タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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Top Page › Archive - 2016年10月
2016-10-31 (Mon)

旧トップ画像 2016/8/10~2016/10/30

旧トップ画像 2016/8/10~2016/10/30

興津~春採間を結ぶ太平洋炭礦(現・釧路コールマイン)の坑外軌道そこで運転されていた凸型電気機関車が三笠鉄道村で余生を過ごす櫓にパンタグラフを載せた容姿から「ノッポ電機」と仇名される坑外軌道は2012年の架線撤去まで日本最東端の電気鉄道だった(撮影者:叡電デナ22 日付:2016年7月23日 場所:三笠鉄道記念館)―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――http://images.tetsudo.com/banner/banner_88...

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2016-10-28 (Fri)

函館本線蕨岱駅 103系岡山車のマスカット色みたいな薄緑色

函館本線蕨岱駅 103系岡山車のマスカット色みたいな薄緑色

渡島管内は山越郡長万部町蕨岱にある、JR北海道の蕨岱(わらびたい)駅。函館本線長万部~小樽間の通称「山線」に属し、2017年3月の廃止が予定されている無人10駅に該当します。国道5号線(大沼国道)沿いの山奥にひっそりと佇んでおり、駅前には稲荷神社と僅かな廃屋がある程度ですが、少し南に行くと数軒の農家が見られます。JR北海道が公表している1日平均乗客数は10人以下で、少ないながらも日常的な利用客がいるようです。蕨...

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2016-10-27 (Thu)

留萌本線留萌駅 貴重な改札メロディとスタフ閉塞

留萌本線留萌駅 貴重な改札メロディとスタフ閉塞

留萌管内の中心都市・留萌市の船場町にある、JR北海道の留萌(るもい)駅。かつてはJR貨物の駅でもありました。2016年12月に部分廃止される留萌本線留萌~増毛間の東端に当たる駅で、廃止後は当駅が盲腸線の終着駅となります。それどころか、既に各メディアで報じられているとおりJR北海道が今月24日、根室本線富良野~新得間、札沼線北海道医療大学~新十津川間に加え、留萌本線の残る深川~留萌間をも廃止する意向を示しました。...

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2016-10-25 (Tue)

札沼線札的駅 土佐から移住した坂本龍馬の一族

札沼線札的駅 土佐から移住した坂本龍馬の一族

空知管内は樺戸郡浦臼町ウラウスナイにある、JR北海道の札的(さってき)駅。浦臼の市街地から南西へ1.8kmほど離れた、国道275号線沿いの農耕地帯にあります。国鉄時代の1960年9月、旅客のみ取扱いの無人駅として開業しました。札沼線(学園都市線)の末端区間に当たる北海道医療大学~新十津川間の途中駅です。1996年3月の石狩当別~新十津川間のワンマン運転開始に伴いバックミラーが増設された程度で、開業から現在に至るまで大...

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2016-10-22 (Sat)

東武鉄道・車掌の確認動作について

東武鉄道・車掌の確認動作について

2013年4月28日、野田線柏駅にて置き換えの進む8000系に乗務する車掌東京都、埼玉県、千葉県、群馬県、栃木県・・・と関東1都4県にまたがる路線網を有し、大手私鉄としては近鉄に次いで全国2位の総営業キロ数(463.3km)を誇る東武鉄道。自社線は2系統に大別され、伊勢崎線・日光線・野田線の3幹線を中心に亀戸線・大師線・佐野線・桐生線・小泉線・宇都宮線・鬼怒川線の7支線から成る「本線」と、東上本線・越生線から成る「東上線...

