タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

現在、札学鉄研OB会ブログから筆者投稿の記事を移転中です

Top Page › Archive - 2017年05月
2017-05-29 (Mon)

廃止から5ヶ月後の留萌本線朱文別駅

廃止から5ヶ月後の留萌本線朱文別駅

留萌本線留萌~増毛間の廃止から5ヶ月が経った今月5日。廃線後も残されている増毛駅と国稀酒造の特設展示「鉄道運行95年 増毛線最後の一年」を訪問した後、市街地から4kmほど離れた朱文別駅の様子も見に行ってきました。今回は時間に制限があり廃止区間の全駅を巡る事は叶いませんでしたが、道中の車窓を眺めると線路や踏切、標識類がほとんど残されていましたね。国道231号線(日本海オロロンライン)沿いの小さな漁村。海岸から...

… 続きを読む

No title * by らんちゃん
デナさん、こんばんは😄

私も28日、増毛のえびまつり行きで、海沿いを車で通ってきました。もう乗れない路線、とてもせつないです。車窓も大好きでした。もう、路線バスを使わないと、クニマレでの試飲はできない(いつも運転手なので😓)・・・この日も、できませんでした。
トンネルも、ふさがれてました(2ヶ月くらい前に通った時にも見ました)😢

No title * by 札学鉄研OB会
>らんちゃんさん

えびまつり当日の増毛はさぞかし大賑わいだった事でしょうね。
以前は開催に合わせて団臨が運行されたものですが、その記憶も段々と風化していくだろう事を思うと寂しいものです。

(叡電デナ22@札幌市在住)

Comment-close▲

2017-05-27 (Sat)

日本最北端の電車・旭川市街軌道の痕跡を街並みに見る

日本最北端の電車・旭川市街軌道の痕跡を街並みに見る

1955年頃に四条九丁目電停付近で撮影された、旭川市中央図書館所蔵の写真原口隆之著『日本の路面電車Ⅱ 廃止路線・東日本編』(2000年/JTB)p.28より引用しばしば鉄道関連の書籍やWebメディア等で、旭川電気軌道を日本最北端の電気鉄道とする記述を見かけますが実は大間違い。同じ旭川市内にはその昔、旭川市街軌道という路面電車がありまして、第7師団駐屯地のある春光や末広まで乗り入れていました。地図を見れば旭川電気...

… 続きを読む

No title * by らんちゃん
デナさん、おはようございます😄

懐かしきため息を何度もついたお話、お写真・・・なんでこの時代に生まれていなかったんだろうと、悔やまれます。生で、見てみたかった・・・。
また、会社は違うけど、せめて、東旭川の緑電車に会いに行こうと、強く思わされました。今週金曜には、会えるカナ・・・?😄

No title * by 札学鉄研OB会
>らんちゃんさん

旭川市街軌道が健在の頃の写真は、手持ちの書籍から引用しました。
特に『写真アルバム 旭川・上川の昭和』に掲載されているような花電車の写真は、他の書籍では見た事が無いものですから大変貴重だと思います。
私も昔の写真を見ていると「もっと早くに生まれたかった」と思う事がしばしばありますね。

(叡電デナ22@札幌市在住)

Comment-close▲

2017-05-24 (Wed)

2016/5東海旅行【16】 阿下喜駅に隣接する軽便鉄道博物館

2016/5東海旅行【16】 阿下喜駅に隣接する軽便鉄道博物館

前回記事はこちら。日本国内では稀少な存在となった特殊狭軌鉄道(ナローゲージ)、三岐鉄道北勢線の末端である阿下喜(あげき)駅に着いたのは15時前の事。島式ホーム1号線の真向かいには、所どころ塗装が剥がれたマルーンレッドの電車が鎮座していました。ウインドシル・ウインドヘッダーの付いた車体を持ち、額に大きな前照灯を載せたレトロな風貌です。本線との間には金網が設けられ、奥の車庫には見学者達の姿が見られます。...

… 続きを読む

2017-05-20 (Sat)

2016/5東海旅行【15】 凄烈な吊り掛け音!三岐鉄道北勢線

2016/5東海旅行【15】 凄烈な吊り掛け音!三岐鉄道北勢線

前回記事はこちら。三岐線の次は北勢線に乗ろうと近鉄富田駅から桑名駅まで移動してきた訳ですが、その前に昼食をとるべく東口直結の商業ビル「桑栄メイト」へ。ペデストリアンデッキ上にある玄関はどこか懐かしい面構えです。中に入ると多くの飲食店が肩を並べています。特に玄関手前の餃子屋「新味覚 桑名店」が大盛況で、昼間から酒を飲みつつ焼き餃子を食べる客で賑わっていました。餃子以外に提供している料理は無く、まるで...

