空知管内は岩見沢市有明町南にある、JR北海道の岩見沢(いわみざわ)駅。南空知の中心都市にして、北海道庁空知総合振興局の本拠地でもある岩見沢市の中心部に設けられた駅です。道庁の前身である開拓使は幾春別川の川辺に1878年、札幌~幌内間の道路開削工事に従事する人達のために官設休泊所を開設しました。この休泊所には浴場があり、土木作業員達が湯浴みをして体を癒したと伝わっています。彼らは工事現場で唯一の憩いの場を...
タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-
現在、札学鉄研OB会ブログから筆者投稿の記事を移転中です
『北海道新聞』2021年8月20日付朝刊第13面より引用中国・武漢から全世界に広まった新型コロナウィルスの感染拡大により、2020年2月より鉄道利用の大幅な減少が続くJR北海道。社員の一時帰休や列車の減便に取り組むも回復の兆しは一向に見えず、遂にフロント業務のあり方にまでメスを入れる事になりました。以下に道新の記事を引用しましょう。*****************************************************************話せる券売機8割に...
苗穂工場構内でフォークリフトを運転する車両技術係国鉄時代、フォークリフトの運転は「工作運転係」の職務だった2017年11月25日、講演会「いがいと知らないブレーキの仕組み」の最中に撮影最近、当ブログをご覧になったOさん(仮名)という方からメールが届きました。Oさんは関東在住で某大学理工学部の3年生だといい、過去に何度か鉄道で旅した北海道に愛着があるそうです。そして旅の途中でJR北海道の社員とも交流を重ね、これ...
停車寸前に敬礼を交わす東京都交通局の車掌と京王電鉄の車掌都営の車掌は乗務員室扉を開け放った状態で到着監視をしている2013年9月30日、京王新線新宿駅にて撮影1960年12月4日に新規開業した1号線(浅草線)押上~浅草橋間は、去る2020年12月4日に還暦を迎えました。それまで東京都内で地下鉄を運営するのは帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)の1社だけでしたが、東京都交通局もモータリゼーションの煽りを受けるばかりの都電...
前回記事はこちら。引き続き釧路管内は釧路市新富士町3丁目にある、JR北海道の新富士(しんふじ)駅とJR貨物の釧路貨物(くしろかもつ)駅を見ていきましょう。当駅が開設されてからの大まかな歴史と、釧路貨物駅の改称に至るまでの経緯は前回に書いたとおりです。日本製紙㈱のルーツの一つである富士製紙㈱が建設費を全額負担し、請願駅として1923年12月25日に開設された新富士駅。国鉄時代は製紙工場と石炭・石油輸送、農業資材...
釧路管内は釧路市新富士町3丁目にある、JR北海道の新富士(しんふじ)駅とJR貨物の釧路貨物(くしろかもつ)駅。釧路市の中心街から約2.6km北西に離れた、釧路港西港区を構える工業地区に駅があります。線路を挟んで南側の埋立地には北海道開発局釧路港湾事務所、㈱ニチレイ・ロジスティクス北海道 釧路物流センター、出光興産㈱ 釧路油槽所、東西オイルターミナル㈱ 釧路油槽所、釧路エルエヌジー㈱ 釧路LNGターミナル、中部飼料㈱...
札幌市東区北8条東2丁目に本社工場を構え、駅弁の製造販売を手がける㈱札幌駅立売商会。同社は1890年より札幌駅初の駅弁販売を手がけた高田文蔵に代わり、1899年に新潟県糸魚川出身の料理人・比護与三吉(ひご・よさきち)が設立した「比護屋」をルーツに持ちます。比護氏は札幌駅のロングセラー駅弁となる「石狩鮭めし」を1923年に発売し、更にご飯とおかずを別々に詰める「二重折り箱」を考案するなど、画期的なアイデアを生み出...
1883年2月に定められた「札幌県下幌内鉄道賃銭表」(https://www.digital.archives.go.jp/img/3630347)には、「幌向太」と「岩見沢」の間に「郁春別」が存在しています(『北海道鉄道百年史 上巻』には、1883年2月設定の賃銭表として「郁春別」「岩見沢」を除去したものが掲載されているのですが、これは札幌以東開通時点でフラグステーションであったのは「白石」「幌向太」の2か所だとする同書の記述に沿ったものと思われます)。「郁春別」は1886年4月改定の賃銭表(https://www.digital.archives.go.jp/img/2461013)でも確認できますが、1888年1月の改定(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2944572/6)では「白石」とともに見られなくなっています。
また「幌内鉄道敷地並用地図」の旧幾春別川西側「停車場用地」および「技手詰所岩見沢用地」周辺をよく見ると、どちらも線路用地内に四角形が描かれており、これが簡易停車場をあらわしているとすれば賃銭設定当初から「郁春別」「岩見沢」が存在することと矛盾しなくなります(『北海道鉄道百年史 上巻』によると1882年6月に郁春別休泊所、同年8月に岩見沢休泊所が起工されており、このうち岩見沢は1885年11月に新築の停車場が竣工しています)。
岩見沢への士族移住開始は1884年9月であり、これと前後して県勧業課派出所・戸長役場・巡査派出所・郵便局などが開設され市街地が形成されたことをふまえれば、同年8月にフラグステーションが設置されるというのはきわめて不自然であり、一般停車場への昇格が真相なのだろうと思いますが確証がありません。