前回記事はこちら。引き続き2020年に購入した鉄道書籍10冊のうち、7冊目~10冊目を紹介していきましょう。7冊目は芝山町立芝山古墳・はにわ博物館(2013)『平成25年度企画展図録 しばやま鉄道ものがたり ー軽便鉄道・幻の鉄道・芝山鉄道ー』。本書は千葉県山武郡芝山町の町立博物館が、2013年11月9日~12月23日に開催した企画展の図録として発行したものです。芝山町の鉄道と言えば「日本一短い鉄道」を自称する芝山鉄道が真っ先...
タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-
現在、札学鉄研OB会ブログから筆者投稿の記事を移転中です
前回記事はこちら。引き続き2020年に購入した鉄道書籍10冊のうち、4冊目~6冊目を紹介していきましょう。4冊目は電気局メンテナンスフリー研究会(1972)『新しい電気』(鉄道現業社)。本書は国鉄電気局が北陸本線米原~敦賀間の交流電化を皮切りに、1957~1965年度に実施した「電気新保守体制(1次近)」、1968~1971年度に実施した「電気保守近代化(2次近)」、1971~1977年度に実施した「電気保守体系近代化(3次近)」と3段階に...
明けましておめでとうございます。昨年は中国・武漢で発生した新型コロナウィルスに、世界中が翻弄されるばかりの1年でした。大晦日には東京都内の感染者数が1日当たり過去最多の1,337人を記録し、年末年始の医療現場は一層の厳しさを増している事と思います。皆さんもどうか健康にお過ごし下さい。今年も宜しくお願い致します。コロナ禍で1年間ろくに旅行できなかったので、奮発して鶴雅リゾート系列の温泉旅館「あかん遊久の里 ...
北は稚内駅から南は西大山駅まで日本列島の広範に鉄道網を敷き、多い時には約50万人もの職員が働いた国鉄。そんな巨大組織でありながらヘルメットの規格は統一されておらず、総局及び鉄道管理局によって帽章や識別線の色分け・貼り方が異なりました。それでも大抵は国鉄のシンボルであるJNRマーク、或いは漢字の「工」をレールの断面形状に見立てた工マークを帽章に採用していたのですが、JNRマークにしても例えば北海道総局が青色...
前回記事はこちら。引き続き、2019年に購入した鉄道書籍10冊のうち、8冊目~10冊目を紹介していきましょう。8冊目は古書店で入手した、北海道ジェイ・アール整備株式会社40年史編集委員会・編『40年史 1962-2002』(2002年/北海道ジェイ・アール整備株式会社)。本書はJR北海道の子会社、北海道ジェイ・アール整備㈱が創立40周年を迎えた2002年に発行された記念誌です。社名を見てもピンと来ない・・・という方は、現社名の「北海道ジェ...
前回記事はこちら。引き続き、2019年に購入した鉄道書籍10冊のうち、5冊目~7冊目を紹介していきましょう。5冊目は北海道新聞社・編『札幌の路面電車100年』(2019年/北海道新聞社)。現役の路面電車としては日本最北端となった札幌市電が、2018年8月で開業100周年を迎えた事を受けて道新が企画した書籍です。しかし編集が難航したのか、惜しい事に翌2019年5月の発売となってしまいましたが(3ヵ月後には101周年!)、路面電車100...
明けましておめでとうございます。昨年の「Yahoo!ブログ」サービス終了に合わせて『札幌学院大学鉄道研究会OB会のブログ』を廃止する事になり、FC2に個人ブログを立ち上げてから7ヶ月目を迎えました。昨年は多忙にかまけてブログの執筆があまり出来ず、せっかくのネタも蓄積されて勿体無い状況なので、今年は何としても更新頻度を上げていきたいですね。今年もどうぞ宜しくお願い致します。写真は2019年3月より大牟田駅西口広場に...