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No title * by うえちゃん
東日本の車掌がパイロット発車(知らせ灯点灯)なのは、労働組合が強いからです。会社は車掌の置き去り事件などがある為、ブザー式に変えたいのだが組合が反対しているのです。(ブザー式にして乗客を引きずったら車掌の責任なる為)
東日本と北海道の車掌が走行中に椅子に座っているのも、組合が強いからです。
東海と西日本は走行中は立って車内監視や駅間が長い区間は、車内巡回をしなければいけません。管理者の裏面添乗(私服添乗)
もあります。

No title * by 札学鉄研OB会
>うえちゃんさん

JR東日本の労働組合が強いというのは全くその通りですね。
本文中でも一応は触れていますけど、そもそも国鉄が電車における発車合図として知らせ灯式を採用していたのです。
JR総連系の東労組が「車掌の責任を重くしない」事を口実に、ブザー合図への変更を受け入れない構えを見せているため、一向に改訂されない訳です。
ただし、国鉄時代からブザー式の気動車では、民営化後も知らせ灯式を取り入れていません。
そうなると、気動車に乗務する場合は車掌の責任が重くなるという事になる訳ですが、その点について東労組がどのように考えているのか気になります。
知らせ灯は気動車の運転台にも設置されていますからね。

ちなみに国鉄時代から気動車が大多数のJR北海道では、1990年代には既に電車でもブザー式の発車合図になっていました。
JR北海道もJR総連系の北鉄労が強いのですが、乗る列車によって基本動作が変わると面倒だと考えたのかも知れません。

(叡電デナ22@札幌市在住)

No title * by 札学鉄研OB会
>うえちゃんさん

JR東海やJR西日本も民営化から暫くは知らせ灯式を用いて来ましたが、2010年にJR西日本、2011年にJR東海が新幹線を除く電車の発車合図をブザー式に改めています。
JR九州に至っては新幹線もブザー式。
JR連合系の組合が最大勢力の会社ですと、「車掌の責任」云々よりも安全性を重視するようですね。
ルーツとなっている鉄労(鉄道労働組合)が労使協調路線だった事もあるかも知れません。

(叡電デナ22@札幌市在住)

No title * by 札学鉄研OB会
>うえちゃんさん

運転席への着席については実は記事で触れた3社の他にも、札幌市営地下鉄や都営地下鉄でも行われています。
といっても都営地下鉄はかなり少人数しか見受けられず、札幌市営地下鉄も一昔前に比べると少ないですね。

札幌市営地下鉄は元から着席を容認しているところがあって、東西線6000形からは乗務員室に車掌用の座席を取り入れていました。
この座席は助士席という訳ではなく、客室側に向いて設置されるものです。
貫通扉を前面中央に設けた6000形は車掌側に椅子がありましたが、南北線3000形・5000形、東豊線7000形、東西線8000形は仕切り扉の正面に配置されたため、車掌が正面を向いて椅子に座る姿が客室からよく見えました。
そのため姿を見られたくない車掌は、運転席に座っていましたね。

そんな車掌席ですがワンマン化が推進される中で、2009年に新製投入された5000形6次車から採用されなくなってしまいました。
その後、在来車もワンマン化改造と共に車掌席が撤去され、今や8000形にしか残っていません。

(叡電デナ22@札幌市在住)

No title * by trm
> 札学鉄研OB会さん

通りすがりの者ですが、ちょっと気になったのでコメントさせてください。「車掌の責任にしたくないから知らせ灯方式」というのはよくある誤解でだと思います。知らせ灯方式だろうが、ブザー方式だろうが、ドア扱いにまつわる事故を起こせば車掌の責任問題は不可避です。

JR東日本等でブザー方式に反対しているのは、職種としてはむしろ運転士です。ブザー打電では物証が残らないため、もし発車に際して事故があった時に、ブザーを送ったのか送らなかったのかは、運転士と車掌の証言に依存します。両者の主張が対立すれば、言った・言わないならぬ、打電した・打電してない、という主張の並行線になります。それに対して、知らせ灯方式であれば、運転士としたら「私は知らせ灯が付いたんだから発車させたんだ。何が起ころうがドア扱いをした車掌の責任だ」と言い張れてしまうのです。

JR東日本内でも、車掌の間では東海や西のようにブザー方式の方が良いのではないか?と言う人もいます。車掌としたら、自分自身が置き去りにされる危険性が少ないブザー方式を望むのは、何ら不思議なことではありません。