… 続きを読む

2017-05-19 (Fri)

留萌本線北一已駅 深名線から移築された駅舎

留萌本線北一已駅 深名線から移築された駅舎

空知管内は深川市一已町にある、JR北海道の北一已(きたいちやん)駅。道道281号線沿いの農耕地帯に佇んでおり、周辺の農家は稲作を主としつつビニールハウスで野菜の栽培も行っている世帯が多く見られます。列車に乗れば4分ほどで深川市街に行ける立地ですが、意外にも駅を利用する住民は少なめ。お隣の秩父別町は高校生の通学利用が多く見受けられるんですけどね。北一已駅は1955年7月、国鉄留萠本線深川~秩父別間に旅客駅とし...

… 続きを読む

2017-05-16 (Tue)

宗谷本線東六線駅 看板に残る「乗降場」の表記

宗谷本線東六線駅 看板に残る「乗降場」の表記

上川管内は上川郡剣淵町東町にある、JR北海道の東六線駅。駅名は国道40号線(名寄国道)と交差し当駅を横切る道路「東6線」に由来し、名寄国道を北に進むと東5線、東4線、東3線・・・と交差する道路のナンバリングが遡っていきます。要するに基線(並行する道路を設ける際の基準となる道)から数えて6本目の道路という訳です。北海道では明治期に“碁盤の目”を基本とする殖民区画が形成されており、現在もなお道内各地(特に農耕地...

… 続きを読む

2017-05-14 (Sun)

2016/5東海旅行【14】 三岐線西藤原駅から近鉄桑名駅まで

2016/5東海旅行【14】 三岐線西藤原駅から近鉄桑名駅まで

かつてのウィステリア鉄道(現・桑工ゆめ鉄道)を見物した後は、西藤原駅のホームへ。折り返し10:51発の近鉄富田行きとなる101系(元・西武401系)105Fに乗り込み、三岐線の終着駅を後にします。勾配を下っていくベテラン選手の豪快なモーター音を堪能。車内は見事な空気輸送状態が暫く続きましたが、大安駅あたりから徐々に座席が埋まっていき、立ちんぼの乗客も見られるようになりました。次のお目当ては三岐鉄道北勢線。近鉄富...

… 続きを読む

2017-05-13 (Sat)

2016/5東海旅行【13】 三岐線西藤原駅のウィステリア鉄道

2016/5東海旅行【13】 三岐線西藤原駅のウィステリア鉄道

前回記事はこちら。三岐鉄道三岐線の末端・西藤原駅に到着したのは10:29。同駅は藤原岳の麓にある山村に位置し、降車する客もごく少数でした。101系(元・西武401系)105Fが折り返すのは10:51。ホームに出て次の乗務に備える運転士の制服を見ると、紺色の制帽に対しズボンは灰色です。三岐鉄道の制服は上下で色が異なり、ジャケットも制帽と同じ紺色なのですが、このジャケットを省略すると紺色・白・灰色になってツギハギ具合が目...

… 続きを読む

2017-05-12 (Fri)

宗谷本線蘭留駅 早朝の無人駅に送り込まれる車掌

宗谷本線蘭留駅 早朝の無人駅に送り込まれる車掌

上川管内は上川郡比布町北9線にある、JR北海道の蘭留(らんる)駅。1909年2月に国鉄職員の殉職事故が発生し、三浦綾子先生の小説にも取り上げられた難所・塩狩峠の麓にある小さな集落に位置しています。駅から130mほど東には国道40号線、500mほど南西には高速道路の道央自動車道・旭川紋別自動車道が接続する比布JCTがあります。蘭留駅は1898年11月、北海道官設鉄道天塩線永山~蘭留間の開業に伴い、一般駅として設置されました...

… 続きを読む

2017-05-07 (Sun)

「郊外電車」旭川電気軌道の保存車両・モハ1001

「郊外電車」旭川電気軌道の保存車両・モハ1001

石北本線東旭川駅から南へ1.4km下ったところにある旭川市東旭川公民館。東旭川農村環境改善センターが併設された同公民館の敷地内には、深緑1色に塗装された両運転台の直流電車が静態保存されています。車体の状態は良好で、大切に管理されている事が窺えます。この車両はバス事業を営む旭川電気軌道が、1927年2月~1973年1月の約46年間に渡り営業した軌道線(東川線・東旭川線)で使用されていたモハ1000形モハ1001です。モハ1000...