鉄道ファンの間で使われる用語の中には、「レチ」や「ウヤ」のように国鉄で使用されていた電略(鉄道電報略号)が見られます。電報とは電信を用いて文字・符号を送る通信手段であり、郵便よりもはるかに早く文書のやり取りが出来る事から電話・無線が普及する以前に広く利用されていました。ただしアルファベット、アラビア数字、カタカナを用いた文章しか送信できず、受信者も漢字の一切ない文章では読解に時間がかかったため、よ...
どうも、こんにちは。
JR北海道だとどうも対応がまちまちのようで、私が以前に無人駅から乗車して車掌さんに改札をお願いした時は、日付を書いた上で特急の車内改札に使うのと同じスタンプ(車掌所名入り)を押されました。
その時は列車番号と「レチ」の書き込みが省略されたので、道内の18キッパーだと見覚えが無いという方が多いかも知れませんね。
JR四国もどうやら「レチ」を省略してスタンプを押す対応が多いようです。
ちなみにワンマン運転区間の無人駅で18きっぷの利用を開始し、同区間の無人駅で下車した時は、運転士さんが日付と列車番号を書いた後、ご自身の氏名のシャチハタを押していました。
これも道外では日付・列車番号に加えて、運転士を意味する「ウシ」の符号が書かれる事があるそうです。
「ウシ」が記入された青春18きっぷは下記のサイトで見る事が出来ます。
http://gomerath.blue.coocan.jp/tabi/railtour/0912naruko/0912naruko.htm
(叡電デナ22@札幌市在住)
本日も、18キッパー中です。今日は伊納駅から乗車。最初に降車の岩見沢駅直前で、車掌さんにレチを入れてもらいました。
もうすでに帰路で、只今奈井江駅着です。まぁまぁ乗れたかな、と思います😄
どうも、こんばんは。
5日は伊納駅から利用を開始されたんですね。
そしてまた「レチ」の記入をしてもらったとw
私は今冬の18きっぷ利用は一度も無く、勿体無い事をしました。
春には何としても使いたいものです。
(叡電デナ22@札幌市在住)
5日の伊納駅出発は、近文駅に車が停められなかったからです😠
6日、この日は宗谷線乗車で、ワンマン運転だったため、レチをあきらめ(笑)、音威子府駅での4分停車中に、駅員さんに押印と日付を記入してもらっただけで終わっています😓
10日、札沼線に乗るために、また近文か伊納から乗って、18きっぷにレチを書いてもらおうと思ってました(笑)。が、鉄娘がちょっとした?失態をやらかし、私は楽しみにしていた札沼線をあきらめ、奴に最後の1回を託すことに😢押印は、どこでどうする、なるのやら?😓
以前に車掌区の乗務掛・車掌補・車掌(乗客案内)が着用した腕章を取り上げたので、今回は駅員が着用した腕章を紹介しましょう。上の写真にある「旅客掛」と書かれた黄色い腕章と、「旅客案内」と書かれた橙色の腕章は駅員のうち、駅構内で接客に当たる掛職が着用したものですね。「旅客案内」の腕章については、首都圏や京阪神で採用された押し屋のアルバイト(旅客整理係学生班)も着用する事があったといいます。国鉄 営業関係...
貨物列車の補機として最後尾に連結され、山陽本線最大の難所「セノハチ」を越えてきたEF67形JR西日本の運輸管理係操車担当は橙色の作業服を着て解結作業を行う2017年7月17日、山陽本線西条駅にて撮影1988年春に導入されてから30年が経過したJR各社のオリジナル制服について連載を続けています。既に書いたとおり、分割民営化元年の1987年度は各社で国鉄時代の制服を使いまわしていました。1988年3月13日にJR東海とJR九州の2社、198...
特急はるかに乗務し、発車時刻を確認する女性車掌『鉄道ジャーナル1995年9月号 NO.347』p.48より引用1995年6月14日~16日の取材引き続き、1988年春に導入されてから30年が経過したJR各社のオリジナル制服を見ていきましょう。前回記事でも書いたとおり、分割民営化元年の1987年度は各社で国鉄時代の制服を使いまわしていました。1988年3月13日にJR東海とJR九州の2社、1988年4月1日にJR北海道、JR東日本、JR西日本、JR四国、J...