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2016-10-21 (Fri)

宗谷本線南美深駅 都市計画を重視し存続したい町役場

宗谷本線南美深駅 都市計画を重視し存続したい町役場

宗谷管内は中川郡美深町にある、JR北海道の南美深駅(みなみびふか)。その名の通り美深の市街地から南へ下った場所にある駅で、周辺には畑や水田が広がっています。徒歩圏内に農家の住宅が何軒が見られ、それなりに生活の気配を感じる事ができます。南美深駅は国鉄時代の1956年7月、仮乗降場として新設開業しました。1959年11月には旅客駅に昇格しており、当時は利用客が多かったようですが、現在は1日の平均乗客数が1人以下とな...

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2016-10-20 (Thu)

宗谷本線美深駅 国鉄美幸線を今に伝える鐘塔と資料室

宗谷本線美深駅 国鉄美幸線を今に伝える鐘塔と資料室

上川管内は中川郡美深町の市街地にある、JR北海道の美深(びふか)駅。美深町は古代魚の1種であるチョウザメが特産品として知られており、町役場の振興事業としてキャビアの収穫を目的としたチョウザメの養殖に取り組んでいます。富士重工業との関わりも深く、1995年にはスバル北海道美深試験場が運用を開始。2016年5月からは自動運転技術の開発に向けた新たなテストコースの増設工事が実施され、2017年秋の使用開始を目指している...

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2016-10-18 (Tue)

宗谷本線幌延駅 秘境駅で町おこしに挑むトナカイの里

宗谷本線幌延駅 秘境駅で町おこしに挑むトナカイの里

宗谷管内は天塩郡幌延町の市街地にある、JR北海道の幌延(ほろのべ)駅。かつては羽幌線が分岐し、留萌駅まで繋がっていました。幌延町は北緯45度線が通る町として知られており、幌延駅の南東には涼しい気候を活かしトナカイの飼育に取り組む「ほろのべトナカイ観光牧場」があります。トナカイ観光牧場のルーツは、脱サラしフィンランドでトナカイの飼育実習をした岐阜県出身の男性が、幌延町内で有志と共に1989年2月に開業した「...

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2016-10-17 (Mon)

宗谷本線豊富駅 日本最北の国民保養温泉地

宗谷本線豊富駅 日本最北の国民保養温泉地

宗谷管内は天塩郡豊富町にある、JR北海道の豊富(とよとみ)駅。町内にある豊富温泉は環境省が指定した国民保養温泉地としては最北で、豊富駅は同温泉の最寄り駅となっています。とはいっても、駅と温泉は6.5kmも離れており、まともに歩くと1時間以上かかってしまいます。その代わり、豊富温泉へのアクセス手段として沿岸バスの豊富留萌線が発着しており、片道10分で行き来する事が可能です。豊富温泉の公式HPを見ると「日本最北端...

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2016-10-16 (Sun)

宗谷本線南稚内駅 日本最北端の車庫と輸送主任

宗谷本線南稚内駅 日本最北端の車庫と輸送主任

宗谷管内は稚内市大黒にある、JR北海道の南稚内駅。駅周辺はホテル・旅館や飲食店などが多く集まる繁華街で、東には西條百貨店稚内店があります。宿泊施設は同じ市内の稚内駅周辺に比べて安い傾向にあり、中でも駅前の稚内海員会館は素泊まり1泊3,000円台での利用が可能です。また、日本最北端の大学である稚内北星学園大学の最寄り駅でもあります。北海道稚内高校、稚内大谷高校も共に近く、稚内市内にある高校はこれら2校のみと...

