事実ですが、この人は断言すると言う
リスクをもう少し気にした方が良かったのかな?
とも思いました。
400人近く働いていた駅でしたので、物品助役
なんて人もいて、地下足袋の補充や菜っ葉服の
貸与など取り扱っていたのですが、それ以外は
暇そうでしたね。
話が反れてしまいましたが、私の駅にもその様な
職名の助役はいたかもしれません。

Re: こんにちは。 * by 叡電デナ22
闘将ボーイさん

いつも当ブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。

闘将ボーイさんも操車場に勤務されていたのですか!
確かに国鉄時代の大駅は何百人も働いているような所がザラにあったと聞きますね。
それだけ大きな組織ですと駅員でも全容を把握できなかったでしょうし、輸送本部と作業の詰所が離れているという事もあったと思います。

その駅には物品助役も配置されていたんですね。
物品助役は箇所によって「用品助役」「資材助役」と称する事もありました。
同じ業務内容でも呼び名が変わったり、逆に同じ職名でも業務内容が違うというのは担当助役によくある話でしょうね。
管理助役も駅と保線区では仕事が全然違いますし。

私は平成生まれで国鉄をリアルに見た事が無い世代ですが、だからこそ当時を知りたいという気持ちを強く持っています。
今後も国鉄時代について色々と調べていきたいと思います。
貴重な体験談をいただきありがとうございます。

Comment-close▲