Comment 編集 Name: Subject: Mail: 管理画面にのみ表示 URL: Comment: 幌内鉄道全通の際に旧幾春別川西側にあった停車場は、「岩見沢」ではなく「郁春別」ではないでしょうか。と言っても、これは幌内鉄道延伸にともない1888年12月に幾春別炭鉱付近に新設された「郁春別」とは別のものです。 1883年2月に定められた「札幌県下幌内鉄道賃銭表」(https://www.digital.archives.go.jp/img/3630347)には、「幌向太」と「岩見沢」の間に「郁春別」が存在しています(『北海道鉄道百年史 上巻』には、1883年2月設定の賃銭表として「郁春別」「岩見沢」を除去したものが掲載されているのですが、これは札幌以東開通時点でフラグステーションであったのは「白石」「幌向太」の2か所だとする同書の記述に沿ったものと思われます)。「郁春別」は1886年4月改定の賃銭表(https://www.digital.archives.go.jp/img/2461013)でも確認できますが、1888年1月の改定(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2944572/6)では「白石」とともに見られなくなっています。 また「幌内鉄道敷地並用地図」の旧幾春別川西側「停車場用地」および「技手詰所岩見沢用地」周辺をよく見ると、どちらも線路用地内に四角形が描かれており、これが簡易停車場をあらわしているとすれば賃銭設定当初から「郁春別」「岩見沢」が存在することと矛盾しなくなります(『北海道鉄道百年史 上巻』によると1882年6月に郁春別休泊所、同年8月に岩見沢休泊所が起工されており、このうち岩見沢は1885年11月に新築の停車場が竣工しています)。 岩見沢への士族移住開始は1884年9月であり、これと前後して県勧業課派出所・戸長役場・巡査派出所・郵便局などが開設され市街地が形成されたことをふまえれば、同年8月にフラグステーションが設置されるというのはきわめて不自然であり、一般停車場への昇格が真相なのだろうと思いますが確証がありません。 Pass: Secret:管理者にだけ表示を許可