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No title * by 大黒1丁目
初めまして!
画像検索してたら目に留まりました☆
私の実家は南稚内駅の真横で大変懐かしいです(涙)
幼少期はSLが止まるのも見ました♪
すぐ目の前には鉄道購買部ならぬスーパーがあり立ち食い蕎麦屋や珍味の販売店もあり賑わってました♪
駅舎内にはキオスクもあり週刊ジャンプを良く買いに行ってました☆
幼少期駅構内に隠れて忍び込み駅員にどやされました(笑)
神奈川県の大学に進学したのですが帰省の度に家族や友達との再開と別れの舞台が南駅でした(涙)
今は稚内から遠く離れた地で所帯を持ち暮らしていますが南稚内駅の思い出を忘れた事はありません。。
目を閉じると今も当時の色々な事を思い出します☆
突然申し訳ございませんでした。

No title * by 札学鉄研OB会
>大黒1丁目さん

どうも、初めまして。

南稚内駅のすぐ傍にご実家があるのですか!
帰省の際にも利用されているとの事で、この駅には多くの思い出が詰まっているものとお察しします。

今でも稚内の玄関口として存在感のある南稚内駅ですが、昔はお店も多く賑わっていたんですね。
私は国鉄解体後に生まれた世代でして、南稚内駅にスーパーがあった事は初めて知りました。
珍味の販売店というのも気になりますね…地元企業が経営する土産屋的なものだったのでしょうか。
貴重な情報を頂きありがとうございます。

(叡電デナ22@札幌市在住)

No Subject * by -
正確には南稚内と稚内の間のみ通票閉塞が残され、この区間が自動閉塞化されたのは平成3年頃ですね。

また、一時は南稚内駅長が廃止されて稚内駅が管理駅となっていた時期がありましたが、その後、稚内駅が日勤となり、逆に南稚内駅が稚内駅の管理駅となり、南稚内駅長も復活していますよ。

Re: No Subject * by 叡電デナ22
南稚内~稚内間の自動閉塞化は1991年頃でしたか!
それは失礼致しました。

南稚内駅長の復活は私も既に存じておりますが、当記事を執筆した2016年10月時点では稚内駅長が南稚内駅を管理下に置いていました。
なお、南稚内駅と稚内駅の立場の逆転については当ブログの以下の記事でも触れています。

【JR北海道の「地区駅長制度」 担当区域の複数の駅を統括管理】
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1112.html

人づてに聞いた話によると、2018年には南稚内駅に駅長が移ったそうです。
2019年8月の再訪時点で南稚内駅には駅長を含め計17名の駅員が在籍し、そのうち助役を含む5名が稚内駅在勤でした。

* by -
正確には稚内運転区ではなく稚内運転所。
また、一部の資料では1984年に宗谷本線に連鎖閉塞を導入との記述も見られますが、これは誤りで主要駅以外は運転関係の職員のみを配置する停留所扱いの無人駅としたのが正解で、南稚内以南も1986年11月1日のダイヤ改正までは通票閉塞でした。

Re: タイトルなし * by 叡電デナ22
稚内運転区は分割民営化当初の呼称で、1990年3月の組織改正で稚内運転所に改称していました。
宗谷本線の閉塞方式も和寒駅の記事(2020年8月9日執筆)で触れたとおり、1968年3月に宗谷本線新旭川~音威子府間で連査閉塞の運用を開始したのみで、音威子府以北はタブレット閉塞のままでした。
この事は『北海道鉄道百年史』や札幌車掌区開区七十周年記念誌『北の軌跡』でも確認できます。
これまた失礼致しました。
何せ4年前に書いた記事なものでして、その後の情報収集により知見した事を反映できていませんね。

ところで連鎖閉塞ですが正しくは連査閉塞といい、「鎖」ではなく「査」の字を使います。
これは国鉄の『運転取扱基準規程』でも、「第3章 閉そく」において「連査閉そく式」と定めています。
連査閉そく式の詳細は同章の「第4款 連査閉そく」にて規定されており、第163条~第172条の各条文で取扱い方を列挙しています。
また、国鉄が編纂した『鉄道辞典 補遺版』でもp.495に「連査閉そく装置」の解説を載せており、やはり「鎖」の字を使っていません。
鉄道ジャーナリスト・梅原淳さんの著書『鉄道ダイヤを支える技術』でも「連鎖閉塞」と間違えていますね。
とはいえ普通に「れんさ」とタイピングしても「連査」と一発変換できる訳ではなく、何とも紛らわしい話だと思います。