新大阪駅の東海道・山陽新幹線ホームにおける乗務員交代左2人がJR西日本の車掌、右1人がJR東海の車掌で何れも現行制服を着ている2017年7月15日、山陽旅行の最中に撮影1988年春に導入されてから30年が経過したJR各社のオリジナル制服について連載を続けています。既に書いたとおり、分割民営化元年の1987年度は各社で国鉄時代の制服を使いまわしていました。1988年3月13日にJR東海とJR九州の2社、1988年4月1日にJR北海道、JR東日本...
JR北海道の車掌盛夏用初代制帽現行制服が制定される前、2008年9月30日の衣替えまで着用された引き続き、1988年春に導入されてから30年が経過したJR各社のオリジナル制服を見ていきましょう。前回記事でも書いたとおり、分割民営化元年の1987年度は各社で国鉄時代の制服を使いまわしていました。1988年3月13日にJR東海とJR九州の2社、1988年4月1日にJR北海道、JR東日本、JR西日本、JR四国、JR貨物の5社が独自デザインの制服に移行し...
新大阪駅の東海道・山陽新幹線ホームにおける乗務員の交代風景左がJR西日本の車掌、右がJR東海の車掌で、同じJR線と言えど着用している制服が大きく異なる鉄道ジャーナル社『新・ドキュメント列車追跡 No.9 JR1991~1992』(2002年)p.67より引用1991年6月18日の取材で、目黒義浩氏による撮影1987年4月の国鉄分割民営化により、旅客鉄道6社と貨物鉄道1社が発足してから今年で31年目を迎えました。今やJR東日本は世界でもトップク...
国鉄時代の寝台列車には寝台の解体・組立や車内清掃、乗客案内を行う乗務員が乗っていた事がありました。いわゆる「列車ボーイ」ですね。正しくは「列車給仕」といい、職制の改正に伴い乗客掛、乗務掛・乗務指導掛、車掌補と改称されていきました。国鉄では鉄道乗務員の種別を動力車乗務員、列車乗務員の2つに大別しており、動力車乗務員が機関士・運転士を指すのに対し、列車乗務員は車掌区に所属する乗務員を指していました。即...
ですが15形・25形ハネ以外の寝台車に存在した、施錠されたままの乗務員室を見るたび、特別急行列車に相応しい旅客サービスが提供されていた、華やかな時代を思い起こさせてくれたものでした。
昔の時刻表を見ると、7往復を誇った全盛期の「ゆうづる」で、下り3号と上り7号が全車座席車での運転となっていた時期があります。所要人数のボーイさんが確保できなかったため、と言われています。寝台特急大増発の頃は、2~3両にひとりとされたボーイさん要員を揃えるのも大きな課題だったようです。
写真を引用した出雲は機関士・機関助士を除くと専務車掌(A)1名、専務車掌(B)1名、乗務指導掛1名、乗務掛4名の総勢7名による乗り組みでした。
しかも東京~浜松間では更に5名の乗務掛(東京車掌区所属)が寝台の組立を手伝うために乗り込み、この区間では12名も乗務している事に!
客車11両での運行とはいえ、これだけ多くの列車乗務員が必要だった訳ですから人員確保も大変だったでしょうね。
しかしその分、細やかな接客対応も出来たようですから、さぞかし麗しい時代だった事と思います。
(叡電デナ22@札幌市在住)
レチ?18きっぷに車掌が記入する?と、すぐに、先日使い始めた18きっぷを見てみると、ありました!車掌所印と共に、「12/16 2150M レチ」と赤ボールペンでの記入が!👀近文駅から乗ったんです。札幌駅の改札口で初提出すると、混んで申し訳ないかなと思い、車内検札時に車掌さんに押印をお願いしたんです。何度か同様のことをしていますが、こう記入してもらえたのは初のような気がします。レチ、も最初は“なんて読むんだ?”と思っていましたが、レチで、そういう意味なんだと、納得です!😄
タイムリーな話題を、ありがとうございました😄🙇