… 続きを読む

No title * by らんちゃん
デナさん、初めまして🙇いつも拝見させて頂いている、旭川在住の者です。義兄は学院卒です。

緑電車、大好きなんです。近くを通った時には見に寄ります。なんと、中に入ってご覧になったのですね!👀うらやましいです。
私がこの緑電車、市内を走っていたという事実を知ったのがハタチを過ぎてからら。しかも、生まれた年に廃止となり、赤ちゃんの時、おぶわれて乗ったことがあるそうです。もちろん覚えてないし😢

ビックリな記事を、ありがとうございました😄

No title * by ET403
なんと、モハ1001車内を見学できたのですか、羨ましい!!
言われるとおり日車標準型に通じる、実用性に優れた車体レイアウトの一方、ノーシルノーヘッダ、丸妻半流線型の前面、張上屋根の雨どいは側面の高い位置のみ、といったディテールは、省電の中でも最も美しいといわれる、1939年度製車(モハ60001~028、モハ54003~005など、現存車なし)に通じるものがあると思います。
どう見ても併用軌道区間では使い辛そうですが、その点を忍んででも、路線のイメージリーダーたる美しい電車を造りたかった、当時の関係者の意気込みが伝わってくるようです。

No title * by 札学鉄研OB会
>らんちゃんさん

どうも、初めまして。

何と、全廃とご生誕の年が同じだったのですか!
人生とは因果なものですね。

車内は封鎖されているものと思っていたものですから、見学させて頂けるとは思いもよりませんでした。
しかも事務所には廃線40周年を記念して作成された、廃止前・現在の写真を載せた定点対比の地図もありましたね。

今回の訪問ではフレンドリーに出迎えて頂けたので、おそらくは見学のアポも受け付けているのかも知れません。
らんちゃんさんも機会があれば、緑電車の車内を観覧されては如何でしょうか?

(叡電デナ22@札幌市在住)

No title * by 札学鉄研OB会
>ET403さん

OB会関東支部での現役新入会員獲得&Lewisさん来関東記念飲み会の熱も覚めやらぬ中、私は2泊3日で道北を廻っていました。
まさか旅行最終日になってこのような体験が出来ようとは、感無量でしたね!

製造時期から察するに、「電気鉄道車両用標準車体仕様書」を編纂する過程の中で試作車的にデザインしたのかな・・・と思います。
当時の車両としては画期的なデザインですよね。
現役時代は車庫内の架線が高いがために、パンタグラフとは別にトロリーポールを併設していた事も特筆に価します。

(叡電デナ22@札幌市在住)

Comment-close▲

2017-05-06 (Sat)

国稀酒造での留萌本線特設展示「増毛線最後の一年」

国稀酒造での留萌本線特設展示「増毛線最後の一年」

廃線から5ヶ月が経過した増毛駅を見物したついでに、駅の西にある国稀酒造にも足を運んでみました。やはりゴールデンウィーク中とあって、最北の酒蔵は多くの観光客で賑わっていました。駐車場に玄関を構える米蔵ギャラリー。本来は酒造りに用いる新米を貯蔵する石倉で、米を保管しない春・夏の間は写真展や観光ポスター展など、様々な展示会に利用されています。そんな米蔵では訪問当日、「鉄道運行95年 増毛線最後の一年」と題...

… 続きを読む

2017-05-05 (Fri)

廃止から5ヶ月が経った留萌本線増毛駅

廃止から5ヶ月が経った留萌本線増毛駅

2016年12月5日に留萌本線留萌~増毛間が廃止されてから、遂に5ヶ月が経過しました。意外にも廃線後の現地の状況を伝える鉄道ファンが非常に少ないもので、今日は日帰りで増毛駅の様子を見に行ってきました。最後の列車が走り去って月日が流れましたが、駅舎はあの頃のままの姿で出迎えてくれました。駅舎が残される事は廃止前の11月時点で判明しており、その後も増毛郡増毛町が有人駅時代の姿に復元し、交通・観光拠点として整備す...

… 続きを読む

No title * by 風旅記
こんにちは。
廃止された駅の姿は、綺麗に整えられていたとしても悲しいものです。
列車が走らなくなってから駅を整備して、そこに人が集まる様子、複雑な思いになります。
一度だけでしたがこの駅を列車で訪ねることができた思い出、大切にしたいと改めて感じます。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

Comment-close▲

2017-05-02 (Tue)

2016/5東海旅行【12】 三岐線101系に乗り換え西藤原駅へ

2016/5東海旅行【12】 三岐線101系に乗り換え西藤原駅へ

前回記事はこちら。西藤原駅まで向かう途上、保々駅で対面乗り換えになったのでした。近鉄富田駅から乗ってきた3連の751系(元・西武新101系)751Fに変わり、三岐線を北上するのは2連の101系(元・西武401系)105F。ほんの数十秒しかない乗り換え時間、乗客は足早に105Fへと移っていきます。西武401系は1964年にデビューした411系を、後年に冷房化・高性能化したもの。先輩格である451系の流れを汲み、国鉄101系に似た3連窓の切妻前...

… 続きを読む