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2016-10-14 (Fri)

日本最北端の鉄道高架 宗谷本線南稚内~稚内間

日本最北端の鉄道高架 宗谷本線南稚内~稚内間

稚内市内を通る宗谷本線南稚内~稚内間(2.7km)には日本最北端の高架線が築かれています。とはいえ全区間が高架化されている訳ではなく、南稚内駅と稚内駅は共に高架駅ではありません。南稚内駅を起点とすると、車庫(旧・稚内運転区)を横切りホテル滝川近くの陸橋を潜った直後から高架線が始まっており、国道40号線(稚内国道)を跨ぎ「民宿さつき」の手前で地平線上に降ります。住宅地と臨港地区を通る高架橋は1kmにも満たない...

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No title * by LUN
商業施設まで歩いたことあります
意外と安かったです
わざわざ高架にした意味がよく分かりませんね(苦笑)

No title * by 札学鉄研OB会
>LUNさん

稚内市内の高架ですが、地平線時代から国道40号線の交差点に踏切が接しており、踏切事故の危険性が高かった事から施工に至ったものと思われます。
当時はモータリゼーションも佳境に差し掛かっていた頃で、今と比べても車道の交通量が多かったですからね。
ただ、私も正直に言って、よほどの都会でない限り高架化する必要は無いと思います。
アンダーパスにしても然りで、むしろ安易な建設は豪雨による水没の危険性を高めます。
もしかしたら、北海道内の某M町の道路建設事業みたいに必要性が高まってというよりも、役所の予算を使い切るために建設したのかも知れませんが。
某M町も近年、無駄なアンダーパスや道路を作っていますからね・・・。

(叡電デナ22@札幌市在住)

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2016-10-13 (Thu)

宗谷本線稚内桟橋駅跡 北防波堤ドームに乗り入れた線路

宗谷本線稚内桟橋駅跡 北防波堤ドームに乗り入れた線路

前回記事では日本最北端の駅である稚内駅を取り上げましたが、南樺太が日本の統治下で宗谷海峡を稚泊連絡船(稚内~大泊間)が行き来していた頃、ここから更に北へ線路が延びていました。駅前にある車止めのモニュメントから先、稚内港北防波堤ドームに至るまでが当時の線路の廃線跡です。モニュメントの傍に置かれた記念碑に記された解説文には、廃線跡の末端にあった稚内桟橋駅に関する記述も為されています。解説文では稚内桟橋...

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No title * by ET403
稚泊航路の遺構は、色々大切に残されているんですね。それにしてもドームは美しいです。内側も外側も、重なり合う曲線に魅了されます。
そういえば交通科学博物館に、大きくはないものの精密に作られた、宗谷丸の模型が展示されていました。閉館後はどうなったのでしょうか。京都で再展示されたような話も聞かないし。

No title * by 札学鉄研OB会
>ET403さん

北防波堤ドームは本当に美麗な姿をしていますよね。
これを設計された土谷氏が当時26歳だったという事も驚きです。

宗谷丸の模型ですが、交通科学博物館の物がどうなったのか調べてみたものの、詳細はよく分かりませんでした。
ただし現在、稚内市北方記念館に宗谷丸の模型が展示されているらしく、もしかしたらこれが交通科学博物館が所蔵していたものなのかも知れません。

(叡電デナ22@札幌市在住)

No title * by 風旅記
こんばんは。
興味深く拝見致しました。
昨冬に稚内を訪ねる機会があったのですが、何よりも建て替えられた駅の変わりように驚き、また1線だけになってしまった駅の小ささに寂しさを感じたのでした。
港まで延びる線路の跡、雪の下に埋もれていて気付きませんでしたが、これは一度は訪ねてみたい遺構です。今では想像もつかない程に栄え、鉄道も重要視されていたのだろうと思います。防波堤ドームに駅があったこと、往時にはさぞかし優雅な佇まいだったのだろうと思います。
またいつか稚内を訪ねたくなりました。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

No title * by 札学鉄研OB会
>風旅記さん

稚内駅は随分と小ざっぱりしてしまいましたよね。
商業施設としては充実している現駅舎ですが、やはり如何にも国鉄的な旧駅舎の方が味わい深く、旅情を誘っていたと思います。

かつて存在した稚内桟橋駅は地元の方々にとっても深い思い入れがあるそうで、2006年2月に開催された「わっかない氷雪の広場」では、北防波堤ドーム内に往事のホームと改札口を再現した雪像が作られていました。
このドームはまさしく、稚内が港町として隆盛を極めていた時代の象徴です。
最近はシベリア鉄道の宗谷本線乗り入れ構想も持ち上がっており、実に感慨深い気分になります。
風旅記さんにも機会があれば是非とも、稚内桟橋駅の痕跡を辿って頂きたいです。

(叡電デナ22@札幌市在住)

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2016-10-12 (Wed)

宗谷本線稚内駅 枕崎と友好結ぶ日本最北端の駅

宗谷本線稚内駅 枕崎と友好結ぶ日本最北端の駅

宗谷管内の中心都市にして日本最北端の稚内市にある、JR北海道の稚内(わっかない)駅。稚内港のすぐ傍にある当駅はJR・私鉄・公営交通を問わず、鉄道駅としても日本最北端となっています。最北端の地・宗谷岬に加えノシャップ岬からの宗谷湾の眺めが素晴らしく、バフンウニやホッケに代表されるように絶品の海産物が水揚げされる稚内の町。昔からツーリングに訪れるライダーに人気のスポットであり、最近では中国・台湾や欧米から...

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No title * by 彩香
初めまして.札幌に実家があります.
亡くなった祖父が戦後しばらくして工業高校の教員でしたが戦後直後まで鉄道省(運輸省)に勤務していました.
なのでカーマニアですが鉄道に興味があります.
素敵なブログで読んでいて楽しいです.

No title * by 札学鉄研OB会
>彩香さん

どうも、初めまして。
御祖父様は鉄道省から教員に転職されたのですか。
そういえば『可愛い子には鉄道の旅を』という本を執筆された村山茂さんという方がいらっしゃるのですが、元は専務車掌だったのが、国鉄合理化をきっかけに小学校教師に転職されていました。
村山さんの経歴を拝見した時は「珍しい人だなあ」と思ったものですが、似た経歴の方が他にもいらっしゃるとは、やはり世間は広いものですね。
ブログにお褒めの言葉を頂きましてありがとうございます。

(叡電デナ22@札幌市在住)

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2016-10-11 (Tue)

音威子府駅の天北線資料室

音威子府駅の天北線資料室

前回記事では音威子府駅を取り上げましたが写真が多過ぎたので、今回は駅舎内にある天北線資料室を紹介しましょう。こちらの部屋は待合室に隣接しており、1989年5月に全区間(音威子府~南稚内間)が廃止された天北線を今に伝えています。入場料は無料で誰でも気軽に入れるのですが、肝心な公開時間が一切明示されていません。音威子府村役場や商工会の公式HPを見ても天北線資料室に関する記述こそあれど、開放される時間帯は全く...

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2016-10-09 (Sun)

宗谷本線音威子府駅 道内最少人口と化した「国鉄の村」

宗谷本線音威子府駅 道内最少人口と化した「国鉄の村」

上川管内は中川郡音威子府村にある、JR北海道の音威子府(おといねっぷ)駅。社員配置駅で駅長、助役、営業係駅員、保線作業員が従事しています。現在は宗谷本線のみですがかつては天北線が分岐し、機関庫を有する交通拠点でした。当駅は1912年11月、鉄道院の宗谷線恩根内~音威子府間の延伸に伴い開業しました。1914年11月には後の天北線となる宗谷線音威子府~小頓別間が開業。1919年11月、名寄機関庫音威子府分庫が設置され、後...

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